予兆 | 母は脳腫瘍

予兆

元気いっぱいの母。
お出かけも大好き、遊ぶのも大好き、食べるのも大好き。
ところが2008年夏ごろから倦怠感を訴え、今まで楽しんでいたこともなんだか楽しくなくなったと。
父が完全退職して、自宅にいるようになったせいかもね、なんて冗談を言っていたころ。

それまで何度かダイエットに挑戦しても、リバインドしてうまくいかないー!なんて文句を言っていた母の体重がじわりと落ちてきました。
夏バテ?年齢のせい?
でも、心配だからお願い病院に行って!と、無理やり受診させたのですが、「糖尿病の境界線ですね」との診断。
血液検査やレントゲンも撮ったそうです。
生活指導を受け、お薬をもらって一ヶ月後の様子を見ましょうと言われて帰ってきました。

私は実家の両親が住むところから車で20分程の所に住んでいるのですが、フルタイムで働いていることと子供二人の用事などでバタバタしていて、電話では毎日話していましたが、実際には頻繁に会えない状況です。
電話で話していて、「あれ?」と思ったのが、数字に関すること。
「今日6番に起きたんだけど・・」6時と言うべきところを6番と話して気付かない。
自分の年齢を38歳と何度も言い間違える。(本当は68歳です)
体温を測ってしばらく経ってから、「今朝の体温は34度だった」などということもありました。
「体温34度じゃ低体温で死んじゃうよー」なんて言っても特に反応はなく、私もただの言い間違え?と納得していました。

ある日、たまたま母と外食をした時にお箸の持ち方がおかしいのに気づき、「ママ、右手怪我でもしたの?」と聞くと、「最近うまく動かなくなった」と言いました。
お箸の持ち方はちょっと変ですが、試しに握手をしてみるとしっかりと握力もあり、じゃんけんも不自由なくグーチョキパーが出せました。

11月に入り、やはり言葉が改善されない(どころか、悪くなっていると父は言っていました)ため、母も自ら痴呆を疑いかなり深刻な状況でした。悩んでいても仕方ないよ!と、慈恵に予約を取り、まずは神経内科を受診。
そこで、アルツハイマーの診断テストのようなものを受けました。
ところが!
まず、自分の名前が書けない。
今日の日付が言えない。
今自分がいる場所(病院ですよね)が言えない。

付き添った父も焦ったそうです。

診断は「かなり進度の速い痴呆と思われる。」
それを母の前でハッキリと言ったそうですメラメラ 
当日は他に血液検査だけして、次の週に脳波、来月にCTとMRIの検査の予約をして自宅へと帰っていきました。

その晩、母は眠れなかったそうです。
痴呆へと向かっている自分をどうしていいのか、悩みに悩んだそうです。
「本当に分からなくなる前に死のうと思ったのよ」と、後日母が話してくれました。

父も眠れなかったようです。
自分が母を最後まで看取る心の準備をしていたそうです。
進行したアルツハイマーの状態の母を置いて、先に逝けないと。

一週間が経ち、脳波の検査を受けている最中、検査技師さんが担当医を呼び出しました。
左側の脳波がおかしいと。
すぐにCTの検査。
神経内科の先生から「脳腫瘍と思われる」と言われ、脳外科へまわされました。
父はその際、先日の診断(進度の速い痴呆)ではないのか?と確認しました。
神経内科の先生は「腫瘍が正常な脳を押している状態。これが原因だった」と教えて下さったそうです。

ここから母の脳腫瘍の闘病が始まります。