学生指導に病棟にあがっています。
 久しぶりの病棟 久しぶりの学生 なにもかもが久しぶりすぎて、ドキドキな毎日です。
2週目に入り、中間カンファ(これは関連図と計画を発表するもの)をすぎ、実習も折り返し地点、3年生は3クール続けての実習らしく、疲労でoutの子もでたりして。私も、記録をみたり、処置に入らせてもらったり、普段とは違う動きにもすこーし慣れてきました。
 私が受け持っている学生サンは、大学出て入学してきた23歳。先生から「知識が浅いのでそこを見てもらいたい」との事でした。たしかに記録をみ ると、SOAPの書き方が・・・。関連図がつながってない・・・計画がざっくりすぎて患者が見えてこない。最初の一週間では見えてこなかったことが見え ちゃう。
 患者サンがいて病気があって、そこから繋がって行く関連図。病態理解、情報の整理、問題点を明確化するために書くものなのだけど、それぞれに出 そうとするところは間違っていないのだけど、繋がっていない。繋がらない。繋げられない。要するに患者さん、病気、情報が繋がらないということ。これをど う教えたらいいのだろうか?と悩んでしまう。指導者さんとも、どうしましょうか?と言いながらいろんなことを考える。結局よくわからなくて、7つ年下の指 導者さんと、「ほんとは、主婦の片手間でナースしたいんですよねぇ」という結論で終わる。それこそ指導とつながってない?(笑)
 
 昨日、サブリーダー会議だったのだけど、現場の問題を運営会議に持っていくというのも、サブリーダー会議の役割でもあって、過去2回は「特にな い」でおわっていたのだけど、今回は「現場のコミュニケーション」について放射線科の方から困っているんだけど、という話で盛り上がる。盛り上がりすぎて 20時すぎに終わる。BLSのシミュレーションのグループで実感したんだけど、小さい単位での話し合いなら特に問題なく進む。個性的過ぎるメンバーとも、 距離を保ちながらいい感じで勧められる。今回のシミュレーションは、教育ってのもあるけれど、外来のコミュニケーションをよくしましょうって企み(これは 後付けなんじゃないかと思っているけれど)。今後、いろんな場面で人材をシャッフルしていかなければいけなくなるから、コミュンケーションを取りましょ うって上は考えてるらしく、意図的にそうやって進めるようしむけられてる。上が思うほど、繋がれない訳じゃないのだ。いままできっかけがなかっただけ。上 のつなげかたがわるかったんだって事じゃん、と私は思っている。放射線科はつながりすぎてこんがらがってるのだ。それをほどく方法をなんとなく分かってい ても次から次へと糸を足して行くから、さらにこんがらがるのだ、だったら一本ずつ抜いて行けばいい。ちょっとばらばらにして組み直したら、どうにかなるん じゃね?って思うのだけど。
 サブリーダーもそれはそれで個性的なメンバーだから、こういう話もでないまま終わるのかなぁって思ってたけど、ま、すこしぶっちゃけられたというのも、関係は少し進展してるのかなぁ。
 無理して繋げようとすると繋がらないけど、周りが思うほどつながってないわけじゃない、なんとなくそんな事を思った週末。それにしても学生さんの関連図はつながるのだろうか。このままじゃ、実習の単位が危ないそうです
 6月になりました。

 5時に帰れるからという理由だけで異動したのに、5月から一日たりとも5時ピタ帰宅ができない状況です。

 4月と6月に新しい人が来ました。新しい人というのはそれだけでエネルギーがあります。きっと自分もそうだったんだろうなぁ、と懐かしい気持ちに。この病院にきて7年経ってしまいました。

