おとといのパーティ中、

DJの写真を撮ろうとケータイ片手に画面に夢中になっていたワタシ(笑)

 

いい感じに撮れるアングルを探していたら、

DJブース横に細長いベンチがあったので、

そこを足場にして立ち、パチリ‼

 

 

 

 

 

 

「うーん💦

なんかもっといいアングル無いかなぁ。。。」

 

 

 

 

 

と、ケータイの画面に意識を集中したまま歩きだしたら。。。

 

 

 

 

 

 

ズドン!

 

 

 

 

 

というデカイ音と共にベンチから転げ落ちたワタシ(爆)

 

その瞬間にシャッターを切ったらしく、

 

 

こーんな写真が写っていた~~(笑)

 

 

 

 

落ちながら撮ったから光が横に流れとる~~(笑)

 

 

 

 

その音に驚いて振り返ったDJさんと、

その場にいた人(友達)にビックリされつつ助け起こされた(笑)

 

 

 

 

 

そして笑われた~~ヾ(≧∀≦*)ノ〃

 

 

 

 

 

 

いやなんかワタシ、

こんなコトよくあるんだよね~~(笑)

 

 

 

 

 

 

いくら写真撮るのに夢中になってるといってもフツー、

高いところに上がったら下りるとき気をつけるでしょっっ‼

 

 

でもワタシの場合、

夢中になってたり集中してたりするとそれだけになってしまい、

こーゆーフツーなら起こらないようなコトを引き起こしてしまう(笑)

 

 

 

 

思い出しても恥ずかしさより可笑しさの方が優位で(笑)

なんかワタシらしいなーと思ってしまうんだ~~(笑)

 

 

 

 

そしてその時に思ったのが、

こんな日常のフツーのコトができないワタシなんだから、

そりゃ人生を生きるのが難しくなるのは当然だよなぁ~~ってコト(笑)

 

 

 

 

 

ワタシは子供の頃から生きるのをとても難しいと感じてきた。

 

 

 

 

 

その思いは自分の劣等感にもつながってたし、

自己否定感にもつながっていた。

 

 

 

なんで他の人がフツーにできるコトが、

ワタシにはフツーにできないんだろうと。。。

 

 

 

そこにはもちろん、両親がワタシを否定的に見る目の影響も大きかった。

 

 

ワタシにはみんながフツーにできる学校に行くというコトさえ、

できなかった時期があるんだ😁💧

過去の参考ブログ「学校なんか行きたくなーい」参照

 

 

 

 

ワタシはフツーの人ができるフツーのコトができないんだから、

フツーの人ができないフツーじゃないコトができるようにならなきゃいけないっ❗

 

 

 

 

そんな強迫観念めいた強い思いが、

長くワタシの中にはあった💦

 

 

 

それは確かに努力という点では原動力となっていたかもしんないけど、

常に強い不安がある状態でもあるから

フツーに生きるのがホントに辛かった💦

 

 

 

ワタシに出来ることで生活を成り立たせなきゃならない❗

 

 

 

 

と、18歳で家出してからずーっと自分を追い込んでいて、

さらに生活苦がワタシにとっての日常のフツーともなっていた。

 

 

それにも疲れはてた今年の春。

自分が壊れかけてから、

そういった認識の大元が形を崩しはじめ、

ワタシに新しい認識が入ってくるようになり、

劣等感や自己否定感などがやっと、ここんとこ薄らぎつつある。

 

 

 

 

 

とはいえ現状は相変わらずワタシを評価してくれる人たちがいてくれる一方で、

身内はワタシのコトをまったく認めてくれない💦

 

 

 

 

 

その否定的な見方により、

ワタシはかなり傷つけられてきた😢

 

 

 

 

例えばそれは、先々週の酷い捻挫としても表れた。

 

 

スンゲェ痛みで、マジ泣いたんだけど(笑)

これは体からのメッセージだった。

過去ブログ「捻挫は体からのメッセージ」参照

 

 

この過去のブログにも書いたけれど、

スピリチュアル的にこのときの捻挫は、

「自分のいる環境に対して不満があるようです。

自分はその場所に居場所がないと思っているかもしれませんし、

居心地の悪さを感じているかもしれません。

 

その苦しみの度合いがどれくらいであるかを自分に教えるために、

あなたは捻挫を引き起こしたのです。」

という解釈となる。

 

 

つまり父親の

「今夢中になって一生懸命やっているフード出店というのは

儲けることもできない単なる遊び」

という否定的な見方に影響を受け、

心の奥底では罪悪感を感じていたり、自己否定感が生まれているということを

体がワタシに知らせるために捻挫を体験したということなんだ。

 

 

それを体が痛みと引き換えに教えてくれたのは、

そういう父親の見方に影響を受けて

自分を否定的に捉える必要が無いことを伝えたかったんだろう。

 

 

体にとっては捻挫という短期的な怪我の痛みよりも、

自分を否定するという長期に渡る心の痛みの方が耐えられなかったんだろな💦

 

 

 

せっかく気づいたんだから、

もう後戻りするのはやめなよ!

