VEGE食堂・あらき家 WHAT A FUNKY LIFE~♪-20111008171301.jpg



2002年4月。

オヤジが

ダイビング中の事故で

最期を迎えた海。



嫁さんとまだお付き合いしているとき

一緒に来た前回から

およそ3年ぶりに会いにきた。

そして

10日後におっきな手術を控えている

次男・翔治郎の力になってやってくれと

オヤジにお願いしてきた。



9年前のその日

当時わたしはお江戸勤務。

確か日曜日の夜

お店をオープンさせてほどなく

ポケットの携帯電話のバイブがブルブル

コソっと見ると

発信元は妹

メールのやりとりはあれど

電話をかけてくることなんてないのに・・


バックヤードで電話にでてみると

泣きじゃくって喋れない妹に代わって義弟が

オヤジが舞鶴の海で

ダイビング中に行方不明になったと

伝えてくれた。


海上保安庁の方々や

地元の漁師さんにご協力をいただき

いろんな手段での捜索を試みたが

オヤジが発見されるまで

結局一か月の時間を要した。


ワタシとオヤジとは

仲が悪いということでは決してなかったのだが

頻繁に会うことはなかった。

ワタシの両親は離婚しており

どちらかというと

母の家に遊びに行くことが多かったのと

その気になったらいつでも会えると

お互い常にタカをくくっていて

畏まって会うきっかけがなかったような気がする。


でも

最期にオヤジと会った(呑んだ!?)日のことは

鮮明に憶えていて


オヤジが逝く前年の8月1日(PLの花火の日だったので・・)

翌月からのわたしのお江戸勤務が決まり

その気になってもいつでも会えなくなるので

3年ぶりにオヤジんちに顔を出してみた。


ん~~~

白髪も増え

ちとオヤジも歳とったな~~~

という印象が結構残っているのだが

その時に

当時オヤジと同居していた婦人(籍は入れてなかった)が

「しげはるさん(←ワタシの名前)からも言ってください!」

「ん?? なにをですか??」

「最近この歳でボンベ背負って潜りにいくんですよー」


そして苦笑しながら

「オヤジぃぃ~~ そろそろ歳考えや~~~ もう還暦やで~~」

って言ったら

「オレはなー 海で死ねたら本望やー 魚の餌になれたら幸せやー」

だとさ。


ある意味

本人には幸せな最期だったかもしらん。



オヤジが逝った当時は自分を慰めたもんだ。



ずっとずっと

トレーラーの運転手だったオヤジは

煙草やらず

博打せず

しかし

底なしにビールを呑んで

そして

自然や動物が大好き。

ガキんころよく殴られた記憶があり

ワタシには怖い存在のオヤジであった。


今回初めて

支えてくれている嫁さんと

愛する子供二人をオヤジに紹介できた気になり

なんとなく

今二児の親としての感謝と

相反するテレが複雑に交錯して

自分自身でもビックリするくらい

感傷に浸ってしまい。。。



そこを離れるとき

玲史郎が海に向かって

「おじいちゃんバイバイ~ またね~」って叫んでくれたときは

溢れるのを堪えるのに必死になっちゃった。



あらき