Vtaizousi 謡草子
このブログは、謡曲の「名句・迷句」を選んで「カルタ」にしようと思い開設いたしました。
「謡曲歌かるた」は立派なものがありますが、和歌ではなく、謡曲の「詞章」をカルタにしたかったのです。
でも私には難しすぎました。
私は今、「蟻通」の貫之ではありませんが、闇夜に、大雨にあって馬が立ち往生してしまったような気分でいます。
きっと「謡曲大明神」の神域を侵してしまったのです。
謡曲の詞章は「自由自在」で、カルタの枠におさまるものではありませんでした。
とにかく一旦はカルタをやめて、謡曲を楽しく読むための他の方法を考えてみます。
アドレスはこのままで、内容を変えて出直すつもりです。
読者の方には誠に申し訳ございませんが、引き続きお付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。連日の雨で、散歩用の雨ガッパ(自分用も犬用も)乾く暇がありません。雨がすっかりあがるまで「蟻通」を読むことにします。
タイトルは貫之の詞章です。
燈(ともしび)暗うしては数行虞氏(すかうぐし)が涙の雨の、足をも引かず騅(すい)逝かず、虞いいかがすべき便りもない。あら笑止や候。
和漢朗詠集から中国の故事をひいて、馬が一歩も進まず困ったと述べています。
ほかにも漢詩由来の詞章が要所要所にあり、知的な雰囲気を盛り上げます。
瀟州の夜の雨しきに降つて、遠寺の鐘の声も聞えず。
馬上に折り残す、江北の柳陰の糸もて繋ぐ駒、
越鳥南枝に巣を掛け、胡馬北風にいばえたり。
などなど。
といっても、神の心を慰めるには、漢詩ではなく「和歌」でなければ。
「天地開け始まりしより、舞歌の道こそ素直なれ」ですから。
最後に宮守は、貫之の和歌の言葉のはしに現れた素晴らしい心を感じて、神であると明かして消えて行きます。
「やまと歌」を確立した貫之への敬意の念を、世阿弥が持っていたのでしょう。
鳥居の笠木に立ち隠れあれはそれかと見しままに、かき消すやうに失せにけり。
そして神の示現を喜んだ貫之も、神楽を奏し、夜明けとともに旅立ちます。
名残の神楽夜は明けて、旅立つ空に立ち返る、旅立つ空に立ち返る。
宮守は「立ち隠れ」、貫之は「立ち返る」。
宮守は神の身分にもどり、貫之は旅人にもどって大円団。
泉佐野市の「蟻通神社」のHPのトップ写真。左の絵が楽しいので直接ご覧下さい。
http://www.aritooshi.org/
午後からの雨が、夜半になり本格的な降りとなりました。
「雨」と言えば、深夜の大雨の中の出来事を描いた「蟻通(ありどほし)」。
シテである蟻通明神の宮守(明神の化身)は、傘をさし松明を手に、ワキである紀貫之の前に現れます。
面は小尉。(桃山時代のものが能面手鑑に載っていました)。実在する人間のようにも、神のようにも見える面ざし。
謡曲「蟻通」のあらすじ
玉津島参詣の途次、闇夜の蟻通明神の神域で下馬しなかった紀貫之は、神の咎めにより馬が倒れ伏し途方にくれる。
宮守に勧められ貫之が詠んだ和歌、「雨雲のたち重なれる夜半なれば、ありとほしとも思ふべきかは」が神に納受されると馬は起き上がり、宮守により祝詞が捧げられ、貫之は旅を続けることができた。
主題は「和歌の徳」です。その和歌の第一人者である貫之が、神域を侵したことを深く反省し、宮守と貫之が相手を尊重しあう上品で感じのよい曲。
宮守は最後に明神であると明かしますが、登場から明神であることはバレバレ。宮守たちに文句をつけています。
社頭を見れば燈もなく、すずしめの声も聞えず。
神は宣禰(きね)が習はしとこそ申すに、宮守ひとりもなき事よ。
よしよし御燈は暗くとも、和光の影はよも暗からじ。
あら無沙汰の(なんと怠慢な)宮守どもや。
