今回は、キューバ革命関連の記事ついでに、昨年たまたま得た情報について。

 

去年の11月頃かな?

仕事以外はほぼ引きこもり生活を送っていてストレスがMAXだったので、

気分転換にスペイン語のオンライン授業をトライアルで受けることに。

 

 

私は旅で使うレベルのスペイン語を少し知っている程度なので、(どんどん忘れている最近だけど)

がっつりスペイン語の指導を受けたいというのではなく「旅行中の雰囲気を体感したい!」と思い、ゆる~く日常会話を話してくれる先生を!とお願いしました。

 

 

指定された時間にオンラインで対応してくれた先生は、ボリビア出身のメキシコ在住の方で、スペイン語、英語、日本語がペラペラで、理解に困ったら日本語で聞けば日本語で返ってくるという、とても話しやすい方でした!

 

 

2・3年前の中米旅行の話をしながら、「キューバで革命関連の場所を回ったから、次はボリビアを旅行してゲバラの遺体が公開された病院の洗濯場を訪れたい。そこで革命の旅を終えたいと思っている」と伝えたところ、

 

「実は、ゲバラは捕まる前日に私のおばぁさんの家で食事をしたんだよ。食事の後に山中でボリビア軍に捕まって、翌日銃殺されたんだ。

だから、おばぁさんの料理が彼の最後の食事になったの。

 

おばぁさんの話によると、彼は素晴らしい人で、食後にお金を置いていってくれたって。

彼については様々なことが言われているけれど、私が周囲から聞いた限りでは、彼は本当の革命家だったと思う。」との返事が返ってきました。

 

 

「ええ~っ!!!こんなところでまさかの?!」とびっくりしつつ、貴重なエピソードを直に聞くことができ大感激でした。

日本からオンラインでつながった初対面の方から、こんな情報をいただけるなんて本当にありえないなぁと。

 

キューバ旅行中に革命の土地マンサニージョを訪れた際にも、乗り合いトラックの隣に座っていたおじさんがゲバラ、カストロと共に戦った地元の革命戦士の甥っ子にあたる方で、色々話す中で意気投合しておじさん宅にホームステイしてエピソードを沢山教えてもらったのですが、ここにきてまたこんな偶然って、、、と内心びっくり!!

 

 

ここまでくると、一方的に不思議なご縁を感じずにはいられなくなってくるのですが、そのさらなる理由についてはまた今度書きたいと思います。

 

 

 

※画像は、コロンビア人の友人にクリスマスプレゼントにもらったスペイン語の本でDVD付き。

今年、来年はとてもじゃないけれどスペイン語の勉強まで手がまわらないよ~( ;  ; )

いつになったら取り組めるやら。。