科学コミュニケーションやサイエンスコミュニケーションと言われるものの重要性が説かれているのを、私が目にするようになり興味を持ち始めてから数年が経ちます。そして今回の東日本大震災および原発事故による混乱や不安の中、科学や医療に携わる専門家をはじめとする多くの方々が情報やメッセージを発しておられるのを見て、私自身改めて科学コミュニケーションの必要性を強く感じています。

一方で、専門家らの言動が必ずしも思い通りに成果を挙げているわけではなく、科学コミュニケーションに関して色々な議論が大震災以降なされているようです。(※1)

私は自分自身のキャリアにおける経験から、「生活者(※)とのコミュニケーション」が重要な要素でもあるマーケティングの視点で、科学コミュニケーションというものを考えることが多くあります。そしてその視点は、現在行われている科学コミュニケーションの議論の中ではやや特異なのかもしれないと、漠然と思いつつあります。そこで、これまでに考えたことをいったんここで書き記し、自分なりに整理してみます。

※このエントリでは「消費者」ではなく「生活者」という言葉を用います。(※2)

なお一企業に属する身である私自身は、企業にとってもマーケティング視点から科学コミュニケーションを企画・実践することが必要になると考えています。社会に対する企業の責任や貢献がますます求められる状況下では、自社の製品やサービスを生活者に提供する上で、それらを構築する科学・技術への理解と支持を得ることも重要になると考えるからです。


それでは、以下のような項目立てで順番に私の考えを述べていきます。

1.改めて、科学コミュニケーションの目的は何か。
2.科学コミュニケーションにおけるマーケティングとは何か。
3.誰を対象にするのか、提供する価値の特徴は何かを明確にする。
4.マーケティングの成否の指標、「マインドシェア」と「ハートシェア」。
5.マインドシェアとハートシェアを獲得するための「傾聴」と「共感」。



1.改めて、科学コミュニケーションの目的は何か。

「現代科学の知見や技術などに基づく価値を生活者に提供する」ことだと、私は捉えています。
生活者とコミュニケーションを行うこと自体が目的なのではなく、それは手段であると考えます。その上で、この目的を達成するためには一方的な発信や啓蒙よりも、双方向のコミュニケーションの有効性が高い場合が少なくないと考えています。それは、最後に述べる傾聴と共感において必要な手段となるからです。

コミュニケーションを実行する際には、必ずしも全ての科学者や研究者が自ら行う必要はないかもしれません。上記の目的を達成するために最適な人選・体制で行うのが良いでしょう。ただし、科学者・研究者自らがコミュニケーションを行うことが最適な場合もありえるかもしれないため、そのような状況でのコミュニケーションの在り方を想定し人材を育成することは有益だろうと考えます。

なおここで言う「価値」とは、物質的あるいは経済的に生活へ役立つということに限定しません。それを得ることで生活者が精神的な充足や刺激を得たりするなど、何かしら良い変化をもたらす物事を幅広く含めます。


2.科学コミュニケーションにおけるマーケティングとは何か。

ここでは先述の目的を踏まえ、「自らが提供する価値を支持・採用する生活者を最大化し、生活者との良好かつ長期的な関係を築くこと」とします。

一般的にはマーケティングは組織や人の営利活動に用いられ、最終的に経済的な利益を得ることを目的として定義されることが多いものです(※3)。しかしマーケティングが扱いうる領域はとても広く、直接的には経済的な利益に繋がらない活動へも応用しうるものです。
現代マーケティングの大家であるフィリップ・コトラーは、『マーケティング・マネジメントを「ターゲッ卜市場を選択し、優れた顧客価値を創造し、提供し、伝達することによって、顧客を獲得し、維持し、育てていく技術および科学」と考える』としています(※4)。この定義を土台にして、科学コミュニケーションの目的に合わせて、先のように言い換えを行いました。


3.誰を対象にするのか、提供する価値の特徴は何かを明確にする。

科学コミュニケーションを行う人や組織の経済的・時間的な制約や、精神的・労力的な負担などを踏まえた上で、できるだけ効率的に効果を最大化することを考えるのが現実的である場合が少なくないでしょう。そのために、コミュニケーションを行う上でのセグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング(STP)を検討・決定することが有用だと考えます。

・セグメンテーション;市場における顧客のニーズごとにグループ化する、市場をセグメントする。
・ターゲティング;自社の参入すべきセグメントを選定する、ターゲットを明確にする。
・ポジショニング;顧客に対するベネフィット(利益)を検討する。自らのポジションを確立する。
(Wikipedia;『STPマーケティング』より抜粋。)

科学コミュニケーションでは、「市場」を「自分が扱う科学・技術の領域」と置き換えて考えることもできるでしょう。つまりセグメンテーションは、その領域において生活者の知識や行動や思想などの特性を切り口にした適切な分類を行うことだと言えるでしょう。そしてその上で、自分がコミュニケーションを行う対象を明確にします。ポジショニングの設定では、コミュニケーションの機会や次に述べるシェアを争う「競合」を想定し、それらとの差異を明確にすることが、わかりやすい方法だと考えます。

なお双方向のコミュニケーションでは、それを通じて自らの価値を修正することが生じるのも珍しくありません。コミュニケーションはマーケティングを達成するための手段であるとともに、自らが提供しうる価値を見極めるリサーチでもあります。後述する「傾聴」が後者の要素を含むものですが、生活者との直接の接点が少ない科学・技術の領域では、この視点を意識することも大切だと考えます。


