男たちの武士道~強く、優しくなるために~

「人はもっと強く優しくなれる」かつての日本人は強く優しかった。それは武士道があったからです。真に優しく強くなればこそ人間関係は幸せになり、人生は拓けていきます。真の幸福を手にするため、失われた武士道について語るブログです。

 人は“学ぶ”ということを通して、知識を得、考え方を変えていくことができます。それはつまり、人は知ることによって、価値観、人生観、死生観さえ変えていける、ということです。

 そして価値観、人生観、死生観を仏や神々へ向けて向上させていくことを、古来より「悟る」と云い、これらを堕落させて神仏からかけ離れていくことを、近年では「洗脳」と呼んでおります。

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 前々回では、「我々現代人は頭が良くなって愚かになった」ということを述べ、そして前回は「仏教とは無我を教え、この無我の思想が人を強く優しくし、男たちには侠(おとこぎ)を与えていた」ということを述べた。


 数日前のテレビのニュースで、「東京都は子供たちを犯罪から守るために、通学路に6500台の監視カメラを設置する」と報道していたが、ホントにおかしな時代だ。


 私が小学校の頃は、安心して学校に通えたものだが、時代はますます“心の価値”を見失い、狂った時代に突入している。


 いつ、誰が、どこで、“不幸の宝クジ”に当たってしまい、被害者になるか分からない時代だが、悲しいことにその“宝くじの倍率”は、年々高まっているのだ。


 また政治を見れば、デフレ不況を再発させる消費増税が行われた。


 しかも日本は、傲慢なアメリカと狂った中国と北朝鮮に挟まれ、韓国も支離滅裂な外交を続ける中で、まるで幼子のごとくアメリカに媚を売って、他の国々には脅かされ、自立して自分の足で歩く気配はさらさらない。


 「国を守り、時代を変えん」という気概を持った侠(おとこぎ)ある男は、もはや日本にはいないのだ。


 それは“我々現代人が頭が良くなった反面、愚かにもなった”からである。


 しかしこうしたことはかつてのギリシャにもあった。


 かつてソクラテスの友人が、デルフォイという神殿にて、「ソクラテスに勝る知者はいない」というお告げ(霊示)を受けた。


 その話を聞いたソクラテスは驚いた。


 なぜなら彼は、自分を知者だとは全く考えていなかったからだ。


 しかし彼は、「神が嘘をつくはずがない」と考えて、知者と呼ばれる人々を訪ねてまわった。


 そしてソクラテスはこういった結論にたどり着いた。


「確かに世の中で“知識人”と呼ばれる方は、多くの知識に溢れ、色々なことを知っていた。

 彼らが持っている学問的な知識は、確かに素晴らしかった。

 しかし彼らは、私が“愛”であるとか、“魂”であるとか、“真理”に関して質問をすると、ただ言葉をつまらせるばかりで、何も答えることはできなかった。

 彼らは知識に溢れていたが、しかし一番大切な知識については何も知らなかったのだ。

 しかも彼らは、自分が無知であることも知らなかった。

 しかし私は自分が無知であることを知っている。

 だからこの“自分が無知であることを知っている”という点において、どうやら私の方が彼らより知者であることは間違いない。

 だから神のお告げに間違いはなかった」


 これが“無知の知”と呼ばれるものであり、日本の今という時代は、このギリシャのアテナイの時代と、とても似ている時代と云えるだろう。


 なぜなら今も、そして当時も、“一流の知識人”と呼ばれる方は大勢いるが、しかし彼らは“愛”であるとか、“無我”であるとか、“真理”であるとか、これらについて語ることはできないからだ。


 そうであるにも関わらず、かつてのギリシャにおいても、そして現代の日本においても、彼らには「自分は無知な人間である」という自覚が無く、むしろ彼らは「自分は何でも知っている」と自惚れて、慢心しているからである。


 しかしソクラテスは、彼ら知識人が持っている知識はあまり持っていないその一方で、愛だとか、魂だとか、真理であるとか、そうした人間にとって“最も大切なこと”に関しては詳しく知っていた。


 しかもソクラテスは「自分を知者である」などとは考えず、謙虚に無知であることを自覚していた。


 だからソクラテスに勝る知者はいなかったのだ。


 ちなみに“哲学の祖”とも言えるこのソクラテスという方は、霊の声が聞こえる方であり、いつも常日頃から「ダイモン」と名乗る霊と会話していた。


 こうした方によって、西洋の哲学は大発展を遂げたことを人類は知るべきだろう。


 この様に“知識”というものには、大きく分けて二種類ある。


 一つは学問的な知識である。


 もう一つの知識とは真理である。


 だからどんなに学問的知識を、その頭の中にたくさん詰め込もうとも、たしかに無知なる者はいるのである。


 東大出ても悟り低き者はいるのである。


 現代を生きる我々が「国を守り、時代を変えん」という気概を持った侠(おとこぎ)あふれる男になるためには、まず知識というものには学問的知識と真理の二つがあり、そして自惚れることなく「自分は無知である」と謙虚な姿勢を貫いて、無我の境地を目指すことが大切だ。


 今を生きる日本の我々が、無知を自覚して無我を目指して生きていく時、自然と男たちは侠(おとこぎ)を培い、それによって日本は夜明けを迎え、それと共にその日本の力でもって世界さえも夜明けを迎えると、私は信じて疑わない。



   
  人生をより素晴らしくしたい方
  明るく積極的に、前向きに生きたい方

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