昨日、彼がいなくなったと聞きました。


そんな筈はないと、

絶対にそんな筈はないと、

LINEを送ってみたのですが、

やはり返信はありません。


いつも側にいた訳ではなく、

9年前に彼が徳島へ帰省してからは、

数回しか会っていません。


愛媛にいた頃も、

頻繁に会っていた訳ではありません。


彼と出会ったのは20年前で、

出会った当初、

毎日のように一緒に過ごした日々がありました。


音楽の話題が尽きず、

夜通し話し、彼の歌を聴いて、

ラーメンを食べ、

なぜか銭湯にもよく一緒に行きました。


松山市の小さな銭湯を探して、

一緒に行き、じゃあ1時間後にねって。


山崎くんはお酒も飲まないので、

そして免許も持っていなかったので、

私の運転でドライブして、

海へもよく行きました。


人生のうちで、

yumiさんと会っていたのはほんの数年で、

その後の会っていない人生の方が長いのに、

あの頃がものすごく長く感じる。

それだけ濃い時間だったんだなと、

山崎くんは会う度に言っていました。


yumiが結婚して出産して育児をしている頃、

彼がきっと、悲しかった時に電話をくれて、

駆けつけたことがありました。


どんなに疎遠になっていても、

何かあったら絶対に駆けつける、

そんな関係性でした。


徳島へ帰ると分かった時には、

たくさん本音で話し合いました。


徳島に帰ってからも、

私は、自分の人生のターニングポイントには、

必ず山崎くんに会えていました。

なぜか必ず会えていました。


感じた事を止めどなく言葉にすると、

山崎くんが私の気持ちを全て理解してくれ、

腑に落ちる言葉をくれました。


私はいつも山崎くんに助けてもらっていました。


私が悩んだり迷ったりしてる時、

なぜか毎回会えちゃうねって私が言うと、

節目節目のオレやなって、

笑って言ってくれました。


2019年の12月に徳島へ行った時、

yumiは、心臓が痛くなってその場に座り込み、

動けなくなりました。


その後に待ち合わせしていた山崎くんには、

その事は言いませんでした。

きっと心配して、会うのをやめようと言われるから。


会いたかったから言わなかった。

山崎くんも、きっと、

みんなにずっと、普段通りに会いたかったから、

闘病している事は伏せたのだと思います。


免許を取った山崎くんの運転する車に乗り、

2人で海へ行きました。

この海で作った歌だと言い、

ウクレレを弾いて歌ってくれました。



季節がまわるように

命もまわるのなら

寂しくなんてないのかな

ただ笑って

まわっている


星々がまわるように

命もまわるのなら

怖くはないのかな

ただまわって

まわっている



直接言葉では言われていなくても、

こうやって、

歌にして自分の気持ちを伝えてくれていたと、

今ではそう思います。


私が困った時は、

必ず寄り添ってくれた存在だったので、

これからの彼のいない人生を、

どうやって生きていくのか、

本当に今は分かりませんが、


きっと、彼を想えば、

自ずと答えは出てくるのかな、

私の心の中に山崎くんはずっといるから。


今は、

どうしようもなく悲しい気持ちでいっぱいで、

途方に暮れているというのが正直な所ですが、


きっと山崎くんは、

私がいっぱい泣いていることも知っていて、

ゴメンねって沢山言ってくれていると思います。


だから、早く、

彼に心配をかけなくていいようになる、

それを目標にしたいと思います。



山崎くんは、自分の事が大好きで、

私がブログで山崎くんの事を書くのを、

とっても喜んでくれていました。


そして、何かあった時は、

yumiさんのブログを読んでる、

と言ってくれていました。


過去に、

アメブロじゃないサイトで書いていたものは、

残念ながら全て消えてしまって、

こちらには2つしか記事が残っていないけど、


これからまた、時々は、

山崎倫靖について、書いていきたいと思います。

そして、山崎くんからもらった、

「綺麗」という曲を、

歌い続けていきたいと思います。


悲しんでばかりで、心配をかけたくないけど、

無理にカラ元気も出せないから、

彼がきっと1番喜ぶことを、

泣きながらでもやりたいと思います。


2019年年末に徳島の海で撮った写真



まだ

安らかにとか、ご冥福をとか、

どうしても、お別れの言葉なんて、

絶対に言えないのですが、

山崎くんに心配をかけないように、

根性で生き抜きます。