novtan別館さん のところで見た話、コメント欄から。きっとnov1975さんご自身はわかってる話。


美味しいものほど危ない

mujisoshina 2009/09/28 08:11
自然が安全というより、何百年もかけて安全性を確認してきた結果残った物なんでしょうね、現在食べられている物は。
脂肪の付かない油とか人工甘味料とか遺伝子組み換え生物とかはせいぜい10年かそこらで、まだ安全性を確認して危険な物をふるい落としている途中なのでしょう。


 安全性を確認してきた結果残った物、と言う話は全然違うと言うわけじゃないけども実はけっこう違います。いろんな要素があるんですが。


 その前に、後段の人工甘味料とか遺伝子組み換え生物とかですが、一般的には逆に捉えられる事が多いんですがむしろこっちのほうが安全性がちゃんと確認されています。それは一言で言うと、安全性を確認するためのメソッドが成立したあとに開発された物だからです。
 逆に言うと、昔から食べられてきたもののほとんどは今で言うところの「食品の安全性」なんか存在しない頃から食べられてきたわけです。つまり安全性の確認なんかすっ飛ばして「昔から食べられてきたものだから、それなりに安全だろう」と言う程度のことで今も食べられ続けているに過ぎません。


 代表的な例は酒やタバコで、何百年も前からたしなまれてきた割にはお世辞にも安全なものとは言えませんが、現代にも残っています。これらが今現在開発されたものだったとしたら、とうてい、販売許可は下りないだろうと言われています。
 タバコなんかは例外的なほどに危険なので、かなり調べられていますが、逆に普通の食べ物はそこまで目くじら立てるほど危険でもないので、ガッツリとは調べないわけです。調べるのもタダじゃない上に、「自然のもの」は決して人間の都合のいいようには出来ていません。調べやすいようには出来ていないわけです。野菜一つとっても、膨大な種類の化学物質がほんの微量ずつ含まれており、全てを調べつくすのは大変な難事業です。


 例えれば、自然の食べ物は大昔の名職人が作り上げたものをバラしてその構造や強度や何やらを調べなくてはならず、対して人工の物質は設計図・工程図つきで安全基準に沿って作られているわけです。もっと具体的に言うと大昔に作られた木造のお寺と、現代の建築物で、どっちが耐震構造に優れているかと言うようなもので、古いお寺は「今まで何回も地震や何やらに耐えてきたはずだから大丈夫」と言っているだけで、現代の建物のように耐震構造に関する科学的な根拠などがあるわけではないのです。
 もっとも古いお寺はそれでも人の手で作られていたわけで、職人の経験なり当時の知見なりで耐震にも配慮されてはいるでしょうが、現代の基準に合致しているかどうかは別の話です。で、「昔からの食べ物」は人の手が入ってない産物なのですから、もっと全然、配慮なんかされていないんです。


 だーからそのあたり、安全かどうか実体験で調べて、危険なものは淘汰されてきたわけでしょ、てな話なんでしょうけども歴史的な経過で排除できる「危険な食べ物」ってほとんど急性毒性が強い食べ物に限るのです。つまり毒キノコとか、食べてすぐ症状が出るものです。
 そういうのは現代の食品においてはもう問題外で、昨今問題になっている食品の安全性とはほぼ慢性毒性についての話です。長期間食べ続けて、健康に悪影響が無いかどうかと言う。代表的なのは発ガン性です。残留農薬基準も慢性毒性に対応した基準です。で、慢性毒性が強い食べ物に関して、歴史のなかではあまり排除できていません。


 なぜなら人類史で、ほんの100年ほど前まで人はもっと早死にだったのです。つまり慢性毒性なんか問題になっていなかったのですね。その前に死ぬから。
 人が長寿になってガン死が増えて、つい最近やっと慢性毒性が問題になりだし、慢性毒性に対する考え方や安全性についての対応が出来始めたのです。で、人工甘味料やら何ちゃらそういう時代になってから作られたものは最初からその安全性に配慮しながら作られるから、そっちのほうが安全だと言うわけです。


 ま、途中で『「昔からの食べ物」は人の手が入ってない産物』とか書いちゃってますが、実際にはもちろん、現代の栽培作物はほとんど品種改良してるわけです。本当に「昔からの食べ物」なんかもうほとんど食べられていない。当然今のもののほうが安全です。代表例はジャガイモやキャベツでしょう。昔のキャベツは食べ物ですらなかったので。で、それでも普通の食べ物はまだ解明され尽くしているわけではありません。もっともしようともしていないと思いますが。


 そういうわけで、危険なものは歴史で排除してきたはずだから今の食べ物は安全なはずだ、というのは感覚的にはよくある話ですが実際にはそんなことは無いのです。どの分野でも似た話はありますが、「安全」と言う概念そのものがけっこう新しいものかもしれない、と思うことは大事です。