「農業経済に詳しい専門家」などがよく言うことですが、


米価を下げて零細農家を潰し、そのぶん農地を大規模専業農家に集めれば農家の収入は増え消費者も安い米が食べられ八方丸く収まる


 てな話があり、納得している方もそれなりにおられるようです。理屈の上ではそう間違っているようには見えないのですが、私に言わせれば、これはすでに実行されて、しかも完了しています


 実は米の生産者手取り価格ですが、20年前は現在の1.5倍近くあったというのは皆さんご存知でしょうか?しかも、これは額面の上だけでの話であり、物価や通貨価値のほうも考慮すれば実態の収入はもっと多かったと言えます。
 では20年前の農家は、現在の1.5倍以上の収入でわが世の春を謳歌していたのでしょうか?というとそうでもなく(豪農と呼ばれる人はいましたが、今でもいる)、今よりは楽をしていたでしょうがそれほどお金持ちばかりというわけでも無かったです。なぜなら、今に比べると耕作面積も生産量も大したことが無かったからです。


 20年前の専業農家は、今の感覚で言うところの中規模農家のようなものでした。で、20年かけて米価はだんだん下がってきました。その過程ではもちろん、現在農業経済評論家が言うように淘汰があったわけです。大規模化への道を選ぶか、あるいは農業を辞めるかです。農業を辞めた農家が作っていた農地は大規模化を目指す専業農家が借りて(買って)作る事になりました。
 今現在、中規模農家は絶滅し、圧倒的大多数の零細ウィークエンド農家と大規模専業農家にほぼ二分されています。そしてその生産コストにはもちろん開きがあります。専業農家は零細農家よりも低コストで米を作ることができています。


 というわけで、農業経済評論家が言うような理想はすでに達成されてはいないか?と思うのですが、なぜかここからさらに米価をドラスティックに下げようと考えているようです。評論家の皆さんは思い違いをしています。現在の米価はすでに、大規模専業農家の生産コストを基にした価格になっているのです。これ以上下げたら、大規模農家でも再生産不可能になり、潰れます。


 言い方を変えると現在の米価はすでに、小規模零細農家では赤字なレベルになっているのですが、ではなぜ未だに小規模零細農家が大量に存在するのか?というと答えは簡単で、趣味あるいは暇つぶしでやっているからです。趣味なんだから、お金を払ってでもやるんですよ。
 暇つぶしのほうはある意味ではもっと深刻で、つまり小規模零細農家とはどんな人たちかというと、田舎ですでに仕事を辞めた爺さんや婆さんたちです。子供も別居だし、もうほかにすることが無いんですよ。日がな1日家でボーっとするくらいなら、田んぼや畑を持っていて作り方も知っているなら、暇つぶしで農業します。

 赤字と言ってもそもそも小規模なんだからたいしたお金を払うわけでもありません。黒字にすることを目指していません。収穫物は自分と子供と親戚でタダで分け、どうしても余った分はJAに出してお小遣いにします。


 ところが専業農家にとって農業は趣味でやるわけではありません。収入が見込めなくなったら辞めます。最近は、それなりの規模の農家でも辞めるところが増えてきました。農業経済評論家は、価格が下がればやる気の無いところは撤退していくといっていますが、実際は「過剰なまでに」その通りになっていて、んで別の場所では「農業後継者の不足が深刻だ」とかいっています。当たり前でしょ。そもそも辞めさせるように仕組んでいるんですから


 こういう話をしていると、いやあ専業農家だけを見れば収入1千万を超えるところもごろごろあるんですよ、なんて言っている人がいます。いやよく考えてみて欲しいんですけど、その収入とやらが売り上げなのか粗利益なのか知りませんが好意的に見て粗利益だとしても、一戸あたりでしょ。3人で農業やってるとしたら、一人アタマ300万くらいです。50代男性の年収が300万円ってかなり寂しくないですか?
 ・・・というと均等割りなんだから一緒にやってる50代女性でも年収300万だろ、とかいわれそうですがこのおかーさんだってパートタイマーじゃないですからね。しかも一人リタイアしたら経営規模を一気に2/3しないといけません。子供を、一人で500万稼げる仕事に就けたいと思うのは当然でしょう。
 しかももちろん、この数字は現在の米価での話なわけです。米価を下げたらどうなるか?言わなくても誰でもわかります。


 でまー農家への戸別補償とか言うわけですけど、どう考えても、公平な制度になると思えない。てな話は次の課題にします。