Charlie's Style-GO

高校、大学、社会人と約10年間アメフトに明け暮れる毎日だった。

想い出も数々あるが、、、

高校では

私が創設したアメリカンフットボール部は今でも埼玉地区で上位クラスの実力。
当時、英会話のアメリカ人の先生の息子が横田ハイスクールパンサーズのアメフトの選手で
良く一緒に練習をした。横田基地の中はアメリカそのもの。バーガーキングやPXには見た事も
ない文房具やお菓子があった。意味も無いのによく横田に行った。

大学では、

入学もしていない3月の下旬オープン戦に出場し見事私の責で点を取られ主将から”坊主”にして
こいといわれ失意のどん底へ、、、、、辞めたいと思った。夏の山中湖の合宿では、練習がきつく
ついていくのが精一杯で1年生は飯が喉に通らず”ご飯に水を掛けて流し込んだ”
先輩が昼寝をしている間は”ボール磨き”つらくてつらくて何名も脱走したっけ、

4年生の時に、QBで主将という重要な責任を任され見事リーグ優勝をした。
優勝する瞬間のビデオに駒沢弟2競技場のスタンドから、、、、
泣きながらおしまない拍手をする父親の姿が写っている。
フットボールをやっててよかった。なにか両親に恩返しが出来た様な気がした。

この試合は今では伝説になった。

先日も、解説で数十年振りであった、当時良きライバルであった明治学院の山本監督(当時主将)
から”こてんぱんにやられましたっけね。でもあの後飯盛さんから”明学がんばれ”よと優しい言葉を
掛けれた事は今でも忘れません。と言われ

”あれそうだったけ?”と苦笑い。
でも嬉しかった。

社会人では、

現在のXリーグに移行する前に社会人リーグの古豪に所属。
3年間プレーした。思うように仕事も休めない状態で辞める事を決断した時期に丁度スポンサー
がついた。”エンポリオアルマニー”だった。ヘルメットからユニホームまで全てアルマーニーの
ロゴが入ったおそろしく金の掛かったギアだった。

そしてアメリカンフットボールという競技からは一切縁がなくなった。

そして数十年を経て現在大学のOB会の広報を担当している。
今週土曜、リーグ優勝をした駒沢弟2競技場で優勝を掛けた大一番のゲームがある。
相手は学習院大学ジェネラルズ。破竹の勢いでブロックを駆け上がってきた
オフェンス、デイヘンス共にバランスの良いよくまとまったチーム。

実力は五分五分まさに決戦だ。
先週強化合宿をし、どこまで対応できるか?

頑張れ現役 !! 優勝あるのみ!!