「旦那はかわいそうだから去勢しなくてもいいとうけど、隣の佐藤さんにはした方がよいと言われ悩んでいます」(千葉県 35歳 主婦)、「隣のクラスの鈴木君の飼っているモモちゃんのお母さんは子供を生まないなら避妊手術をしたほうがいいわよ!と言われてしまいましたがどうしたら良いのかわかりません」(世田谷区 17歳 女子高生)という2通のお問い合わせメールについて解説します。少しピントがボケるかもしれませんが、家族会議の一助となれば幸いです。


卵巣だけを取り除くか、卵巣と子宮を取り除くか、両方取らないべきか、さあどうする?

避妊手術には大きく分けて2つの手術方法があります。

 1)卵巣のみ摘出する卵巣摘出術(OVX)

 2)卵巣と子宮の両方を摘出する卵巣子宮摘出術(OVHX)
どちらもメリットとデメリットがあり執刀する獣医師によってどちらの手術方法を選択するか分れます。
卵巣子宮摘出術(OVHX)は卵巣摘出術(OVX)に比べ、多少時間がかかり、術創がより大きくなる傾向があり、動物たちにとって不快感が増加しやすいと言われています。
卵巣子宮摘出術が推奨されてきた理由の一つは卵巣だけを切除して子宮を温存した場合に危惧される子宮疾患の発生率を下げるためです。しかし、特殊のホルモン剤(プロゲストゲン)を投与しない限り、卵巣だけを除去した雌犬に嚢胞性子宮内膜過形成-子宮内膜炎のような状態がおこる証拠はありません。

確かに副腎からの性ホルモンが影響して子宮蓄膿症を引き起こす可能性があると考えられていますが、最近の研究で卵巣摘出術(OVX)でも子宮蓄膿症の発生率に影響しないということが分ってきました。また避妊手術の副作用・後遺症の1つとして術後の尿失禁(エストロジェン反応性尿失禁)についても最近の研究で尿失禁の発生率は卵巣摘出術(OVX)と卵巣子宮摘出術(OVHX)のどちらの術式でも直接的な関係はないことが結論付けられています。

しかし実際、避妊している場合に多く発生していることは否めず、またこの尿失禁は小型犬(20kg未満)より大型犬(20kg以上)の方が発生率が高いという結果は出ています。しかし尿失禁の原因は多岐に渡り可能性がいくつかあるので避妊済みの大型犬が尿失禁したら避妊手術による尿失禁を疑う前に他に考えられる原因を追究することが一般的です。


「不妊手術をすると太る」という風説は本当か?
時期にかかわらずに手術をすると、不妊手術をすると、しなかった場合に比べて施術後に1日当たりのエネルギー要求量が有意に減少し、体脂肪と体重が有意に増加することが分っています。施術後の体重増加は、適度の運動、低脂肪、低カロリー食を与えることにより低下するので必要以上に心配する必要はありません。


犬と猫における早期の去勢手術に関する現時点でのエビデンス
早期不妊手術の副効果について通常の年齢(7ヶ月)での中性化と若齢(7週齢)での中性化において明らかな差が無いことが報告されています。

雄猫の早期の去勢手術によって、尿路が狭くなるため、尿石症・尿路閉塞のリスクが高まると考えられていましたが、最近の研究で因果関係が否定され、早期去勢によって尿石症・尿路閉塞のリスクが高まることはないと考えられています。

また早期(<5.5ヶ月齢)に去勢手術を行うことにより膿瘍、獣医師に対する攻撃、性的行動、尿スプレーの発生は低下することが分っています。問題行動の改善に関しては明確なエビデンスはありませんが、早期の去勢手術を行なった方が性ホルモンが影響する問題行動の改善に大きな期待ができるように感じられます。

ところが早い時期から攻撃性が問題になっている雌犬に関しては、避妊手術によって悪化するケースが報告されているので、その様な場合は獣医師とよく相談する必要があります。

一方、早期不妊手術を行った犬では分離不安や怖がったときの不適切な排泄は減少するとも言われています。


避妊手術を受けないと乳がんになるのか?
避妊手術の時期が乳腺腫瘍の発生率に影響するという事実が浸透していることが影響しているせいか、雌犬が避妊手術を検討する場合、飼い主様が最も気になる病気が乳腺腫瘍(MGT)です。

初回発情の前か後のどちらで避妊手術すべきかなのか?という命題に対して科学的な根拠の得られた回答はありません。しかし乳腺腫瘍だけにピントを絞ると、腫瘍の発生率を減少させるためにはやはり早期の避妊は推奨されています。
初めて発情を迎える前に避妊手術をすると乳腺腫瘍の危険率は0.05%と抑えられ、発情を迎えるたびに危険率が上がり、1回目の発情後では危険率8.0%、2回目の発情後では危険率26%と予防効果が減少し、
4回目の発情を迎えるか、2.5歳齢になった時点でその予防効果はなくなるというデータは有名です。

このように避妊手術の時期によって確かに乳腺腫瘍の危険率が変わるというデータがあります。逆に意味が分らなくなるかもしれませんが、シートベルトをしていれば100%事故に遭遇しないという理論と同じで、避妊手術をしていない老齢の雌犬が必ず乳腺腫瘍になると言うわけではありません。


gg タマタマを取り除くとどうにかなってしまうのか?

雄の去勢手術は、タマタマ(睾丸)を取り除く手術です。
当然ですが睾丸そのものを取り除くので、高齢になって起こる“かも”しれない睾丸の腫瘍に関しては100%予防する効果があります。生物学的に本来“標準装備“されている睾丸を取り除くと、問題になるのではと心配されるかもしれませんが、医学的に悪影響はないことが証明されています。
ヒトは前立腺肥大の治療やニューハーフに去勢手術を受ける場合があります。それだけではなく、カストラートCASTRATO:去勢された男性歌手)達が、去勢することにより男性ホルモンの分泌を抑制し、声変わり(男性は変声期後に1オクターブ下がる)前の声質(ボーイソプラノ)や高い音域を出来る限り持続させるために去勢手術をうけることもあります。一方動物の場合、現実論として去勢術に対してサディスティックな感覚を持たれるかもしれませんが、多頭飼育で望まれない子供の誕生や行き先の不安を軽減するためや性的興奮がストレスとなる場合は去勢手術をしてあげることが動物たちのQOLの向上につながることにもなります。これらのエビデンスを踏まえて早期不妊手術を考えると、リスクよりも多くのベネフィットがあると考えられます。


問題行動がある男の子が去勢手術をすれば100%解決するのか?
マーキングやマウンティングあるいは波乱万丈にローミング(徘徊)するといった問題行動を改善するのに、去勢手術は確かに有効であると考えられていますが、1/3以下しか著しい改善を期待するには至りません。従って去勢手術をすれば100%問題行動が解決する訳ではないということを知っておく必要があります。


「♪Don't stop my love~恋を止めないで~ 」は吉川晃司(COMPLEX)の名曲ですが、例え動物たちに避妊・去勢手術を受けさせたとしても、メリットとデメリットをしっかり把握した上で最高家族会議で全会一致で採択された決議案であれば隣の佐藤さんの奥さんが何と言おうと、その家庭にとっては「正解」ですので、決して“コンプレックス”に思う必要はありません・・・

文責 はぐれ獣医


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