というコトだ。(笑) 

 

 

 

 

 

 

 

実際おとといのパーティでは、

ワタシの料理目当てに遠くから足を運んでくれたお客様がいたり、

ワタシの料理に衝撃を受けてくれたりするお客様がいて、

めっちゃ光栄な気持ちでいた。

 

 

数字的にも成立した仕事だったし、

素晴らしい音体験に魂が震えっぱなしで

充実感、達成感、幸福感はハンパなかった💕

 

 

 

 

ところが朝帰宅すると、

両親はその興奮に冷や水を浴びせるような反応しかない💦

 

 

 

「どんちゃん騒ぎ」してきたという認識なんだよねぇ。。。(笑)

 

 

 

こういう否定的な目に影響を受けないようにという目下のミッションを遂行すべく、

きのうは早速修行に勤しんだワタシ(笑)

 

 

 

帰宅してみれば、

二階の弟の居住スペースで会社の人たちを招いてBBQするということで、

応接間で寝泊まりしているワタシに父親が

「社員たちに恥ずかしいから寝ないように!」とのお達しがあったんだ(笑)

 

 

 

一晩中寝ずに仕事していたワタシの睡眠よりも、

社員さんたちの手前を優先する父親に怒りめいた悲しみが顔を出しそうになったけれど、

修行に励むコトで怒りも悲しみも感じない境地で過ごせた~~🙌🙌

 

 

 

しかし、さすがに体には負担かけたらしく、

月曜日の今日は一日中布団のなかで横になって過ごしていた💦

 

 

 

日中なのに起きてこないワタシに父親はまたしても否定的な言葉をつぶやいたけれど、

それにも反応しないでいることができた~~🙌🙌

 

 

 

最近のワタシは、

両親からの否定的な目に影響を受けることなく、

自分という存在を全うするコトに集中すべく意識している。

 

 

 

この目に影響を受けないようになれれば、

誰からの否定的な目にも影響されることはないから、

そーなれば今よりめっちゃ強くなれる✨

 

 

 

ワタシにとっては必要な修行だ‼

 

 

 

そんなコトを考えたりしながら寝ていたら、

夢で「独尊」という言葉が見えた。

 

 

この言葉は知らなかったので調べてみると

「天上天下にただ一人の、

誰とも代わることのできない人間として、

しかも何一つ加える必要もなく、

このいのちのままに尊い」

という意味だそう✨

 

 

 

なるほどね‼

誰一人として独尊でない人はいないんだ❇

 

 

 

他人は他人。

ワタシはワタシ。

 

 

 

そしてみんな繋がってひとつ✨

 

 

 

真理は否定も肯定も超えて、

ただ唯一であり、独尊であるだけなんだなぁ。。。

 

 

 

フツーのコトがフツーにできなくても、

そしてフツーじゃないコトがフツーにできなくても、

今のワタシにできるコトがあれば、

それでいいや(笑)

 

 

 

そのできるコトを誰かが否定しても、

また誰にも肯定されなくても、

自分がやれることがあるってだけで丸ごとオッケイだね💕

 

 

 

 

寝て過ごしただけの一日のように見えて、

実は真理を体験で学んだ貴重な一日だった❇

 

 

 

 

そんなことは父親は知らない(笑)

ただ寝てるとしか思ってない(笑)

 

 

 

そして、それでいいんだ~~🙆🙆

 

 

 

 

ワタシが分かることをわかっていれば、

それでいいんだ~~🙌🙌

 

 

 

 

自分のコトが、

そして真理がわかるって、めっちゃおもしろいなぁ✨

 

 

 

 

毎日が絵本の物語で、

一ページごとにテーマがあって、

ワタシはその物語の中でいろんな体験をしていく。

 

 

 

それが人生という遊びなんだよね~~(笑)

 

 

 

 

地球という蒼い奇跡の星で、

素晴らしく壮大な遊びの真っ最中にいるんだから、

そりゃ味わい尽くさなきゃ‼(笑)

 

 

 

悲しみや怒りはさんざん味わってきて食傷気味だから(笑)

これからは楽しみを味わっていこーっと(笑)

 

 

 

 

 

とーちゃんには悪いけど😁💧