天下泰平乃風

世は乱れ日本も世界も荒れている。こんな時代なら必要なことは天下泰平のために英雄豪傑が現れることではないだろうか。しかし同じ目的のために戦う友がいたら、それはどんなに素晴らしいか。きっと毎日、ワクワクするだろう。


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明日は兵庫、

来月は名古屋で話をする。

 

 

そして来月はじめには、
三冊目の小冊子
『世界の夜明け
 ~知行合一、実践の時~(仮題)』
も販売を開始する。

 

 

徐々にあげてきつつはあるものの、
まだまだ知名度・認知度は低く、
“人を呼び寄せる力”は、
かなり小さいものだが、
おそらくいづれは、
私の故郷、
地元の杉並・阿佐ヶ谷でも、
何かしらのイベントが
できる時が来るだろう。

 

 

私も今年で40歳になった。

 

風のウワサでは、
「20×2=40」ということで、
昔の悪友たちは、
「ダブル成人式」なるものを、
やるらしい・・・。

 

思えば二十歳の成人式の頃、
友たちは皆、今後の人生について、
期待と不安と夢を抱いていた。

 

ある者は言った。

「俺はヤクザになる」と。

 

ある者は言った。
「俺は格闘技で成功する」と。

 

ある者は言った。
「俺は歌を唄う」と。

 

ある者は言った。
「俺は会社を経営する」と。

 

ある者は言った。
「俺はこのまま普通に、
 地元で、女房、子供に囲まれて生きる」
と・・・。

 

 

野球で甲子園を目指した仲間ならば、
「共に白球を追いかけた友」
という表現が適切なのだろう。

 

 

あるいは柔道でインターハイを目指した仲間ならば、
「同じ釜の飯を喰った友」
という表現だろうか。

 

 

もしくは共に勉学に励み、
受験戦争を戦い抜いた仲間ならば、
なんと表現するのだろうか。

 

しかし私の場合は、
もっと表現が困るゆえに、
いつも「悪友」の一言で片付けてしまっている。

 

 

共に戦った悪友たちは、
皆、それぞれの人生を選んで、
別々の道を歩み始めた。

 

まさにそれは、
「湘南之風」が唄う『応援歌』
のようなものだった。

 


東京都内で派手に暴れまわるかたわら、
十代でキリスト教の聖書に出会い、
二十歳くらいの頃から、
子供や障害者へのボランティアを通して、
より精神的なものに惹かれた私は、
家が倒産してくれたおかげで、
本を抱えて放浪の旅に出かけた。

 

ホームレスのごとく・・・。

 

南の島に・・・。

 

 

皆が私を心配してくれた。

 

時折、東京に帰ってきては、
汚いジーパンに下駄を履いて六本木に行き、
その頃はまだいつも、
悪友たちが雁首ならべて飲んでた。

 

そんな時は、
私は決まってこうカッコつけたものだ。

 

「ここで爆弾テロでも起きたら、
 東京もいくらはキレイになる」

 

 

しかしバラバラに生き始めた人生・・・。

 

次第に、
悪なる人生を選び取った者たちの
悪いウワサを聞くようになり、
そして次第に、
彼らの様子や態度もおかしくなっていった。

 

 

年長者に対する礼儀礼節も消えうせ、
かつては聞いていたのだが、

私の忠告なども、
まったく聞く耳を持たなくなった。

 

ひそかに私は断言していた。
「このままでは誰か死ぬ」と。

 

 

そしたら本当にその通りなった。

 

 

ただ予想外だったのは、
悪友の中でも、
かなり存在感があった男が亡くなったことだ。

 

柴田大輔という悪友が述べているように、
たしかに私は、葬式の場において、
あえて、まったく、少しも空気を読まず、
「これを機に堅気になれ。
 それが供養だ」
といったことを述べた。

 

 

すでに私の忠告など、

聞かないことも十分に予想できたのだが、
しかし私しか言えないと思っていたし、
“憎しみの連鎖”が十分に予想できたから、

あえて空気を読まずに言った。

 


そしたらやはり、私の予想通り、
連鎖して六本木で事件が起こってしまった。


しかしまたもや予想外だったのは、
事件がかなり複雑であったことだ・・・。

 

 

最初の悪友の死の頃の私は、
すでに三十歳を超えていたのだが、
前田日明氏主催の格闘技の試合に出場した。

 

 

皆が皆、そろいもそろって、
私にこう述べた。

 

「なぜ!?」

 

「今さら格闘家になりたいのか?」

 

