靖国問題を論じないでください | プーチンの日記

靖国問題を論じないでください

日本における靖国神社の問題、及び首相の公式参拝問題などは
日本に対する内政干渉に相当するので、ロシアは基本的に
ノーコメントの立場をとっています。たまに苦言を呈することも
ありますが、それは単なる駆け引きの域を出ません。
正直言って、本質的にロシアにはどうでもいい問題なのです。

日本人は確固たる宗教を持っておりませんが、信仰心はあると
考えています。その形態は、アニミズム的汎神論と祖霊信仰が
中心のようです。漠然とした宇宙観が神道というスタイルに
収束され、また土着化した仏教や他の宗教と結びついて、儀式と
しての宗教が成立しているように見受けられます。

しかし、わが親愛なる日本人に望むことがあります。それは、
靖国問題をこれ以上論じないで欲しいということです。多くの
日本人が靖国問題に対して、賛成・反対を問わず反応するように
なりました。あなたのよく知るフレーズでこの現象を表現すると、
「どう見ても煽られています。本当にありがとうございました」
になります。

これ以上靖国問題を論じないでと願う背景には、これ以上
人工的な聖地を増やさないで欲しいという願いがあります。

もしアメリカ以外の国に住む人が、アメリカ人に「ワールド・
トレードセンターは聖地である」と言われた場合、アメリカの
歴史の薄さや小児性を笑うでしょう。近代的なビルそのものが
何かの象徴であっても、それを「聖地」と呼ぶには何か要素が
欠落しているように思えるからです。

聖地は本来、異世界との交流を含めた、交換と交易の場である
ものです。その意味では、ニューヨークのWTCも聖地であると
言って構わないでしょうが、多くは「聖霊が降臨した」とか
「虹の起点であった」とかの現象に由来します。

そして聖地は、そのような特殊な場所で、実際に人間の交流が
頻繁に起こり、崇め奉られることによって、そのパワーと
役割と意味が強化されます。手短に言えば、「何かありげな
場所を人と歴史が育てていく」のが聖地です。

聖地は人を固執させますし、人は聖地に固執します。
そして私が考える世界最大の聖地は、エルサレムです。
なぜ、という説明は省きますが、エルサレムはバチカン
より意味論的に大きな聖地になります。そしてユダヤと
アラブは聖地を巡る攻防を果てしなく繰り広げますし、
果てしない攻防のゆえにまた聖地が強化されていくのです。

ロシアが世界戦略を考える場合、アメリカ包囲網は比較的簡単に
完成するでしょう。アメリカの本体は東海岸に押し込められ、
最後に残るのは最初のアメリカだけになります。
ヨーロッパとアジアはユーラシア連邦としてロシア連邦の一部に
なります。アフリカはヨーロッパ経由でロシア化します。

大ロシア連邦という超大国に対して、最後まで残って抵抗する部分、
それは中東であり、エルサレムでしょう。その前に残る部分、
すなわちアメリカ東海岸や中国沿海部やインドの一部なども、
中東に比べれば遙かに脆い聖地ということです。

ここでもう一つ気がかりな場所があります。それが極東です。
仮に日本と周辺国が靖国や天皇・皇居を巡って攻防を展開する
ならば、そこは無意味に守るべき聖地としての色が濃くなって
しまうということです。聖地には常に聖戦と自爆テロと
狂信者がセットになります。そしてそれらは、常に世界の
進化を妨げ、人間を動物に引き戻そうと働くのです。

あなた方の根本的な宗教観から解釈しても、靖国神社のような
守るべき人工的な聖地は必要なく、神はどこにでもいて、聖なる
存在は常に流動的だという意識から乖離している印象を持ちます。
そのような理由で、私は靖国問題を論じないでくださいと
皆さんに訴えます。

愚民はおとなしくしていた方が身のためということですよ…