なぜ漁師になったか・・・ | 長谷川 泰三

長谷川 泰三

漁師から 大阪の企業へ就職、事業部を立ち上げチェーン展開した後、起業し飲食店の 経営に奮闘する日常ブログです。

前回の続きですが・・・

親方に用意してもらった家は、保証金4万円家賃2万円の激安長屋!
もちろん保証金、最初の家賃は親方立替。
「今日からここに住め」といった感じでその家に住む事になりましたが・・・
家は昭和初期に造られたような長屋。壁はとたん一枚、トイレ(もちろんボットンです)、
風呂は外、中庭付き。
一度、家にキノコが生えた事もありました。
皆は、僕がそのキノコも食べた。と、今でも疑っています・・・
ねずみ、巨大蜘蛛、などなどなんでも入りたい放題でした。

まぁまぁとりあえず今まで見たことも無いような家に住む事になったわけですが、
最初は、粗大ゴミのテレビを親方の親友にもらい、暫くはテレビだけで過ごしてました。
テレビのチャンネルガチャガチャですよ!
子供の頃以来でした。

行き慣れていた旅館を訪ねると、沢山の生活に必要な物をあれやこれやともらいました。
ここの女将さんが優しくて、おにぎりとかあまり物なんかの食べ物をいつも食べさせてくれるんです。
今でもずっと感謝してますね。年に一度くらいは顔を出すようにしています。

家も決まった頃、シケで漁が出れなくて親方のパチンコのお誘いについて行き、
たまたまバカ当たりして、勝ったお金で生活できるような日用品を全て買ったのを覚えてます。

そんなこんなで生活してるっぽくなって来た家ですが、回りご近所はお年寄りか流れ者の皆様ばかり、
変な集団住宅でした。

お隣さんも親方の知り合いの方で、パチンコはいつも一緒でした。
女性でその集団住宅では飛び抜けて若く、まぁまぁお隣さんと僕は浮いた感じでした。
親方は、もう70前だったし・・・男と女の関係も無いし・・・
その女性と親方の関係がつかめなかったのですが、ある日の出来事で浮き彫りになります。

それは次回に初の限定ブログにでもしようかと思ってます。

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