公演が終了して、数日が経ちました。
私は次の公演の準備に入り、今そんな私の目の前では
出演していた役者たちが次の公演のセリフ合わせをしています。
それが、私たちの日常です。
そしてきっと、見に来てくださったほとんどの方が、
もうあまり作品のことを思い出すこともなく日常を歩んでおられたり、次の作品を観劇して感激したりしてることでしょう。
それが、私たちの日常ですよね、きっと。
そんなサイクルみたいな、そんな「消費」みたいなのが嫌でした。
舞台の受け手や発信手が完全に分かれていて、
そこの間にはなんだか「面白いもんみせてもらおーじゃねえの」とか「わかんのかよ」とか、
変な感情が沸き起こり、でも表向きは奇妙なくらいにこやかで。
そんなのが、嫌でした。
私たちがやっているのは芸術で、関わり手も観客も芸術を育てる担い手であって、
私たちは全員、ものすごく繊細な聖なるものを共同で育てようとしてる、
なのになのに、この演劇が日常になってる日常はなんなんだ。
劇場に集う全員が芸術の担い手であると、声をあげて叫びたい。
そんな思いから、この企画は始まりました。
そんな思春期のような反抗心から始まってました、ごめんなさい。
いろんなご意見、頂きました。
いつもとは比べようもならない、まったく系統分けすらできないいろんなご意見、いただきました。
その人の性格、経験、記憶、それによってあまりにも違うご意見、すごかったです。
「普通○○なんてないでしょ」っていう普通がその人の「普通」でしかないということ、
人間の基準って本当にその人次第なんだなって面白ろびっくりでした。
かなり強引な手法で、戸惑われた方も多かったと思います。
ホント我ながらいろいろ強引でした。
そんな強引手法についてきてくださった皆様、ありがとうございました。
そんな強引手法についていく気にならなかった皆様、
なぜ付いて行く気にならなかったか、を辿ってみてください。
勿論それは私の力不足の部分もあると思うし、あなたの思い込みや性格の部分もあると思うし。
最後の最後まで偉そうでごめんなさい。
ビビりながらこれ書いてます。
演劇を、表現活動を選び、これからもくらいつこうと、
そしてそれらを発展させ、人類の幸せに繋がりたいとか考えています。
と思ったら、この手法を選んでました。
そんなやり方に、ついてきてくれたスタッフ役者に、本当に感謝です。
そして足を運んでくださったみなさまに、感謝です。
これからも演劇が、そして芸術が、多くの方の生活に根差し、
社会と繋がり続けることを願います。
その活動にこの身を捧げ燃えている若手からの、武骨なラブレターでした。
あ、「参加型じゃねーじゃん」とか「参加の仕方が~」とか結構言われたんですけど、「参加型」って言ってなかったんですよ。「あなたも出演者の一人。あなたを巻き込む即興高校ドラマ。」って言ってたつもりだったんですが、参加型って言葉が一人歩きし、いろいろ誤解を与えてしまいました。あと、伝わりやすさのために「参加型」って言葉を引用してしてしまったりしてたのがいかんかった。そこ考え足らずでした。ごめんなさい。
この形態にぴったりの名前を今考え中です。参加型との大きな違いはきっと、参加することが目的ではないから、自由性は非常に低いってことですよね。全員がルールを意識し、ひとつのものを形作ろうとする、というこの手法。なんて名づけよう。募集中。
本当にありがとうございました。
共に時間を過ごしていただけて、心から感謝です。
あの明るい照明のもと、共に席についてくださった皆様の顔をずっとずっと忘れません。
これから作品を作るたびに、きっと皆様の顔を思い出すと思います。
青年団若手自主企画『終わりなき将来を思い、18歳の剛は空に向かってむぜび泣いた。オンオンと。』
終了いたしました。
本当にありがとうございました。
本当に、ありがとうございました。
これからもいろんなラブレターを書いていきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
2年3組、解散!
青年団演出部 舘そらみ