4.マーケティングの成否の指標、「マインドシェア」と「ハートシェア」。

マーケティングの効果を測定するための指標として「シェア」という言葉がよく用いられ、営利企業では最終的には経済的なシェア(市場占有率)が目標とされます。そして、市場シェアを高めるための要素として、生活者の心理における自社(製品)の占める割合を表す「マインドシェア(認知度)」や「ハートシェア(好感度・信頼度)」という概念も用いられます(※5)。これは、生活者が製品やサービスを購入する意思決定を行う際に、マインドシェアの高いものを想起しやすく、ハートシェアの高いものを選択する可能性が高いと考えられるからです。また、多くのマーケティング行為者は一時的な利益だけでなく長期的な成長を得ることも目的としており、それを実現するための生活者との良好な関係を構築する目安としても、マインドシェアやハートシェアが重要になると考えられます。
科学コミュニケーションでは、生活者が自らの言動や思考の土台や基準として、科学的な知見や技術を採用する可能性を高めることがマーケティング上の目的だと定義しました。これらを実現するためにはマインドシェアとハートシェアの拡大を目標とし、生活者が保有する時間や労力、意識や興味などを費やす対象をできるだけ科学に向けるようにする、と考えるのが良いのではないでしょうか。

なお、これらシェアを目標とする際には、何を母数にするかが重要になります。つまり、先に述べたSTPの設定が鍵になります。逆に言うと、シェアを高めやすいようSTPを設定するという発想もできます。対象を幅広く想定し過ぎて、労多くして成果を感じられず疲弊してしまうのではなく、マインドシェアやハートシェアを得やすい人たちをまずは対象として着実に成果を挙げていき、徐々に対象を拡大する。そういう考えを持つことも、非営利的で個人主体の活動が多い現在の科学コミュニケーションでは有用かもしれません。


5.マインドシェアとハートシェアを獲得するための「傾聴」と「共感」。

マインドシェアやハートシェアを高めるために重要なこととして、マーケティングを行う側が生活者に対して「傾聴」することと、生活者の「共感」を得ることが挙げられます(※6、7、8)。そしてそのための行為として、科学コミュニケーションという対話手段を用いるというのが、このエントリで述べてきたマーケティング視点の考えです。
対象とする生活者が何を感じ何を求めているのか、深く耳を傾けてできるだけ把握する。また傾聴することは、生活者に自分の存在を認知してもらうこと、そして信頼や好感を得ることにも繋がるでしょう。その上で、生活者に最適な内容や形態やタイミングで価値を提示して共感を得る。これにより、さらにマインドシェアやハートシェアを高めることに繋がっていくと考えられます。

なお対象からの共感を得るには、合理的なアプローチだけでなく、相手の感情を動かすことも重要になる場合が少なくないと考えます。そのためには、自分も相手に共感すること、あるいは共感しようと努めることが大切なのではないかと、個人的には思っています(※9)。どれだけ「正しいこと」を伝えようとしても、それを受け入れない・受け入れられない人や状況は少なくありません。そのような場合には、まず相手に耳を傾け、さらに相手の感情に寄り添い共感する。そして相手の感情を自分自身のものとして理解し、伝え方を模索する。そうすることが相手との信頼関係を構築することにも繋がり、相手もこちらのメッセージを受け入れる可能性が高くなるのではないかと考えています。(※10)


以上、科学コミュニケーションについて、マーケティングの視点から私が考えていることを述べてきました。
ここでは科学コミュニケーション、マーケティングそれぞれの基本的あるいは部分的な要素や側面をいくつか取り上げるにとどまっています。また、具体的な方法には全く言及していません。さらには私の理解が不足している点もあるかもしれません。まだまだ不十分な考えではあると思いますが、私自身はこういう考え方を持つ人が一人くらいいるのも何かの役に立つのではないかと考え、今回まとめてみることにしました。科学コミュニケーションについて検討し実践する際に、何か一助になれば幸いです。


<参照リンク・書籍、余談>

※1;『伝えるということ:科学リテラシーや科学コミュニケーションに関するあれこれ』 - PSJ渋谷研究所X(臨時避難所)

※2;『マーケティングがわかる辞典 オンライン版』 - 日本リサーチセンター

※3;『マーケティング定義集』 - マーケティングis.jp

※4;『コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版』(フィリップ・コトラー、ケビン・レーン・ケラー)、p7

※5;『マーケティングにおける「シェア」いろいろ』 - マーケティングis.jp

※6;『語るための傾聴(戦略)』 - マーケティングis.jp

※7;『マーケティング再考:"Likenomics"な時代』 - Don't be lame

※8;『電通「サトナオ・オープン・ラボ」、ソーシャルメディアに対応した消費行動モデル「SIPS」発表』 - MarkeZine(マーケジン)

※9;『すべてのチームビルディングは「共感」から始まる』 - @IT自分戦略研究所

※10;余談かつ想像ですが、「相手の感情に寄り添う」という姿勢を見せることで支持を集めるのは、一部のトンデモ組織などが得意とするところではないかと思ったりもします。それらと競争し勝利するには、彼ら以上に生活者の感情に共感するよう努めることが必要になるのかもしれません。
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