この話もそろそろ飽きてきたかな~(;^_^A
他のネタを挟んだほうがよいだろうか…

ということで、今回を持ちまして一旦このネタは休憩しまーす^ ^

では、改めて。

大学病院に行く日が来た。
担当医と約束した通り母と一緒だった。

名前が呼ばれ診察室へ

先生は、早速、母に病気の説明をしていた。
母は、典型的な昔人間であるので先生と名のつく人にはとても弱い(笑)
だから、そんなにもめることはないだろうと思っていた。

でも今回の母は、意外にも引き下がらない。

ガンとつく病気は、死と直結していると思い込んでいるから。ぼらんての親類は、ガンで亡くなる人ばかりだから、余計にね。

母の思いを横で聞いていた私は、妊娠継続を決めたことが申し訳ないと思った。

『娘さんを母親にしてあげたくないですか?お母さんにしてあげましょう』

最後に先生はこう言った。
このセリフが母には効いたようだ。
ようやく母は、納得した。

ありがとう、先生(^O^)

そして、これからの妊娠継続におけるスケジュールを聞いた。

⚪︎頸部の検査は、心配している家族の為に三ヶ月に一度を二ヶ月に一度に変更
⚪︎妊婦健診は、二週間おきに細かくみていくことにする

とのこと。
要するに、普通の妊婦さんよりもお金がかかるということ…>_<…
当たり前だかしょうがない!

で、続けて説明された。

もし、頸がん検査で進行が確認された場合は、治療することになるという。

それは、赤ちゃんがお腹にいながらにして手術が行われるということだった。
そうなれば、頸管が短くなるわけだから、早産の危険、はたまた流産の危険が出てくるに違いない。

となれば、手術をしたその日から出産まで入院…なんていう想像ができた。

進行が遅いと言われていても、もしかしたら…の思いはずっと持ち続けての妊娠継続。

私は、皆に心配かけたくないと思い妊娠したことを公にすることはやめ、極一部の人にのみ伝えることにした。

それは、もう一つの問題。
高齢出産にはつきものの出生前診断のこともあったから…

ということで、次回からは、高齢出産のいろいろ話を綴っていきます^ ^

頸がんのお話は、高齢出産ネタが終わるころに再開しまーす!



では、また^ ^

あっ‼︎これ以下は、さらに長くなりますので、読める方のみお読みくださいm(_ _)m


その極一部の人にすべてを伝えたとき、たくさんの慰めや心配、応援をもらった。

一緒に泣いてくれた友人Mちゃん、本当にありがとう。いつも支えてくれてありがとう。

涙をため話を聞いてくれた師長さん。
さりげない優しさを本当にありがとうございました。

身内の方が同じ病気を経験し、話を聞かせて下さったHさん。
同じ病気であったKちゃんの励まし。
ありがとう!

Sちゃん、Mちゃん、いつも話を聞いてくれてありがとう。

めっちゃ心配性のMG。たくさん泣かしてしまいごめんね。ありがとう。

それぞれの方が、妊娠を公にしないという思いを汲んでくれ、本当に誰にも言わないでいてくれたことにも感謝しています。

MYMY、病気のこと事後報告でごめんね。まだまだ、受け入れることが出来なかった時期に会ったから、言いそびれて。あなたの前では、元気な私でいたかったしね(≧∇≦)本当にごめんね。

Hさん、お世話になりました。ありがとうございました。


そして、義姉さん。
母の思いと私の思いを両方から聞かされ、たくさんの心配をかけました。
今も心配かけてるけどσ(^_^;)いつもいつもありがとう。