当時は、神は宮人に乗り移ると考えられていたのだとか。
作者の世阿弥は「能をするものは和歌の勉強をしろ」と言い残していますから、和歌と徳を説く宮守は世阿弥でもある。
小尉の面が世阿弥に見えてきますね。
貫之は、自作が神慮に叶ったことを喜び、宮守に祝詞を頼みます。神楽を舞う男女の姿が目に浮かぶ美しい「祝詞(のっと)」です。
いでいで祝詞を申さんと、神の白木綿(しらゆう)かけまくも、
同じ手向と木綿花の、雪を散らして、再拝す。
謹上再拝。敬つてまうす神司。
八人の八乙女、五人の神楽男、雪の袖を返し、白木綿花を捧げつつ、神慮をすずしめ奉る。・・
そもそも神慮をすずしむる事、和歌よりもよろしきはなし、その中にも神楽を奏し乙女の袖、返す返すも面白やな。
神の岩戸の古(いにしえ)の袖、思ひ出でられて。
曲を締めくくる詞章も素晴らしいのですが、それは次回に。
知人が続けざまに亡くなり、遺族の悲しみに、こちらも胸の塞がる思いをした幾日間でした。
そこでひもといたのは謡曲「朝長」です。まずはあらすじを。
美濃青墓(おおはか)の宿で自害した朝長の墓前で、宿の長者(女主人)と、朝長の「めのと」だった僧が出会い故人を偲び、夕日の沈む頃、長者は僧を連れ帰ります。
夜更けて、僧の弔いに朝長の亡霊が現れ、長者の志に感謝し、合戦で敗走、負傷したことを語り、自害の有様を示して、回向を願います。
「都大崩れで膝の口を射させ」馬で運ばれた朝長は、道端で犬死にするより名誉の死を望んで自害します。
もちろん彼の行為が曲の中心ですが、朝長の死を惜しむ周りの人間の心模様が心に残ります。
やっとの思いで墓にたどりついた旅僧の言葉です。
・・とくにもまかり下り、御跡弔ひ申したくは候ひつれども、怨敵のゆかりをば、出家の身をも許さねば、とそう行脚に身をやつし、忍びて下向仕りて候。
(平家が、敵である源氏ゆかりの者を出家であっても許さないので、旅僧に身なりを変え下ってきました)
青墓の長者の言葉。
わらはも一夜の御宿りに、あへなく自害し果て給へば、ただ身の嘆きのごとくにて、かように弔ひ参らせ候。
父親の義朝と鎌田正清の様子。
鎌田殿参り、こはいかに朝長の御自害候ふと申させ給へば、義朝驚き御覧ずれば、はや御肌衣も紅に染みて、目を当てられぬ有様なり。
・・
これを最期のお言葉にて、こときれさせ給へば、義朝正清取り付きて、嘆かせ給ふ御有様は、よその見る目も、あはれさをいつか忘れん。
だれもが若者(義朝にとっては息子です)の死を心から悼んでいます。
義朝らが討たれたのは、身内の裏切りが原因でした。
その一方で、青墓の女主人は、義朝らに宿を貸し、朝長の死に出会った「死の縁」を重んじ墓参を欠かしません。
朝長の亡霊はこう述べて感謝をします。
一切の男子をば、生々の父と頼み、万の女人を、生々の母と思へとは、今身の上に知られたり。さながら、親子のごとくに、御嘆きあれば弔ひも、まことに深き志、請け喜び申すなり。朝長が後生をも、御心安くおばしめせ。
すべての男子をば、永遠の父と頼みにし、すべての女人を、永遠の母であると思え。この経典の意味を朝長の亡霊は悟ったというのです。
確かに「親子のごとく」と思わせるような愛情を、長者は朝長に授けています。しかし長者の秘められた女心も無視するわけにはいきません。
彼女は、16歳の朝長を男として思慕の念を持っていたふしがあります。
「うちとけて寝たこともないから夢にも現れない」とは、墓参をする折りの詞章。
免疫学者で詩人で能作者でもある「多田富雄」は、朝長をアフガニスタンで地雷を踏んで片足を失った少年とみて、「朝長」を反戦能であると評しています。
前回の山姥は歌麿、今回は北斎。狂歌絵本「山満多山」の袋の絵。山姥は金太郎の母とされています。
