祖父、福太郎を偲ぶ
今日4月1日エイプリールフールは、私の祖父、福太郎の命日。3年前、例年より早く満開に咲いた桜に見送られるように逝きました。
生前、自分の亡き後には銅像を建てろと言っていた祖父福太郎。残念ながら銅像を建てる程の功績は見当たらないので、その願いは叶えておりませんが、エイプリールフールに自分の最後を選んだのは、やはり自分の死は嘘である。俺は永遠に生きている。俺を過去の人にするな。と言わんばかりの祖父の思いが感じられます。
毎年満開の桜を見ると、祖父のことを否応なしに思いだしてしまうのも、福太郎の策略か・・・
私の娘二人の誕生日が、いずれも祖父の誕生日と同じ3月12日だということからも、自己主張の強さ、忘れられたくないという執念のようなものすら感じられます。
戦時中、陸軍の特攻隊だったにも関わらず、配備される予定だった宮古島に向かう途中、敵機に襲撃され船が沈没したことから、幸運にも特攻を免れた祖父。
祖父が所属していた部隊
広島に原爆が投下された当日に、広島市内に入り救助活動を行い被曝した祖父。
生死の境を彷徨うような過酷な状況を経験しつつも、3年前86歳まで逞しく生き続けた祖父。
銅像を建てる程の功績は見当たらないけれど、生きることへの執念は、人一倍強かったのかもしれません。
だからこそ、命日がエイプリールフール。
嬉しいことも、楽しいことも、幸せなことも、
人を喜ばせることも、楽しませることも、幸せにすることも、
全ては生きてこそ。
そんなことを、自身の生き様、死に様を通して教えてくれた福太郎じいさんでした。
今年の桜はまだかな~。