はっきりと伝えました。

職場のひとにです。

『私はあなたが嫌いです』

伝えられたほうは、泣いていました。
手も震えていたようです。

知るかと思いました。

わたしは、ずっと辛かったです。

馬鹿にするのもいい加減にしろと思っていたし、なめられているのも解っていました。

それでも、にこやかに笑い、丁寧に挨拶をし、最低限のルールは守りました。

そのうえで、思っていたことをはっきり伝えました。

相手は言いました。
『嫌われる要素がたくさんあったから、嫌われても仕方ないと思いました。。』
涙声でそう言いました。

そのとき、思ったんです。

この人は、弱くてそんなに悪いひとではなかったのではないかもしれない。

でも、わたしこの人が泣こうが、この人に嫌われようがどうでもいい。全くどうでもいい。

伝えたかったのは、『嫌い』という鋭い感情。隠せない苛立ち。不条理に傷ついたという訴え。

それが、伝えられました。

またひとつ、職場にいずらい理由が増えましたが、何を失っても全然構いません。

なぜかと言うと


いつ辞めたって構わないからです。

嫌い
大嫌い

それを押し殺してなんになるんでしょうか。
自分抑えて、動悸までして、何のメリットがあるんでしょう。

職場にいずらくていいじゃないですか。

黙々と仕事をして、きちんと挨拶をして、机や周りを整理整頓して、速やかに帰る。

それだけやれば良いのです。

遊びに来ているのではありません。

お金を稼ぎに、社会勉強をしに、来ているのです。

仲良しな必要性。ゼロ!

相手は、わたしがここまで言えると知らなかったのでしょう。

わたしは、誠意には誠意を、悪意には悪意を持って返します。

泣き寝入りはしません。

自分の意思は、伝えなくては、何も始まりません。


相手の震えている手を見つめながら。

弱いなこの人は。
ずるいな。
守られて生きてきたんでしょうね。
そんなんじゃこの世の中通用しないですから。
厳しい外に蹴っ飛ばしたくなりました。

雑草育ちのわたしは
そんな温室育ちの弱い人に絶対負けないから。

そう心に刻んだ夕暮れでしたが、相手の涙声がずっと鳴り止まなくて、心が痛みます。

ひとを傷つけることは、自分を傷つけるのことと同じようことなんですよね。

あなたのことわたしは大嫌いです。

苛立ちがとまりません。

出来れば殴ってやりたいです。

嫌い。
嫌い。


大嫌い。