20年ほど前に働いていた職場で、実際に目にしたターミナルケアについて、今回は書きたいと思います。

 

 

どこの病院でも、看護師が入院した患者さんに対して看護計画というものを立案するのですが

 

※看護計画

(入院中に考えられる大きな問題をいくつか立案し、それぞれの患者さんの入院生活の中で、実現可能な細かいプランを立てて、実践、修正、評価するもの)

 

例えば、痛みの強い患者さんであれば

大きな問題の一つとして

♯1安楽の変調、疼痛とか

 

長期の入院生活に関するストレス、感情の落ち込みなどが見られている患者さんであれば、

♯2気分転換活動とか、

 

複数の考えられる問題を浮き彫りにしていきます。

 

 

今回書くのは、患者さんは、まだ10代の女子学生で

担当看護師は、私の先輩が関わったケース。

 

 

いわゆる難病で、早い段階から家族には厳しい状態であることは、医師から伝えられていました。

 

 

まだ10代で多感な時期にあり、

学校に通うこともできず長期入院が必要な状況。

積極的な治療の希望が聞かれ、手術行うために剃毛(髪の毛を切ってほぼ丸坊主にしたり)

手術による麻痺や神経障害が手足にでて、車いす生活となったり

抗がん剤を用いた化学療法を行って、副作用に悩まされたり、

急性期の外科系の病棟ということもあり、頻繁に行う苦痛を伴う検査、治療などを行っていました。

 

本当に、周囲から見ていても、

あの若さで良く頑張っていたと思います。

 

 

完治は困難なケースだったので、日に日に全身状態が低下して

患者自身が自分で出来ることが少なくなっているのを自覚している中で、

 

先輩看護師が、彼女に今一番したいことは何かを聞いたところ

「ディズニーランドに行きたい」という返事が返ってきました。

 

そこから、その先輩看護師は主治医に掛け合い、

師長やベテランの看護師に相談し

病棟のカンファレンスにかけて皆で話し合い、

その後、彼女の家族に掛け合い、

 

結果、先輩看護師と主治医の好意から2人の休みの日を利用して

患者家族と一緒にディズニーランドへ出かけることに。

 

 

当時の彼女は、車いすが手放せなかったので、

ディズニーランドへ行ってもアトラクションに乗ることはほとんどできなかったそうですが、

念願だったディズニーランドへ行くことができた、ということで

とても満足され、家族や医療者と共に楽しい時間を過ごすことができたそうです。

 

病院に戻ってきた彼女は、今まで見たことがないような表情でイキイキと私たちに その日の出来事を話してくれたのですが、その時の表情が今でも忘れられません。

 

 

外出に伴う急変の可能性などを考えると、家族付添だけでの外出は困難な状況でしたが、

医療関係者が勤務時間外で連携して同行したことで彼女の夢を叶えることができたのだと思います。

このケースは、20年近く看護師をしている私にとっても大変稀なケースで今でも忘れられません。

 

 

当時、常軌を逸するほどに多忙で残業続きだった部署で、

自分の限られた休みを返上して、患者さんに同行する医療関係者なんて、正直そうそういません。

 

 

あのメンバーだったからこそ共通理解がなされ、実施できた貴重なケースだったと思いますし、

彼女の抱いていた複数の夢の中でも唯一実現可能な状態にあったのが今回の外出だったので、皆が「何が何でも叶えてあげたい!!」と感じて動き出したのかもしれません。

 

 

 

患者さんの病状と外出可能なタイミング、

患者さんと家族の希望を叶える支援体制、

医療関係者と家族の連携、

 

そういったものが全てうまくいったからこそ実現した

ターミナルケアの一例だったと思います。

 

 

今の時代、もしも こんなことを職場で医療関係者に提案したら、

現在の医療現場での考えや風潮からは、

 

「特定の患者だけに、こんなことをするの??

1人の患者にしたら、他の患者にも しなくてはならなくなる。

噂を聞きつけた他の患者や家族に、なんでうちにはしてくれないの?って言われたら、あなたはどう責任をとるの?

特別扱いはできない。

それに、したい気持ちはわかるけれど、現実問題として

そんなことをしている時間はない。」

 

 

みたいなことを、きっと大方言われてしまうんだろうなぁ、と思います。

特に規模の大きな病院や急性期メインの病院であれば、あるほど。

 

 

医療安全や危機管理の教育が医療・介護現場に浸透したことは良いことだと思うのですが、

 

☆患者の個別性にあわせた看護を行う機会が、皆平等という言葉のもとに早い段階で制限されること、

 

☆スタッフの患者さんに対する愛や奉仕の心からくるプラン作成やケアが、行う前から頭ごなしに否定されてしまうこと、は

 

多くの現場で目にするたびに、私個人としてはなんだか

やるせない、悲しい気持にもなります。

 

 

行えるケアが制限された中で、残されたケアを実践する可能性や機会さえも阻まれてしまうことは

患者やその家族が心おきなく死を迎える準備をする上で大きく影響しますし、

医療者側のモチベーションの低下にもつながると感じています。

 

 

もちろん、平等は大事なのですが、

 

平等=優先順位が異なる患者さん達に対して、皆に全く同じケアを行う

ということではないわけで、

看護とは、それぞれの患者さんでケアが異なることであり、そこをきちんと頭ではなく経験から心のレベルで理解していないと

 

今蔓延している、マニュアル第一の思考から外れた柔軟な考え方を受け入れられないし、発想することさえできないと、個人的には感じています。

 

マニュアルはもちろん大事なのですが、理解の仕方と使い方次第で大きく変わってきてしまうのです。

 

 

ターミナルケアから 少しずれてしまいましたが、

今回書いたような現場に新人看護師として配属され、学び、一緒実践した機会をもった者としては、

こういった患者さんの個別性に応じた看護を大事にし、

提供している現場に今後も関わっていきたいと思っています。