前回は、ミックスボイスへの目覚めを作った3つの出来事 のうちの2つを書きました。
今回は、三つ目の出来事です。
それは、二十代前半に某有名ボイストレーナーのもとで勉強していた時の先輩で、やはりずっと自分なりに発声を研究していた仲間の一言でした。
その頃のボイストレーニングのセオリーは、喉に意識を持って歌う事は危険な事で、声帯をどうこうしようなんて考えながら練習するのは論外の暴挙、とされていました。自分もそう感じていいたし、喉をうまく使おうと考えれば考えるほど、喉に無駄な力が入り安く、かえって歌えなくなったり喉が痛む事がよく分かっていたからです。
今でも標準的な日本人の発声だと、自己流で喉に意識を持つ練習していくと、そうなる可能性がかなり高いので、ちゃんとした指導者無しでは、声帯の使い方を試すのはかなり危険で遠回りな事だと思います。
話を戻しますが、同じようにずっと発声を追いかけていた仲間のボイストレーナーが、ある時、自分は声帯をどう使うのかということを研究している、と言いました。僕はそんな事ができるとは思えなかったのですが、彼はその時かなりマニアックで彼流の歌唱ではありましたが、喉に意識を持った状態での歌唱をしていました。彼なりに新しい発見をしていることがわかり驚かされました。
そして、自分も本気で新しいボイストレーニングの先駆者を目指すなら、これまでの常識に囚われていてはダメだという思いが出てきて、考えを方を変えると共に、これからはどんなことでも発声に関係している事は全て研究対象であったいいし、新しいボイストレーニング作ろうと決心しました。そしてそれまでタブーだった声帯の動きの研究へとシフトしていきました。
まとめると、アレクサンダーテクニークで偶然感じた喉の感覚、ニューヨークで見た3オクターブに渡るポルタメント奏法の模倣。そしてそれらの声は、声帯のコントロールによって可能になるのではないか、という希望と決意が同時に頭の中に入ってきて、それ以降はミックスボイスにたどり着くのにそう時間はかかりませんでした。
しかしながら、そこまで来るのに発声を本格的に勉強し始めて既に10年ほどが過ぎていました。
ちょうど仕事でもボイストレーナーを始めた頃で、
その後しばらくは、喉の感覚と出音(声)を耳で判断しながら発声バランスを模索して練習を繰り返す事で、明らかに喉の感覚がどんどん敏感になっていき、他人の声をも、聴けば声帯の使い方や位置やまでも耳でわかるレベルにまで達しました。
そして、フースラーの研究や、声楽家から受けたクラシカルな声の状態やミュージカル歌唱などとの整合性も見えてきて、ポップス歌唱の他、ゴスペルやR&B系の歌唱さえもが、はっきりと見えてきて、ほとんど声帯の動きで到達できるのではないか、とさえその時は思いました。
(実際は色々な体の部位の協力と、息のバランスによって、声帯の振動のバランスをとるので、声帯だけで全てを変えられる訳ではなく、その後の研究に続くのですが、その時はそう思えるくらい、どんどん大きく開けていきました。)
まだまだ研究遍歴は中盤。今の発声理論の基礎がやっとでき始めたところ。研究遍歴後半に続きます。