酒井若菜オフィシャルブログ「ネオン堂」Powered by Ameba-110404_1731~01.jpg


元々あったはあったのですが、先月から、毎日のように「死にたい」というメッセージが届くようになりました。
そんな芸能人ブログは、まず他には存在しないでしょう。
それくらい「死にたい」「死にたい」の連続。
所謂五月病というのもあったのでしょうけれど、その頃、著名人が続々お亡くなりになったという情報が、テレビやネットを通して一斉に駆け巡ったということも、多分に影響していたような気がします。

当たり前にいた人がある日突然いなくなる。
そのポッカリを、自分のもしもの場合と重ねたりしたのではないのかな、と思うのです。


今日の記事は、自殺についてです。

周りにご不幸があったかたは、絶対に読まないでください。

自殺願望者で、私の文体が好きなかただけ、読んでください。

以前書いた『不特定多数に送らないブログ』の第二弾のようなものですが、だいぶ偏った私の価値観を、以前よりがさつに表現している節がいくつかあります。気に障ってしまう表現があるかもしれません。
要注意でよろしくお願いします。



あのね。

自殺で楽にはならないよ。
自殺をしたところで、何も報われません。
肉体から魂が抜け出て、その魂のまま、また新しい肉体に入るだけ。
同じ試練を「やり直す」だけです。
しかも1から。
サイコロも振っていないのに、ふりだしに戻される。
細々した試練も、全部全部もう一回。

端的な表現ですが、マリオと一緒です。
クッパと戦うために、また最初の面から始めるの。
大変ですよ。時間かかるし。
逆を言えば、クッパが強ければ強いほど、前世の自分は相当なクッパをクリアしてきた強者だという証だと、私は思うんです。
なのに死ぬなんて、もったいない。


「いかにも自殺をしそうなタイプ」だと、よく言われる私。
そんな匂いを嗅ぎ取って、自殺願望のあるかたは私にそういったメッセージを届けてくださるのでしょう。
一応言わせていただきます。

私、死ぬ気ゼロです。
むしろめちゃくちゃ長生きしたいです。
だって、やり直すのいやだもん。


ですので、
とある人の話をしましょうね。

その人、長いこと自殺願望があったんです。
いや、そんなことしか考えていませんでした。
思春期から、10年くらいかな。
毎日毎日、考えてたの。
行く場所行く場所、何階建てか必ず確認して、5階以上だと安心したりしていたんですね。

「いざとなったら、飛べばいい」と。

どうして私ばっかり、って、
優しい人なんていない、って、
何のために生きてるの、って、
世の中腐ってる、って、
それに、
好きな偉人はみんな自殺してるし、って、
この期に及んで自分を驕ったりしていたそうです。

彼女が生きることを決めたきっかけは何か。

それは、プライドと復讐心でした。


彼女曰く。
「自殺をしたら、友達が途端に増えるよ。
今までろくに向き合ってくれなかった人達が、一気に自分を親友扱いしてくるよ。
よく知らない人に「あの子は優しい子だったの」って知ったようなことを言われたり、
助けて、って何度も伝えたのに助けてくれなかった人に「そこまで追い詰められていたなんて」って間抜けなことを神妙な面持ちで言われたり、
たくさんの人達が「あのとき私があ~してあげていれば、こうしてあげられていれば」って自分を責め始めたり、
見てみぬふりしてきた人が「大好きだった」とか意味不明なこと言ったり、
あげく、こっちが言ってもいない言葉を「○○(彼女)がこう言ってくれている気がした」とか、
恩も義理もないのに「天国で見守っててね」と頼まれたり過信されたりするし、
何年か経ったら、知り合い程度だったはずの人が「昔、親友を救えなかったことがあってさ」とか、さも人生経験ありますよ、みたいな顔して語りだすでしょ。
考えただけでゾッとする。
死ぬより怖い。
そう思ったんだ」

死によって大切なことに気づくことだってあるよ!悲しいのは理屈じゃないんだ!
と仰るかたもたくさんいらっしゃるでしょう。
その通りだと、私も思います。
だけど、自殺願望者だった彼女の目には、ただのナルシストのお調子者にしか見えなかったんですね。
自分が死んだ後の人の涙を想像したら、悔しくて気持ち悪くてたまらなくなったんだそうです。

揣摩臆測に過ぎないのかもしれませんが、その稚拙な価値観のおかげで、彼女が生きることを決めることができたのもまた事実。
彼女が心に刻んだこと。それは、

しっかり「疎遠」になるまでは、生きよう。
責任を持たせてたまるか。

でした。
そうして生きていくうちに「最大の復讐は、自分が幸せになること」という誰かの言葉をたまたま私から聞いて、あー、って気がついたそうです。

恨んでいるうちは幸せにはなれない。
自分が幸せになって、誰かさん達のことをまるで思い出しもしなくなったとき、
あるいは、
一切を許し、笑ってその誰かさん達と話せるときがきたら、
必然的にその時には、復讐も完了しているだろうということ。
その時「『復讐』って、私ったら」って笑っちゃえているんじゃないか、って。