「格闘技で一山あてようとしてるのか?」

 

 

しかし私には十年以上の計画があった。

 

いや、私は一人の思想家として、
『武士道を行く』
という小冊子を出しているが、
「これは千年以上は古くならない内容だ」
とも豪語しているし、
『大和魂の復活』についても、
「ここ数十年は内容が古くならないはずだ」
とも豪語している。

 

 

だからあの格闘技の試合、
さらにその後の二試合も含めて、
毎日、どこかで行われている、
格闘技の試合とは、
かなり意味合いが違うものであると、
私自身、そう自負している。

 

十年前、この地球上において、
私を呼んで
「何か話をしてくれ」、
なんて言ってくれる人など、
一人も存在していなかったが、
ようやく十年計画が実り始めて、
チラホラと、
お声がかかるようになった。

 

ありがたいことである。

 

ひそかに私の中には、

“負けても負けない自信”

があったのだ。

 

 

皆が別々の人生を行きぬき、
そして自らの人生を抱えて、
必死に、必死に生きているが、
やはり私は、
この道を選んで良かったと思っている。

 

悪なる人生を断ち切り、

格闘技や歌に生涯を捧げたり、

会社経営に励んだりせずに、

この茨の道を歩んで良かったと思っている。

 

 

実は思想家・宗教家という仕事は、
40歳から練りあがっていくものであり、

今後は、さらなる十年、二十年計画も、
また考えていかねばならないだろう。

 

かつて天才物理学者にして、

「核兵器の産み親」とも称されている、

アインシュタイは記者からこんな質問を受けた。

 

「第三次世界大戦では

 どんな武器が使用されると思うか?」

 

するとアインシュタイは、

こう答えた。

 

「第三次世界大戦でどんな武器が使用されるか、

 それは私にも分からない。

 しかしこれだけは断言できる。

 その次の戦争においては、

 人間は石と木を使うことになるだろう」と。

 

つまりアインシュタインは、

もしも第三次世界大戦が起こったら、

世界は滅びる、

だから人類は原始時代に戻る、

そう述べたわけである。

 

私も断言する。

「人間にとって大切なことは、

 憎しみを捨てて

 愛と許しを取ることだ。

 そして人間という生き物は、

 仏教などで説かれている真理を知った時、

 つまりは

 この世とあの世の違いを知り、

 天国地獄の違いを知り、

 転生輪廻・生まれ変わりの秘密を知れば、

 人は積極的に悪を犯したり、

 他人に対して、

 言葉や行動で暴力を振るったりはできなくなる、

 なぜなら

 『必ず、来世、来々世において、

  自分が他人に与えたものすべてが、

  愛も暴力も自分に返ってくる』

 ということが理解できるからである。

 ゆえに真理というものは、

 人間にとって、

 何よりも大切なものであり、

 言葉でもって真理を伝える愛こそ、

 本当に大切な愛、

 『慈悲』というものなのである。

 そして日本が米国GHQに改造されるまでは、

 釈迦・仏陀の説法を、

 理解出来ず、悟れない者のことを、

 『莫迦(ばか)』と言ったのである。

 本当のバカ者とは、

 馬鹿者ではなく莫迦者なのだ。

 だから人間にとって大切なこと、

 それは真理を学ぶことであり、

 そして

 憎しみを捨てて愛を取る

 そうした努力と精進の

 悟りの道を歩んでいくことである。

 なぜなら真理は汝を自由にし、

 悟りの向上こそが、

 憎しみを減らして愛を増やすからだ。

 なぜなら愛こそが

 幸福と繁栄と平和に導くからである。

 だから断言する。

 大切なものは真理であり、

 繁栄と平和の未来は、

 真理の先に築かれるのである」

 

すでに述べているように、

日本とアメリカは“隠れ植民地”であったが、

しかしアメリカでは「トランプ革命」が起こった。

ならば今こそ私たちは、

日本の夜明け、

世界の夜明けに向けて、

日本に革命を起こすべく、

“日本連合”として結束すべきなのだ。

 

暴力や金、

利益をめぐっての駆け引きによって結ばれる、

いびつなものではなく、

真の愛、友情によって結ばれた、

“美しい絆”こそを今、

我々は日本中に結ぶべきなのだ。

 

真の強さとは、

暴力や格闘技にはあらず、

行動を起こしていく勇気にこそある。

 

日本人よ、

今こそ真の勇気を持って、

時代と戦い、時代を変え、

素晴らしき理想の時代を築こうではないか。

 

 

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