アレグリ「ミゼレーレ」 | 天の御父の声は Vox Patris Caelestis

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ふるい音楽を歌うテノールです。

久しぶりに音楽の記事です。
古楽、クラシックです。

アレグリの「ミゼレーレ」
ご存知の方は聴いたことがおありと思います。
おそらくは、イギリスの混声の声楽アンサンブル、
タリス・スコラーズの演唱が、もっとも日本人には馴染み深いのではないでしょうか。

グレゴリオ・アレグリ(アッレーグリ)
Gregorio Allegri
は、17世紀初頭に活躍した、ローマ楽派の音楽家です。
彼は、16世紀イタリア最大の音楽家、パレストリーナの弟子であるナニーノの弟子にあたります。
教皇庁礼拝堂、すなわちシスティーナ礼拝堂で歌手として活躍しました。

「ミゼレーレ」は、
旧約聖書の詩篇第51篇(カトリックの伝統的な聖書の数え方では50篇)「神よ、私を憐れみたまえ」に作曲されています。
この詩篇は、家臣ウリヤの妻バテシバに欲情したダヴィデ王が強行な手段により人妻を我がものとしたのを、預言者ナタンに諌言され、神に自分の犯した罪を悔いて赦しを願った詩だとされています。

ローマ・カトリック教会の典礼では、「四旬節」、ちょうど今の時期ですが、「灰の水曜日」から復活祭(イースター)の前までの約40日間の悔い改めと準備の期間です。
そのもっとも最後の復活祭の直前である「聖週間」のキリストが十字架にかけられて亡くなったことを記念する「聖金曜日」の典礼の中で歌われます。

このアレグリのミゼレーレは、門外不出の秘曲とされてきました。
15世紀以来、写本を書き写したり、楽譜の印刷出版により、当地の音楽をヨーロッパの他の地と共有することはごく当たり前のことだったのですが、
このミゼレーレに関しては、そのようにシスティーナ礼拝堂聖歌隊の他に楽譜を伝えることが禁じられていました。

そのため、この曲は、イースター前の金曜日にローマのシスティーナ礼拝堂での典礼に参加して、そこで聴くしかない音楽ということになっていました。
もっとも有名なエピソードは、14歳(たしか)のモーツァルトがローマに滞在した際、耳で音楽を聴き取って、書いた楽譜を当時の教皇に献呈した、というものです。
ほかにも幾人かの著名人がこの音楽に接しています。モーツァルトに影響を与えたマルティーニ神父や、メンデルスゾーンなどはその一端です。

さて、音楽それ自体のことですが、
詩篇は散文の詩であり、各節の言葉と音節の数が揃っていないため、伝統的に、メロディーの始まりと終わりの形だけを定めて、中間部分は同じ音を伸ばしながら多くの歌詞を歌う、という「詩篇唱」により歌われてきました。
この詩篇唱は、キリスト教の典礼の中では、ユダヤ教以来の伝統を受け継ぐ、もっとも古い形の聖歌の形態です。

詩篇51篇は19節から成りますが、アレグリはその奇数節だけを多声部(合唱)で歌うこととし、偶数節はもとのグレゴリオ聖歌のまま歌われます。
そして多声部分ですが、
5声部と4声部の二つの合唱から成ります。
第一の合唱は
ソプラノ1、ソプラノ2、アルト、テノール、バス
の5声。
第二の合唱は
ソプラノ1、ソプラノ2、アルト、バス
の4声です。
この二つの合唱は、いわゆる二重合唱のように競い合うのではなく、
多声部分を交代で歌います。
すなわち、詩篇の第1節は合唱1、第2節はグレゴリオ聖歌、第3節は合唱2、第4節はグレゴリオ聖歌、第5節は合唱1・・・・のように歌われ、最後の第19節だけは二つの合唱が合わさって9声で歌われ、曲を閉じます。

曲の様式は「ファルソボルドーネ」というルネサンス期の即興的な多声化の歌唱法にもとづいています。
これは、ひとつのあらかじめ定められた旋律から、即興的に同時に歌われる対旋律を導き出して、ハモって歌う、という方法です。
5声の第一合唱は、前半はほとんど歌詞のリズムを揃って歌い、後半では似た旋律がややずれながらまとまっていきます。
実は、モーツァルトが聴き取ることができたのは、このように音楽的にわりと簡素な作曲がされているからという理由によるようです。
第二の合唱は、ソプラノ1が”ハイC”高いドの音を天空に投げかけるように歌います。
現代の演奏ではこの高いドがソプラノ歌手やボーイソプラノの聴かせどころのようになっています。
しかし、和声的な問題から、このハイCは疑問視されています。

それというのも、17世紀以来、門外不出とされてきたため、作曲者のアレグリ自身が書いた音楽は全く残っていないからです。
実はこのミゼレーレは、正体不明ということになります。
ただ、近代、19世紀ごろに、当聖歌隊に所属していた歌手が、その秘密を外部に漏らし、その楽譜が流出するということはありました。
しかし、これらのいくつかの流出した楽譜の音楽を見ると、ほとんど同じ曲とは思えないほど異なっているのです。
これは、ひとつには、それぞれの歌手が、自分の記憶にもとづいて書いたから、ということかもしれません。
もっと根本的な理由は、このミゼレーレは、簡素な作曲されたファルソボルドーネをそのまま歌うのではなく、おそらく、即興的な、高度な装飾を施されて歌われていたであろう、という推論です。
アレグリが作曲した音楽と、その時代、アレグリ自身が考えて歌った装飾された歌唱があったはずです。それはもはや失われてしまいました。
その後も、聖歌隊の中で技術的な伝統として受け継がれ、しかし楽譜に書かれていないため、時代とともに、また歌唱技術の変遷とともに、ミゼレーレはその形を変えて来ました。
そのため、流出した楽譜は、その歌手によって音楽が異なっていると考えられます。
モーツァルトが聴いたのは、いったいどのようなミゼレーレだったのでしょうか。

現代、20世紀末から21世紀の演奏では、きわめてシンプルで明快なわかりやすい音楽によって歌われています。
このミゼレーレのヴァージョンは、70年代末のケンブリッジ、セントジョンズ・カレッジ聖歌隊の音楽監督であったジョージ・ゲスト卿がまとめたものによる伝統らしいです。
今日、このわかりやすいヴァージョンによって、イギリスの音楽家を中心にミゼレーレは歌われ、極東の日本でも容易に聴くことができるようになりました。
しかし、その音楽は、実際、作曲者のアレグリが演奏していた「原・ミゼレーレ」とは、きっと似通りつつも、いくつかの点で異なっていると思われます。
前述した「ハイC」の問題も、おそらくアレグリ自身のミゼレーレでは、現代とはちがったやり方で歌われていたのでしょう。
もはや原曲は闇の中であり、アレグリ自身の本来のミゼレーレを聴くことはもはやできません。ただ、多くの人の努力と現代の伝統により復興されたミゼレーレを聴いて、我々は往時の音楽に思いを寄せるのです。


おすすめの演奏

カーウッド指揮カーディナルズ・ミュージック(ハイペリオン)

フィリップス指揮タリス・スコラーズ(ギメル)
旧盤/新盤(装飾版)

パロット指揮タヴァナー・コンソート(EMI)

などなど。