老人保健施設とは、短期入居やデイサービスの施設です。
通常2週間~3ヶ月で出て行きます。
例えば家族が留守にするちょっとのあいだ泊まるとか、
ケガなどで自宅での生活が一時的に難しくなった時とか、
友達との交流のためだとか。
そして医師や看護師が常駐しているのも特徴です。
施設はできたばかりでとてもキレイで、ホールには大きな水槽があり、
熱帯魚が泳いでいました。
母は4人部屋に入りました。
ベッドには身の回りのものを置ける棚が付いていて、
わずかなプライベート空間もありました。
ちなみに病院ではないので希望者にはお酒も出ます。
面会は出入り自由で、家族もちらほら見えました。
痴呆の人を預けている家族の中には、
「家族の顔を見ると落ち着かなくなるから」
という理由で、遠くから顔を見るだけで、会わない人もいました。
そんな様子を見て、母は嘆いていました。
時間になるとピアノを弾いてくれて、みんなで歌ったり体操したり、
折り紙やゲームなどを楽しんだりしていました。
面会者も参加できました。
これらは簡単なトレーニングも兼ねていました。
大人しい母も、だんだん友達ができ、友達の影響で
百人一首を買ってくるように頼まれました。
友達に名人がいるそうです。
友達と言っても皆20歳以上も年上です。
母は老人ではありませんでしたが、脊髄小脳変性症と潰瘍性大腸炎のため
顔意外の見た目はお婆さんのようでした。
動作も機敏ではないため、元気なご老人に活力をもらっているようでした。
持ち物には全部名前を書かされました。
そうしないと無くなるからです。
悪意を持って盗む人はともかく、痴呆で分からなくなってしまう人もいますし、
知らずに他人のものを使ってしまうということもあるからです。
でも名前を書いていても無くなる事はありました。
当時母は動きやすいジャージを着る事が多かったのですが、
そのズボンだけ無くなって、痴呆のおじいさんがはいていました。
どういう経緯でおじいさんがはいていたのかはわかりませんが、
それは確かめることもせず、あきらめることにしました。
母の兄が、おじいさんをみて、
「オムツであんな股がもっこり大きくなったズボン、オマエはきたいの?
オレはヤダね~!新しいの買ってやるよ!」
と笑って言いました。
伯父のジョークはいつもギリギリのブラックでしたが、
母もそれを聞いて笑ってあきらめました。
母はとても繊細で、自分のものを他人が使っているという事にショックを受けていましたから、
その笑いでとても救われました。
また、そういう繊細な心を伯父は知っていたのだと思います。