PARAISO

PARAISO

リアルとバーチャルの交錯する覚え書きです

Amebaでブログを始めよう!

しばしば映画のオマージュとしてレイモンド・チャンドラーのこの小説が取り沙汰されるので

読んでみようと思った
コロナで時間はあるし村上春樹らしい翻訳がそこここに感じられた
流れている空気はやはり第三の男に似ていると思った


冴えない中年男が自分より一枚上手の感じのする男に魅力を感じていて
1. 彼を殺した男を探そうとして
2. 彼以外に真犯人がいると思って
警察に背き独自に犯人を求めていく話だ
ラスト死んだはずの友人はちゃっかり生きていてすべて意図的な画策だったとわかる時点で

友情は化石に代わる

 

>あなたは少しばかりセンチメンタルなところがあってそれが問題

 

愚直なほど男の友情を信じる主人公がアイロニーを込めて描かれているが
女の私から見ると
どうしてこういうパッとしない男ほど生き馬の目を抜くような男に憧れるのだろう?と思ってしまう
女同士なら有り得ない

 

死体の顔が潰されていたという時点で「別人だろう」と思った
残念ながらこれは私の早とちりで
本人が物理的な方法と人脈と金を駆使して

メキシコのとんまな警察に検死を間違えさせたということになっている
ここは少し尻すぼみだ
第三の男の「ハリーが自分が生き延びるために別人を自分に仕立てて殺した」の方が冷酷さが際立ってロロマーティンズの絶望が浮き上がる


ハリーよりはテリーの方が少し良い人らしい
>また飲もう
とテリーが誘うとマーロウは断わる
そこには既に友情のかけらはなかった
自分を将棋の駒のように使おうとする人間と友情を維持することはできない

 

 

 

 

 

高校のサイドリーダーで「第三の男」を読んだ
この英語教師は私の部活の顧問で私の家庭のすったもんだを知っていたが
まさか私に読ませるためにこの作品を教材に選んだわけでもあるまい
ただ
>君が尊敬していた人が聖人君主でなかったからといって落ち込む必要はないです
と言われたような気がした

 

みんなの回答を見る

コロナ自粛でおこもり生活をしていて、昔観た映画の諸評を見たりDVDを取り寄せたりしている

 


スタインベックの「赤い仔馬」の映画の評を見ていて、
父の机に古いリーダースダイジェストを見つけた時のことを思い出した


>鉄条網で回った!あの子は馬鹿じゃなかったんだ!!

と少年が叫ぶシーンが忘れられない

 

何をやっても兄と比較されて馬鹿だといわれる少年は、牧場の慣習通り10歳で自分の馬をもらえることを喜ぶが
彼が選んだ馬は父親を失望させる
>選ぶ馬まで馬鹿だ
と父親に言わしめた仔馬は人を乗せることを受け付けない真っ赤な暴れ馬で鞍をつけることを拒んだ

 

学校から帰って、牧場の大男たちが大勢で囲んで赤い仔馬に鞍をつけようとするのを見た子供は泣いて「止めて」と頼むが聞いてもらえるはずもなく
仔馬は高々と柵を跳び越えて逃げてしまう
二度目は柵の上に鉄条網を巡らせさらに高くした柵に沿って走る仔馬を見て少年は叫ぶ
>鉄条網で回った!あの子は馬鹿じゃなかったんだ!

 

愛する者が手に余る闇の面を持っているかもしれないと知った時、人はどうするのだろう?

 

 

 

この年になって思うのだが、この小説は志賀直哉の「清兵衛とひょうたん」に似ている
ただ日本人とアメリカ人の違いというか、ダイナミックさが違い過ぎて子供の時は連想さえしなかった
ひたすらスタインベックは泣けたし、白樺派は薄味だった

 

 

 


父が若い頃これを愛読していたと思うと、

それまで納得できなかった父の言動が少しだけ氷解したような気がした

 

 

昨日今日と風が強く、

せっかく今年初めて咲いたヤマボウシの花が茶色く縮れてしまうのではないかと

ハラハラしています

6月の風はいろいろ名前が多くて

古代から日本人はこの梅雨時の風にこころ惑わされてきたのだろうと思います

 

 

 

黒南風(くろはえ)  梅雨時の憂鬱な湿った南風

白南風(しろはえ)  梅雨明けの明るい南風

そして

荒南風、又は新南風(あらはえ)  梅雨中の激しい風

 

 

やっぱり年甲斐もなくこの荒南風にソソラレマスネ

ウチの猫の額ほどの庭のフェイジョアは昨年初めて花が咲いて

今年も楽しみにしていたのですが

咲いた途端にこの風で花弁が散ってしまうかと心配していました

この翻弄される白い花を俳句に読みたいと検索していたところ

これを見つけました

 

 

新ばえの花に酔えるか乱れ足

 

 

翻弄されていたのは弱弱しい花ばかりではなく

風のほうだったのかもしれません

人の恋路を邪推する無粋な作為よりも

今日の風の湿り気に耳を澄ませてみたいものです