阪急電鉄の社長、会長を歴任した元宝塚歌劇団理事長の小林公平(こばやし・こうへい)氏が1日、肺炎のため死去した。82歳。東京都出身。通夜は2日午後7時、葬儀は3日午前11時、兵庫県西宮市高畑町2の25、エテルノ西宮で。いずれも密葬で、後日お別れの会を行う。喪主は長男で阪急阪神ホールディングス取締役、宝塚歌劇団理事長、公一(こういち)氏。

 小林氏は千代田銀行(現三菱東京UFJ銀行)に勤務し、阪急電鉄の創業者、故小林一三氏の孫と結婚したのを機に阪急不動産に入社。その後、京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)に移り、副社長などを経て昭和62年から社長、平成5年から15年まで会長を歴任したほか、関西テレビ放送会長などを務めた。

 他社に先駆けてプリペイドカード方式を導入、現在のICカード化に先鞭(せんべん)をつけた。大阪市北区でホテル阪急インターナショナルをはじめとする大規模開発を進めるとともに、昭和63年にはプロ野球の阪急ブレーブスをリース最大手のオリックスグループに売却するなど事業見直しも進めた。

 宝塚歌劇団の発展に力を注ぎ、昭和49~55年と59~60年の2度にわたり、宝塚歌劇団理事長を務めた。理事長時代に上演した「ベルサイユのばら」が大ヒット。また、平成6年にはフランス・パリ公演など日仏交流を進めた功績で仏政府の芸術文化勲章を受章。14年に勲一等瑞宝章を受章するなどの足跡を残した。

 文化人としても文筆や絵画などに優れ、「公文健」というペンネームで多くの作詞も手掛けた。宝塚歌劇の機関誌『歌劇』には「花の道より」という随想を昭和47年から毎月掲載し、通算450回分は計4冊の本にまとめた。執筆は病床にあっても休むことなく、最新の『歌劇』5月号で453回に上った。

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