山姥は、曲舞の一節を「百ま」が謡えば、まことの姿を見せると言って消えました。
間狂言は、所の者と従者がの問答で、山姥のもとは、団栗だ、山芋だ、木戸だと愉快な説が披露されます。
後半、月明かりに登場する山姥は鬼女の姿。恐ろしさにたじろぐ「百ま」に山姥は舞を促しますが、この言葉ににじむのは、山姥が「百ま」に出会えた嬉しさ。
春の夜の一刻を千金に代えじとは、花に清香(せいきょう)月に陰、これは願ひのたまさまに、行き逢ふ人の一曲の、その程もあたら夜に、はやはや謡ひ給ふべし。
覚悟を決めて舞を舞う「百ま」に移り舞をする山姥は、こう謡います。
よし足引の山姥が、よし足引の山姥が、山廻りするぞ苦しき。
(善悪の差別をこだわって足を引きづり山姥が、六道を輪廻するかのように山廻りをする、それは苦しいことだ。)
「山廻り」についてはむずかしい仏教の詞章が続きます。でも、曲の最後はわかりやすい。
わかりやすい文章こそ重要だと思って、私は謡曲を読んでいます。
まずは・・。
憂き世を廻る一節も、狂言綺語の道直(すぐ)に、讃仏乗の因ぞかし。
(卑しいとされる文学、詩歌音楽ではあるが、それは仏法を讃美することなのだ)
次はもっとわかりやすい。
暇(いとま)申して、帰る山の、春は梢に、咲くかと待ちし、花を尋ねて、山廻り。
秋はさやけき、影を尋ねて、月見る方にと、山廻り。
冬は冴え行く、時雨の雲の、雪を誘いて山廻り。
日本は山国、山また山の国です。春は花、秋は月、冬の雪。「雪月花」を愛でるには「山」が一番かもしれません。
しかも、蕾のうちから花を待つ心。動く月影にしたがい自分も廻る歩み。寒さと時雨に願う雪の静寂・・。
自然の中での山廻りは、自然と一体になることです。
山姥は、人間を助けて働きますが、人に目には見えません。
色即是空そのままに、仏法あれば菩提あり。仏あれば衆生あり。衆生あれば山姥もあり。
それぞれ「色」としての区別はあっても本来は「空」。
廻り廻りて、輪廻を離れぬ、妄執の雲の、塵(ちり)積つて、山姥となれる・・
あるよと見えしが、山また山に、山廻りして、行方も知らず、なりにけり。
山姥は「塵」が積もってできたものなのです。微塵という言葉がありますが、サンスクリット語ではゼロに近い数値。
山姥はどこへ行ったのか。きっと山に溶け込み山そのものになってしまったのです。
「山姥」は長大でありながらどこにも緩みがなく、様々な読み方ができる素晴らしい曲です。
私は本物の山姥と、山姥の曲舞で都のスターとなった遊女「百ま」の偽山姥を、「仏道と芸能」の道を行く先輩後輩のようなもの、として読みました。
厳しい鬼のような先輩が、我が身のすべてを告白して、可愛い後輩を導くのです。
名もぴったりの「境川」で、善光寺参詣のためになぜ「百ま」は難路を選んだのか。
それは、芸道に明け暮れて果たして成仏ができるか、不安の中で少しでも仏に近づきたかったからです。
そこに登場するのが、山の女に姿を借りた山姥。
山姥は、曲舞の本家をないがしろにしていると「百ま」を責めますが、彼女はただ恨みを述べるために来ただけではありません。
「百ま」に、救いの道へのヒントを授け、自分もまた仏に救われたいのだと打ち明けます。
道を極め名を立てて、世上万徳の妙花を開く事、この一曲のゆゑならずや。しからばわらはが身をも弔ひ、舞歌音曲の妙音の、声仏事をもなし給はば、などかわらはも輪廻を遁れ、帰性の善所に至らざらんと、
(あなたが芸道の奥義を極め名声を上げ、世間の徳望を得て素晴らしい花を咲かせたのは山姥の一曲のためだ。それなら私の身を供養し、舞歌音楽の妙なる音の声による供養をすべきだ。そうしてくれたら、私も輪廻をのがれて迷いのない真実の本性に帰り極楽に至らないことがあろうかと、)