ここからは、私の意見。
これは自殺とは関係ないけれど、こういった感覚は、悪口やいじめにも通じると、私は思っています。

やったほうは、やられた人には絶対に勝てない。

ムカつく→悪口を言う→相手が傷つく→すっきり

こんな流れ、しょーもないね。

ムカつく→悪口を言う→相手が全っ然傷つかない→さらにムカつく→相手に響かない→むしろ包容される

どうせなら、こっちがいい。
傷つくことも大切なことだけどさ、傷つかないこともきっと大切だから。


人が一番反省をする瞬間。
それは、
あまりにもあっさり許されてしまった時。


自殺して、その後はどうするの?

自殺したいということは、プライドがあるということです。
本当にどうでも良くなってしまったのなら、わざわざ死ななくても、自然と廃人のように生きていくことになるでしょうから。選択すらしないでしょう。


学校の悩み、職場の悩み、家族の悩み、町の地図で見たらちっちゃな世界。
地球儀なんかには載らないちっちゃなちっちゃな世界。
せいぜい半径数百キロ以内の話。
誰も知らない場所を望むなら、天国地獄の前に、海外に行けばいい。
英語が喋れないとかお金がないなんて、死に比べれば大した問題じゃありませんよね。

それに、自殺は手っ取り早い手段ではありません。
「未来が見えないから」、それは理由として成立するものではありません。
だってね、幸せな時に考えても、未来なんて誰にも見えないもん。


あのね。

死ななくていいんだよ。

一生懸命生きてきたのでしょ。
頑張って頑張って、堪えてきたのでしょ。
人を嫌いになっちゃって、自分も嫌いになっちゃって、それでも生きてきたのでしょ。

理不尽すぎて腹立つよなぁ。
どんだけ泣き寝入りしなきゃいけないんだ、って虚しくなるよなぁ。
寂しくて寂しくて、しんどくてツラくて、弱音吐いたら嫌な顔されるの分かってるから、結局自分だけで抱えてたほうがマシな気がして、でも二つの掌では持ちきれなくて、馬鹿馬鹿しくなったり深刻になったりを繰り返して、全てが自分を否定してくるような気がして、でも負けないように対抗して全てを呪い返したくなったりも、するよね。

でもね、

生きとこうよ。
とりあえずでいいから。

いつか人を許せるように、必ずなるから。

まずは、自分を許してさしあげてください。

どうしても自分が好きになれないなら、自分の強烈に嫌いなところを一つずつ殺していけばいい。

何も自分の全部を殺すことはない。

少しずつ生まれ変わっていけばいい。

今まで何度も書いてきたけれど、人は変われるから。


自殺は体がなくなるだけ。
むしろ、試練を倍に伸ばすだけです。
魂は生まれ変われません。
同じ人生を繰り返すために、生まれ直すだけです。


どうか、生きたまま生まれ変われることを、知ってください。


未来に具体的な楽しみが必要なら、私に楽しみを見つけてください。
女優としてかは分からないけれど、私、「なんとなくいい感じ」の人になるから。
そうなれるように、頑張るから。
それでいつか、「酒井若菜を育てたの、私だよ」って言ってください。
そう言っても恥ずかしくないような人間に、私必ずなるから。
その過程で「分かる!」って共感してもらえるような悲しい表現も、
「くだらん」って笑ってもらえるようなおバカな表現も、
両方できるような、そんな作品をつくれる人になるから。

ね。

期待して、待っててよ。

とりあえず、生きててよ。


だいじょうぶだよ。


あなたに掌はありますか?

神頼みを諦めたあなたの掌が、
泣いた誰かの背中をさすれるように、
頑張った誰かの頭を撫でられるように、
大好きな誰かの体を抱きしめられるように、
いつかなる日が来たら、私はとても嬉しい。
まぁ、絶対来るけどネ。


でもその前に、

その掌は、すっ転んだ自分を起き上がらせるために、使ってください。

奈落の底に掌をつけ立ち上がった人は、誰よりも強く、優しくなれるから。


「誰にも愛されてない」なんて、バカなこと言わないの。
とんだ勘違いだわ、まったくもう。


そんなあなたを、私は大好きで大好きでたまらないのよ。


嘘じゃない。
ほんとだよ。


あたしは生きるよ。

「死ね!」って言われても、
「やだ!」って言うんだ。

だって、未来のことなんて分からないもの。
絶対楽しいことあるに、決まってんじゃん!


だいじょうぶ

もう少しだよ


ごきげんよう