カクシンハン「マクベス」 | VCE - Abito A Ghetto -

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感性と知性が財産です。

 カクシンハンの本公演を観るのは、今回が初めてでした。
 シェイクスピア作品のセリフを変えないという基本方針を、カクシンハンはずっと守り続けていますが、それらの言葉を伝えるための美術であったり、動作などの演出は毎回変化しています。例えたら、分子料理という演出が施された作品でした。シェイクスピアの言葉という素材を「料理」することは変わりませんが、その素材を調理する「方法」、「味付け」が毎回変わるのです。外見は白く冷たいムース(喜劇)かもしれませんが、味はがっつり獣肉(悲劇)の味がします。
 
 
 舞台は中世のスコットランド。反乱軍を鎮めた武将マクベスは、帰途の途中に3人の魔女に遭遇します。その魔女から、「マクベスがやがてスコットランド王になる。」、「同僚のバンクォーの子孫がその後にスコットランド王になる」との予言を、マクベスは受けました。
 マクベスがこの予言を、自分の妻(マクベス夫人)に手紙で伝えたところ、マクベス夫人はマクベス本人以上、マクベスを王にさせる野望が強くなっていきます。
 そして、マクベス夫妻はスコットランド王ダンカンを殺害します。ダンカンの息子であるマルコムと貴族マクダフは、隣国イングランドに逃亡します。その時、マクベスはスコットランド王となったのです。
 しかし、「バンクォーの子孫がその後にスコットランド王になる」というもう1つの予言に、マクベスは激しい不安と嫉妬を覚えていきます。マクベスは刺客を使い、バンクォーを殺害しましたが、バンクォーの息子を逃してしまします。
 マクベス夫妻が開催した晩餐会に、血まみれの亡霊バンクォーが現れ、マクベスは錯乱状態となっていきます。怒り狂ったマクベスは、イングランドに逃亡したマクダフと、その妻子の殺害を命令します。マクダフの妻子を殺害することはできましたが、マクダフはまだ逃亡を続けています。
 スコットランドの城では、マクベス夫人が精神を病み、自殺しました。夫人の自殺に、マクベスは孤独や不安に苛まれていきます。
 イングランドに逃亡したマルコムは、マクダフと共にイングランド軍を率いて、捨て身のマクベスを襲撃して、マルコムはスコットランド王位を奪還することに成功しました。
 
 今回のカクシンハン「マクベス」公演で特徴的だった、3点について書きます。
「1. マクベス夫妻の精神状態を最重要視した脚本と演出」;
 世間一般の演出家は、悲劇の悲しい部分を強調したく、「ダンカンの殺害」、「バンクォーの殺害」、「マクベスの殺害」を重点とした演出をすると思います。しかし、カクシンハンの演出では、そういった殺害の出来事はさほど重要ではなく、扱いは非常に軽いものでした。
 公演内容で最も時間を割き、強調されているのが、マクベス夫妻の愛、自己顕示欲、猜疑心といった精神的苦悩でした。次のポイントは、その精神的苦悩をどう表現したかです。
 
「2. マクベス夫妻の精神状態を映すゴミと死体」;
  マクベス夫妻がダンカンを殺害し、スコットランド王位を取って、それを記念する晩餐会を開催します。その晩餐会で舞台には一気にゴミが散らかります。ゴミだらけの舞台ですが、その瞬間は、マクベス夫妻にとっては自分たちの野望が果たせた、最も幸せだった時間でした。
「汚いは綺麗」という有名なセリフがここには当てはまっていました。
 しかし、マクベスが血まみれのバンクォーの亡霊を見た瞬間、舞台のゴミは捌けられ、マクベスは猜疑心と被害妄想に苛まれ、形勢が、マクベスから、マクダフ、マルコムへと逆転します。「綺麗は汚い」という有名セリフがここでは当てはまっていました。
 怒り狂ったマクベスが、マクダフ妻子を殺害して、形勢はマクベスに戻されました。また舞台はゴミで散らかります。再び「汚いは綺麗」となります。
 最後に、マクダフとマルコムがイングランド軍を率いて、マクベスを襲撃します。最終的に形勢はマクダフとマルコムに移り、舞台のゴミは一掃されます。最後に「綺麗は汚い」となります。
 
 このゴミの演出に関しては、公演初日にネットでは相当叩かれました。
 しかし、、精神医学の観点から追ってみると、マクベス夫妻の精神状態と辻褄が合っているものです。思考が整理できていない、次から次へと野望が沸いてくる時は、それらの思いや野望は消化されることがなく、ゴミのようにたまっていきます。そのゴミの状態が、マクベス夫妻にとっては日常であり、安心して幸せを感じることができる時間です。
 形勢が逆転すると、それらの思いや野望は消えていき、ゴミは消えていきます。ゴミが消えた舞台の上では、マクベス夫妻は猜疑心、不安に苛まれていくのです。
 
 今日の公演のアフタートークで、後半部分は公演2日前に変えたという話があり、そこがこれらの一連の流れだったそうです。演出家の木村龍之介さん及び演者の皆さんは、無意識に、こういった演出を選んでいったかもしれませんが、最終的には、精神医学の観点から言ったら、理にかなっているものでした。また、ゴミのなかで動作することによって、自然の効果音となったという効率的な利点もありました。
 
「3.マクベス一家」
 公演前から、マクベスとマクベス夫妻に焦点を当てるというメッセージがツイッターでは流れていて、題名の「マクベス」は、「マクベス及びマクベス夫人を含む」マクベス夫妻という意味があったこと事前に知っていました。確かに、マクベスの表裏一体として、マクベス夫人をマクベスと同じ外見にさせるという演出がありました。
 しかし、僕の解釈としては、その「マクベス」に「マクベスの子ども」も含まれると考えています。マクベスの子どもは確かに話には出てきませんが、セリフの随所随所、マクベス夫人が妄想で子どもを抱きかけるようなシーンがあり、マクベス夫妻には子どもがいるのではと思わせるものでした。ですから、題名の「マクベス」には、マクベスの子ども含まれていて「マクベス一家」なのではと考えています。