この詞章が主題の一つ。曲の最後にも、山姥の口から「狂言綺語」の言葉が出ます。これは謡曲では当たり前の概念です。
ともあれ、二人の女が苦しい境涯であっても、芸と仏の道をまっすぐに生きて成仏を望んでいる、その純で誠実な気持ちに私は打たれます。
前半終りに、山姥は「月夜に月のような声で謡ってくれたなら移り舞を舞ふべし」と言って消えますが、移り舞とは人の舞を真似ながら舞う舞のこと。
後輩の真似をしようとする先輩山姥の優しさ・・。しかし姿は鬼なのです。
さて人間に遊ぶ事、ある時は山賤(やまがつ)の、樵路に通う花の蔭、休む重荷に肩を貸し、月もろとも山を出て、里まで送る折もあり、またある時は織姫の、五百機(いほはた)立つる窓に入つて、枝の鶯糸繰り、紡績の宿に身を置き、人の助くる業をのみ、賤(しづ)の目に見えぬ、鬼とや人の言ふらん。
クライマックスは山廻りです。山姥の正体は何かという話も面白く、これがもう一つのテーマになっています。
しかし、長くなりそうなので次回に廻しましょう。
六条御息所は、自分では気づかぬうちに、魂が身から離れて生霊となって「夕顔」や「葵上」を殺してしまいます。
御息所の深層心理には、恋敵を葬りたいという欲求がある。
後シテの「般若」の面などは、ただその形が怖いだけです。本当の怖さ、そして御息所の悲劇はこの詞章に表れています。
(それ娑婆電光の境には、)恨むべき人もなく、悲しむべき身もあらざるに、いつさて浮かれ初めぬらん。
(そもそも短く儚い稲妻のようなこの世の暮らしにおいては、恨まねばならぬ人もなく、悲しまなければならない身の上でもないはずなのに、いつからこのように魂が離れてさまよいはじめたのだろう)
ほかにも「巫女の口寄せ」に怨霊が現れるところなど涙を誘われます。
月をば眺め明かすとも、月をば眺め明かすとも、月には見えじかげろうふの、梓の弓の末筈(うらはず)に、立ち寄り憂きを語らん、立ち寄り憂きを語らん。
(月を眺めて夜を明かすにしても、月には(また他の人には)わがみじめな姿を見られることはすまい。あるかなきかに見えるかげろうのように、梓の弓の末筈に近づいて宿り、つらい思いを語ることにしよう)
せっかく煩悩を語ろうと出てきたのに、巫女も高僧も彼女を「悪霊」と扱うばかり。本当にかわいそうな御息所です。
とはいえ、舞台写真を見ればやっぱり怖いですね。「能面手鑑」より。
謡曲「杜若」は、伊勢物語の文章をそのまま借りているので、謡曲らしい名句を探すのが難しいです。
その中で「唐衣」と「舞」を結びつけた「お能」ならではの詞章があります。
はるばる来(き)ぬる唐衣、はるばる来ぬる唐衣、
着つつや舞を奏づらん。
別れ来(こ)し、跡の恨みの唐衣、
袖を都に、返さばや。
(訳)
はるばると旅をして来た姿、はるばると来た姿なのだ。
唐衣を着て舞を舞うことである。
別れて来た、
その跡の京に、恨みの残るよすがを持つこの唐衣、
袖を返して舞って、思いを都の女のもとに、返したいものだ。
業平の旅は、華やかな宮廷生活と恋愛の場であった「都」を恋い慕う旅でした。
女などはどうでもよかったのかもしれません。
殿上にての元服の事、当時その稀なる故に、
初冠(ういかむり)とか申すとかや。
私としてはこの辺をカルタにしたいのですが、「杜若」という言葉を入れたくもあり・・。
迷いに迷って決めたのが次の詞章です。
昔植ゑ置きす、昔の宿の、杜若、
色ばかりこそ、昔なりけれ、色ばかりこそ、昔なりけれ、
色ばかりこそ
(訳)
かつて植えておいた昔の宿の杜若、その美しい色だけは昔のままである。その美しい色だけは。
もちろん、この杜若は、昔三河の国の八橋で契った女のことです。