おはようございます!
前回の加藤啓太さんの記事の続きです。


NPOを立ち上げたきっかけは何ですか?
 手に職をつけたかったからです(笑)。大学4年生のとき障がい者の雇用枠のある企業40社を受けましたが、すべて不採用でした。好感触の企業も障がい者を雇用する設備が整っていないということでした。でも僕は自立ということ、あきらめないということを強く意識していたので、なんとか手に仕事をつけたいと考えていました。そこでこれから何をしようかと考えるなかで障がい者の生活を支援することとボッチャの普及のためのNPOホットスペースを立ち上げました。

NPOで行っている取り組みはなんですか?
 自立支援活動とボッチャの普及、啓発活動です。さっきもお話しましたが障がいがあるからということを理由に進学をあきらめたり、夢をあきらめたりする子がいます。そもそも一人で自由に生活することができないと考えている子もいます。そういう子たちにまず一人で自立して生活するサポートを行なっています。サポートする中で子供たちに自立心をもって、独り立ちしてほしいです。そうすることで親の負担も減り、互いに自由な生活を送ることができると思います。ボッチャの普及活動では選手や審判の育成をめざしています。愛知県からボッチャでパラリンピック選手がでてくるとうれしいです。

加藤さんの座右の銘は何ですか?
「1%の可能性があるなら、最後まであきらめない。全力を尽くせ。」ということです。僕はこの言葉をモットーに競技中も生活においても心がけています。パラリンピック出場は「1%の可能性があるなら、最後まであきらめない。」というメッセージを多くの方に伝えることができたと思います。

そのような座右の銘をもつようになったきっかけは何ですか?
大きなきっかけは大学受験に挑戦したことですね。僕は昔から反骨精神を持って、自立したいという意識を強く持っていました。それで、中学の時から大学に行きたいと思っていました。その気持ちを高校の先生に伝えたときに先生から「夢物語でしょ。現実を見なさいと言われました。」それが逆に僕のハートに火をつけました。僕は追い込まれると燃えるんです(笑)。それから自分にあった受験方法を探し、トップで大学に入学することができました。でも、周りには僕より軽い障害の子はたくさんいるのに進学しなかったり、あきらめたりしている子もいました。もちろん進学だけが進路ではないですが、障がいがあっても普通の人生を送りたいと考えていました。進学して、就職して、結婚して、子供をもつという当たり前の人生を送りたいです。そしてみんなにも送ってほしいです。



最後にみなさんに向けてのメッセージをください。
・あきらめない
・可能性を信じつき進め
・楽しむこと
人は経験を通して成長するわけですから失敗を恐れずいろんなことにチャレンジしてほしい。行動なくしては何も始まりません。僕自身が重度障害者でもやれることを示すパイオニアになれたらなと思います。


感想
 取材をして感じたのは加藤さんはものすごく自立意識が高く、チャレンジ精神を持っている熱い人ということです。そして、目の前に壁があるな乗り越えられる、乗り越えることを楽しめる人であると思いました。加藤さんのように何事にもチャレンジして乗り越えることは大変なことだと思います。けれど、加藤さんのお話をきいて、壁を乗り越えることは大切だけどそれ以上にその壁を乗り越える気持ちを持つことが大切であると感じました。
 ※1ボッチャとはカーリングにも似た車椅子競技で個人、ペアないしは3人1組のチームで行う。ゲームの目的は、赤又は青の皮製ボールを投げ、ジャックと呼ばれる白い的球にどれだけ近づけられるかを競う。

加藤啓太さん後援会
http://www.geocities.jp/kenkounowa_midorinoki/Boccia/boccia-nyuukai.html
更新が遅くなりすいませんm(_ _ )m

この前、名古屋に加藤啓太さんの取材に行ってきました。

加藤啓太(かとう けいた)さん
1987年愛知県名古屋市生まれ。ロンドンパラリンピック・ボッチャ※1日本代表選手。世界ランキング19位。2012年ジャパンカップBCクラス優勝。生後3ヶ月で原因不明の窒息が数分間続き、重度の脳性まひとなった。両手以外はほとんど動かず、電動車いすを使用し、五十音表を指差してコミュニケーションをとる。日本福祉大学社会福祉学部卒。NPOホットスペース理事長。著書に『Go Forward KEITA~重度障害者も大学生になれるんだ~』(太陽書房)がある。ロンドンパラリンピックでは予選敗退。大の中日ドラゴンズファン。


ボッチャをはじめたきっかけは何ですか?
 はじめは母親の友人の勧めで始めました。それまでは何も取り組めるスポーツがなく、体育の時ただその場所に居るだけの存在でした。僕は日常生活においてもすべてに介助を必要とします。食事も寝返りも話すこともすべて。そんな自分にも取り組めるスポーツがあること、自分の意思で戦うことの面白さ、勝ち負けの悔しさ、喜びなどをボッチャから感じはじめました。

加藤さんがボッチャを楽しいと思うときはいつですか?
 負け試合ですね(笑)。特に決勝で負けていて、そこから粘り観客を自分に釘付けにしてその空気と一緒に逆転して勝ったときは最高ですね。相手の悔しがっているとこを見るのも好きです(笑) 僕は基本的に追い込まれたら燃える性格なんです。

パラリンピック出場するために周囲からのプレッシャーは感じましたか?
 この8年間ずっとこういう環境なので、コーチや周囲のプレッシャーというのは感じませんでした。むしろ、期待してくれていることがありがたかったです。期待がエースとしてのモチベーションの維持につながりました。今後も東京オリンピックまではエースやキャプテンを譲るつもりはありません。リオパラリンピック、東京パラリンピックで連覇してから引退して、それからは後輩の育成を行いたいです。


ロンドンパラリンピックで感じたことは何ですか?
 最初は感動し、優越感も味わいました。けれど競技終了後は悔しい気持ちが大きく、試合裏で30分ほど泣いていました。そして感じたのが、パラリンピックでは実力の10%しか出せないのが当たり前。舞い上がっていた自分に気づきました。

リオパラリンピックに向けての課題はなんですか?
 実力の底上げですね。ロンドンでは実力の10%ほどしか出せないと感じました。それに、器具もロンドンが終わってから新調しました。それと、こういうといい訳になるんですが、やはりパラリンピックでは競技の結果に器具というのも大きく影響します。そういう面では、金銭的課題というのもあります。僕は競技を行う際必ず、介助者を必要とします。そのため、遠征に行くのも二人分の費用が必要となり莫大な費用がかかります。パラリンピックに出場するために四年間で最低600万円は必要です。

そのような金銭はどのように集めるのですか?国などからの支援はあるのですか?
 国はパラリンピック出場するときだけ支援してくれます。費用は主に後援会の方の支援や僕が行う講演会による収入です。講演会についてはロンドンパラリンピックの反響は大きいです。全国各地から、講演の依頼を頂いています。僕は話したいことがたくさんあるので依頼があればどこにでもいきます(笑)。それに、ロンドンパラリンピック前にスポンサー企業もついていただけました。モルビーという外資系の会社に飲料の提供を受けています。

その②に続きます
今日は名古屋に取材にいってきました。

取材させていただいたのはボッチャでパラリンピックに出場された加藤啓太さんです(^^)

気さくでとても面白い方でした^ - ^
貴重なお話しをたくさん聞けました(^^)

記事が書け次第アップするのでお楽しみに!
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