本人が後書きで述べている通り、
この原稿は「インド体験が宗教に反映するか表現活動に反映するかの違いこそあれ、
私と彼らは同根の樹に生る異なる果実のようにも感じられ」
「しかし同根の果実でありながら、(中略)決定的な違いが」あることを
若い人達に伝えようという意図で書かれたものだ。
そういう意味では麻原が水俣病であったかいなかという記述はたいして意味のあるものとは思えず、
単行本発刊にあたり掲載したのは何らか圧力に屈したのではないことを証明する証としか感じられなかった。
それを抜きにしても十分に内容の濃いものだった。
興味深かったのは2章と5章で一方では一人の若者をインドへ送り出し、
もう一方では一人の若者を狂気の世界から連れ戻している。
インドを目指す若者には現実世界への絶望がある。
本当に信じられるものを求めて彼らは旅に出る。
しかし、信じられるものを他に求めている限り結局同じなのだということを
藤原氏は氏の圧倒的な体験を通じて述べている。
自分探しなんて言葉は好きではないが、文字通り自分と徹底的に向き合うしかないんだと思う。
おそらくインドはそれをするのに大変適した場所なんだろうが、
私たちが今いる場所でだってそれはできるはずだ。
例えどんなに困難だとしても。
中国の兵隊が、と老僧は言った。
「・・・中国の兵隊がやってきて寺の仏像をたたきこわしはじめたとき、
ある小さな町寺の若い僧は最後に残った小さな仏像を握りしめて
決してそれを離そうとはしなかった。
そこで中国兵は若い僧の右の腕を切り落とし、河に投げ捨てた。
切り落とされた右腕はなおも仏像を握りしめたまま河の表を浮き沈みしながら流れていった。
それから十年を経て片手の若い僧が私のもとにやってきたとき、
彼はときおり夢をみた。眠っている時も、そして目覚めて起きているときでさえ、
彼はすでに失われて久しい右腕がそこにはっきりと実在しているのを感じるのだ。
(中略)若い僧はそのたびに、そこに仏像がないことに失望し、うちひがれ、
あるとき旅に出たいと言い出した。仏像を探しにだ。
私はその必要はないと応えた。仏像はお前の失われた片腕があった場所に実存しているのだ、と。
若い僧は私には見えないと言った。私は応えた。
お前がそれを感じたその時に、その仏像は存在しているのだ、と。
お前が失ったものはただの鉄屑にすぎない、と」