 師長から面接で
「早く上にあげてあげたいの。」
と言われた。常勤になったのが4年前なので、経験17年なのだが、まだ等級がペーペーのペー位なもんなのだ。と、いうのも、上がるためには委員会への参加実績、後輩指導なども含まれるため、前の師長の年功序列方針によると、私は後輩指導も、委員会活動も免除されていた。今の師長は完全実力主義。若い力こそ、現場を変える!と意気込んでらっしゃる。師長さんは素敵だし、カッコいいし、尊敬できるけど、でも、今時点で師長さんのように、バリバリはできないんです。主婦の片手間だから。バリバリしたくないんです!!!
「サブリーダー会の中心人物はusahanaだと思うの。」
の爆弾発言。内視鏡はクマ子だし、放射線はクマコが一目置くほどのIさん(かなり取り扱い注意)。ケモ室は2年後には外来部門を離れるからなのか、姐さん差し置いて、ワタシ、仕切れませんし、B型の管理はとっ散らかりますよ。

 と、言う訳で、今年サブリーダーに与えられた最も大きな仕事が、シミュレーション教育の仕切りをまかされた。話し合って、BLSと輸血(出血性ショック) 薬剤のアナフィラキシーショック(ケモ、造影剤)の4本立てに決まり、私はもちろんBLS担当。一番簡単そうという理由で6月開催となったわけです。

 しかしながら、すぐ「聞いてない。みんなで話し合ってないのに勝手にやった。」などと言われるのはいやなので、「とりあえずサブリーダー会で、シミュレーションの流れをそろえましょうよ。」と提案。その後、BLSグループで話あいをする事にしたら、もうすっかり5月末。6月末の勉強会に向けて師長にガンガン添削されながら、グループメンバーのケツを叩くという毎日です。

 ところが、そのサブリーダー会で、まさかの、シミュレーションの仕方が分からないということが判明。イヤな予感がしてたので、私は資料を持っていきました。そう、それがなかったら、自分達の考えるシミュレーションで突っ走るとこでした。クマコはまったく外部の講習とかに参加するタイプではなく、IVRの学会でも、教育の部分もまだこれからな印象。JPTECやISLSなどの経験から、こういうことを師長さんは望んでおられるというのをキャッチしといてよかったよ~。

 なにはともあれ、日々、BLSのシュミレーション準備に追われる日々なのであります。
ペタしてね
昨日は、師長さん救急認定の学校の卒業を祝う飲み会でした。
 50を過ぎて、なぜ今、認定を取りに行ったのか(なんと救急の認定では最高齢なのだとか)、なぜ救急だったのか、などのお話を聞かせていただいて、なんとなく師長さんの事をちょっと知れたようで、言われることもちょっと理解できた気がします。
 今までのままではいけないと、現場は思っていても、なかなか変えられない現実。いろんなプレッシャーをかけられて、ほんとに病気にもなっちゃっ たりしたけれど、視点を替えてみれば、これほどにいろんな事にチャレンジさせてもらっているのも、私くらいなもの。本当に、なんで自分ばかりって思った し、苦しい事も多かった。他の人が5でいいところ、自分だけなぜ10を目指さなくてはいけないのか、それを求められるのかと、本当にイヤにもなった。でも 行く先々で、いろんなことはあるけれど、けして悪いことばかりじゃない。そう思えたのも師長さんだからなんだろうなって思う。そう思える師長さんに出会え た事は、私のナース人生においては貴重な経験。
 本当は、主婦の片手間にナースをやっていたい、とぬるい事を思っていたけれど、自分が思う、「患者さんのための看護」をするためには、やはりある程度、覚悟してやらねばならないんだな、と改めて思う。
 4月に内視鏡に入る予定の人が、辞退して来た事をうけ、3月から救急外来に異動になった人が再来週から内視鏡への異動が決まった。その話を内視鏡メンバーと
「今度こそはって思ったんだけど・・・」
という話をしてるところに、ちょっと酔っぱらった師長さん
「ちょっと、なに、そっち側行ってるのよ!今は、異動はナシよ。救急外来で結果を出したら、ご褒美で考えない事もないけどね」
と、宣言されちゃいました。
 人が思うほどなんでも器用にこなせるわけではない、でもこなすための努力はできると思っている。まだまだ始まったばかりで,これからどうする か、目標設定も、目標達成のプロセスもまだまだこれから。焦らず、騒がず、とりあえず、しばらくは、カテ室でがんばろうと思いました。