いばや通信さまより転載
 

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早咲き日本一とも言われている、熱海の桜は満開を迎えました。1月29日(日)熱海の家で『わたり食堂』を開催します。食事やドリンクや各種サービスはすべて無料【0円!】、理由は「みなさまの善意で成り立っているから」というこの世の奇跡みたいな催し事で、2017年は毎月最終日曜日に開催をする予定です。家の近くには伊豆山神社や走り湯などの温泉もあり、桜を眺めながら散歩をするにも最適な時期になっております。当日は、千葉県から三森正道さんが主催者の不安定な精神状態を支える為に来てくださることになっていて、小学生と中学生の女の子が極上の珈琲を淹れてくれる予定になっています。他にも、様々な各種サービス(?)を用意してお待ちしておりますので、時間のある方はどなたでもお気軽に遊びにいらしてください。

 

心身一体。

人差し指と中指を使って、脇の下の近く【心臓の左上辺り】を軽く押してみてください。そこに痛みを覚えた方は、呼吸が浅くなっている可能性が高いらしいです。先日、広島県広島市で『天城流湯治法』なるものを施術していただきまして、私は「最近、呼吸が浅い気がするのです」と伝えましたところ、施術者の方が「それではここを押してみましょう」的な感じで私の胸部をほぐしてくださり、その直後、私は激痛に悶えました。施術者の方曰く「看護婦の方など、気苦労の多い方や鬱病っぽい症状のあるひとはここが痛むんですよ」とのこと、私は、ああ、私はこころの病気なのかもしれないと自分に同情をしました。

 

非常に驚いたことに、胸部を軽くほぐしただけで、一気に呼吸が楽になる感覚を覚えました。私は「人間のカラダは面白い!」と興奮をいたしまして、施術者の方にあれやこれやと大量の質問をいたしました。カラダがほぐれるとココロもほぐれるというのは真実みたいで、もしも、不安や恐怖に呑み込まれそうになった時は「頭よりも先にカラダを治せ!(ココロは後からついてくる)」のではないだろうか、などと思いました。その後、広島県福山市ではハワイのロミロミ施術体験をさせていただきまして、これもまた非常に素晴らしい効果を私に及ぼしました。各部位に感じる不調によって、精神的な不調を見つけるきっかけにもできるとのこと、下記に簡単なメモ書き程度のものにはなりますが、記載をいたします。

 

胸:悲しみ、心の痛み、不安、後悔、孤独感、誤解

 

腹:怒り、恐れ、嫉妬、憎しみ、人を許せない気持ち

 

腰:過去からの辛い思い出、因縁を取り除く為に、アカコードをカットして、いらないエネルギーを取り除く。

 

膝:経済的、肉体的、精神的、感情的に心と体を支える(いろんなサポートを与える場所)

 

足首:柔軟性。人生にどの様な障害があろうと、柔軟な対応で乗り切れるように。

 

施術者の方曰く「坂爪さんは膝や足腰は余裕みたいですが、お腹と胸、特に胸は『もっと手をあてていたい』と思わせる場所でした」とのこと。ああ、私は完全にこころの病気だ!孤独だ!孤独死をするのだ!そういう運命に生まれたのだ!と悲嘆に暮れかけておりましたが、施術者の方があまりにも優しい微笑みを浮かべてくださるものだから、ああ、女性は女神だ。どれだけ意固地を張ってみたところで、男には女が必要なのだ、最後には女に抱かれるのだ(と言いますか、自分には女性性に助けられたシーンが過去に何度も何度も何度もあったのだ)ということを強く思いました。

 

自分を許せていない時、ひとはひとを許せなくなる。

2017年は自分自身をわたり化させる【みなさまに自由に使っていただくフリー素材にする】ことで、どのような現象が起こるのかを観察する試みを行なっております。今月だけでも、非常にありがたいことに東京&愛知&鹿児島&熊本&福岡&広島&岡山の7県に、海外はマレーシア&シンガポール&タイの3国に足を運ぶことができました。施術体験で言えばリフレクソロジーと天城流湯治法とロミロミの三種を体験させていただき、眉唾ではあるもののカラダに纏わる知識も少しだけ増えました。自分ひとりではとてもじゃないけれど出すことのできないスピードを、ひとさまの力をお借りすることで出すことができる。綺麗事が言いたい訳ではなく、素直な気持ちとして「本当にありがたい話だ」としみじみ感じています。

 

【イベント詳細】わたり人間 〜ACROSS THE UNIVERSE〜

 

先日、新潟在住の方から「坂爪さんにどうしても見てもらいたいと思う映画があって、『この世界の片隅に』という映画なのですが、上映している映画館までの交通費や鑑賞料金は私が払いますので、もしもお時間がありましたら(感想を聞かせていただく必要などもありませんので)是非見ていただけたら嬉しいです」というご連絡をいただきました。私は、なんというか、もう、私なんかでいいのですかと思いました。そして「私なんかでよろしければ、是非!」というお返事をいたしました。自分を開放することで、自分では予期することのできないいくつもの出来事が起こります。そのすべてが良いことばかりとは限らないけれど、喉元過ぎれば熱さを忘れるとでもいいましょうか、過ぎてみればすべてが良い思い出になるような、そんな感覚を覚えております。

 

たらたらと能書きばかりを垂れて参りましたが、私は、人間関係の肝は「いかに諦めてもらうか」にあると思っております。良い子を演じて好かれ続けることよりも、弱い部分を早めに晒して、それでも愛してくれる(その部分こそを愛してくれる)ひとと相互補完的に付き合う方が、精神衛生上にもすこぶるよろしいのではないでしょうか、などと思うことがあります。自分みたいな生き方でも許してくれるひとがいるということ、そして、一見許してくれなさそうなひとでもしっかりと自分の思いを丁寧に伝えることができたなら、多くの場合、ひとは寛容な精神と共に許してくれるのだということ【お互いに競い合うのではなく、お互いに支え合いたいと願う生き物であるということ】は、この世界に立ち向かう勇気と信頼を与えてくれました。そして、私は「恐れずに、自分を出していこう。そして、これまでの日々の中で自分が許されてきたように、他人を許していける人間でありたい」などと思うのであります。