なみだふるはな/石牟礼 道子

本書は水俣と福島をつなぐ書である。

本書を読むと、水俣がいまだ何ら解決していないことがわかる。

そして、二つの土地の共通点が見えてくる。

この国は田舎を、どこか暗いもの、忌むべきものとして描き出してきた。

だからこそ、人々は灯りをもとめ、チッソや原発を自らの土地を明るく照らすものとして受け入れてきた。

いまでも、チッソに恩を感じている人がいるというのは驚きだった。

本書の中では、かつてあった田舎のたわいもない一つ一つの出来事を、

本当に豊かで奥深いものとして振り返っている。

しかし、それは今だから分かることなのかもしれない。

無くなった今だからこそ、余計と尊く思えるのだ。


藤原   やっぱりまだチッソに対してのシンパシーというか、思い入れを持っている人はたくさんいるんですか。

石牟礼 たくさんいらっしゃいます。

藤原   これだけ結果が出ていても、やっぱりそうですか。

石牟礼 はい。

藤原   人間というのは愚かですね・・・・・・。

石牟礼 でも、なんというか、最初の、世の中が開けるはじめの事業に自分たちも参加するという、そんなふうに思い込まれた。それを「チッソに義理を立てる」とおっしゃいますね。義理を立てるというのは、恩恵をこうむったことに対して義理を立てると思いたいですけれど、まったく一方的な心情ですね。「もう義理も切れた」という人もいます。「義理」って、何か関係が生じて、具体的なことが起きたときの絆をいいますよね。「信用貸し」という言葉があったりしますでしょう。人間は信用がいちばん。最初信用してしまったんですよ。チッソを。おそらく、私のおじいちゃん、おばあちゃんの時代ですね、そう思い込んだのは。



(前略)

藤原  そういった自然と一体化した共同体というのが昔はあったわけですね。たぶんそのままでよかったんでしょう、ほんとうは。そのまま時間が止まっていれば貧しいながらも平穏な世界がそこにはあった。