今年2月ごろからうちにやってきた2匹のハムスター、ケセランとパサラン。
ちょっとお兄ちゃんのほうのケセランが、皮膚病になって死んでしまいました。
土に埋めてお墓を作ってあげようということになったんですが、お庭もないので植木鉢でお墓にしました。
ふわふわの木くずと餌のナッツを入れてあげました。
餌はほとんど種そのままなので、しっかり新しい芽が出てきました。
ケセランの墓からひまわりやら麦やらの芽。
今まではケセランが食べて栄養をもらっていたけど、今度はケセランが種の栄養になります。
ケセランは生まれ変わってまた花を咲かせます。
その種はまたハムのエサになり、また育って花咲かせます。
こうして、魂は永遠となるのかな。
巡り巡る命の輪。
これもまた輪廻転生のうちなのではないのか。ふと、そんな思いもよぎります。
砂山恵理歌さんの「一粒の種」という歌があります。
ある末期がんの男性が亡くなる3日前に残した言葉を元に作られ、本当に命の種となって生き続けているかのように穏やかに広がりつつある歌です。
一粒の種 砂川恵理歌 歌詞情報 - goo 音楽
ハムスターと人の命を並べてはいけないのかもしれませんが、元気にまた天を目指し、伸び始めている新芽を見ていると、魂は終わることのないものなんだな、と確信してしまいます。
クレオパトラのワインという話がありますが、これは、はるか昔の伝承されているエジプトの女王様が飲んだワインなどという、一見自分には何の関わりもないようなものであっても、実はこの地球、大気、銀河の中からまったく消えたものではないということ。
形を変え構成要素を変えながらも、その一部は確かに受け継がれている。
ほんのわずかであっても、この世界に生きている以上は共存しつながっているんだということを揶揄している話です。
私たちは、ワインという命、クレオパトラという命、恐竜という命、アリンコという命すべてと関わっているんだなって感じます。
命、存在というのはそうやって繋がっているんでしょうね。
ケセラン、ありがとう