確実に先行研究があるんだろうけど、そこらへんは調べてないのでご容赦を。
最近になって『ウェブ2・0時代の知=集合知=ボトムアップの知』ってことに気付いた。
これはすごい変化だ。まさに革命!
今まで『知』は主に(西洋の)大学等の専門的機関のヘゲモニーの中で作られ変化していった。
この『知』には歴史も含まれる。だから西洋以外の歴史は、西洋を基準とした視点で評価されて
いったし、いまでもそうだ。つまり『歴史=西洋の視点からみた歴史:』ということだ。かなり乱暴な
話なのはわかっている。でも『評価』というのは評価する側の権力を再生産する、ということは留意
すべきだろう。戦争に対する評価が勝者の正当化という事実を考えれば、歴史は常に流動的で
ヘゲモニーから逃れられない。ニーチェがずっと前に言っているように。
閑話休題。
とにかく今まではアカデミカルな『知』を人々が受け取る、というトップダウン的な『知』が主流だった。
でも今は違う。何が違うのかというと、ウェブ2・0時代で人々が容易に知識や意見の交換・構築がで
きるようになる中で、より多くの支持を持ったものが『知』として記録に残っていくようになったということ
だ。これは『知』の革命だ。まさに知の民主主義化。ヘゲモニーの民主主義化。
wikipediaの例がその顕著な例だけど、確実に『知』はボトムアップの方向に進んでいる。ネットに繋ぐ
人が増えていくごとにその傾向には拍車がかかるだろう。
やはりというかなんというか、この状況に大学側や知識人は反発している。大学によってはwikipedia
を試験やレポートで使用することを禁止している所もあるし(理由は曖昧である/改変の可能性があり
確立していない等)、知識人の多くは集合知=民衆愚ということを盛んに唱えている。
これははっきりいって既得権益を守るのに必死だ、というしか言いようがない。『知』を創り記録していく
のが、大学や知識人だけに限定されるべき理由がないからだ。倫理を持ち出したがるのはわかる
けれど倫理すら思想の一つでしかない。
もしかしたら言葉が経済学で語られたように、『知』が市場原理で語れるようになる時代が来るかもしれ
ない。この考えの是非も市場原理というヘゲモニーに組み込まれそうだけど。
ぐだぐだ書いていったけどトップダウン的な『知』がなくなるわけではない、ということは強調したい。
ただそれは集合知の中の一つになって特権的な地位をなくしていくはずだ。
気温が高いせいで頭がオーヴァーヒートして、電波で穴だらけな文章書いてる気がする・・・
訂正・推敲するのもめんどくさい。あ~まじで暑い。