だーぱんの旅ブログ

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海外旅行のエピソードなどの記録です

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あれ?

顔文字機能もう使えないの?

 


 

 

どうやらFlash Playerの配布終了に伴う措置だそうで

これから絵文字が使えなくなるのはまぁ仕方ないことなのですが

一つ心配なのは。。。

これまでの記事で使ってきた顔文字や絵文字は

今後もちゃんとPCやモバイルで表示されるのかなってこと。

 

あまりPC詳しくないのでその辺が心配です。

今までの記事全~部手直しして絵文字だけを消すとか無理ですから~えーんあせる

 

 

 

 

 

 

 約16ヶ月ぶりくらいになるでしょうか。

みなさま大変ご無沙汰しておりますがいちおう生きております。

 

じつはポーランドの記事のあたりからずっと私の体調不良が続き

病院にいったところ逆流性食道炎との診断を受け、ずっと自宅に引きこもっておりました。

食事のたびに吐き気がとまらなくて(特に夕食後)

毎日毎晩トイレとリビングを往復する事態になっておりまして。

食事だけでなく乗り物もダメになって

旅行どころか近距離の電車移動もほんの数分乗っただけで吐き気がとまらなくなり

電車も車もNGでしたので私は仕事も何もする気力が出ず完全に引きこもりになっていました。

そのため2017年の春にはなんとか旅行に行ったのですが

夏は私は自宅で引きこもってゲーゲーしており、旦那一人でスイスにお出かけ。

私は自宅警備をしておりました(涙)

 

2018年になり、やっと逆流性食道炎の症状も治まってきたかと思ったのですが

今度は旦那がまさかの交通事故で頭の手術をすることになり

約2ヶ月ほど入院&通院の日々が続いておりました。

当初今年の夏はオーストリアとスイスに行く予定だったのですが

頭の手術の影響で飛行機の搭乗にドクターストップがかかりキャンセルに!(><)

今もまだ定期的に病院通いは続いているのですが

ようやく飛行機に乗れるようになったのでリハビリを兼ねて

年末にどこか国内旅行でも行ければいいなぁと思っておりますが

どうなることやらですね~(^^;

 

 

…というわけで、ツラツラといいわけしましたが

いろいろなことが重なりブログを書く気力もなかなか湧かず

一年以上も放置してしまいました。ごめんなさい。

 

ようやく身辺が落ち着いてきたので

久方ぶりになりますが旅ブログを再開したいと思います。

私の逆流性食道炎と旦那の交通事故以前に行った旅行が

まだいくつかありますのでそれを書きたいです。

 

これからはあまりダラダラ書かないで

『短く簡潔に』を目指して書こうと思います!

うーん、できるかなー。もとい!がんばりますので

これからもよろしくお願いいたしまする~。

 

 

 

 

 

 

8月5日(金) 18:30

まだ明るいので少し足をのばしてワジェンキ公園に行くことにしました。

 

 

 

 

ワルシャワ中心部からワジェンキ公園まではトラムで移動。

 

 

 

 

公園の入り口には親日家で有名なユゼフ・ピウスツキの銅像がありました。

ポーランド共和国の建国の父にして初代国家元首、国防相、首相。ポーランド軍創立者にして元帥という凄い方。

ちなみにお墓はクラクフのヴァヴェル大聖堂の地下墓所にあり、無料で見学ができます。(^^)

 

 

 

 

ショパンの像のある広場。

ワジェンキ公園で最も有名な場所です。

 

ここでは毎年5月~9月にかけてショパンのコンサートが行われています。

ちなみに2017年の日程はこちらです。

2017年夏季ワジェンキ公園ショパンコンサート

 

 

 

 

広場の中心にあるショパン像。

ショパンはすぐに認識できますけど、そのすぐそばの巨大な物体はなんだろうと思いませんか?

これは風になびく柳に腰掛けて空想に耽るショパンの姿を銅像にしたものだそうです。(^^;)

うむむ・・・サラサラの柳を銅像化するとこうなるのか(笑)

 

 

 

 

ワジェンキ公園には可愛い住人さんがたくさん住んでいます。

 

 

 

 

鴨の親子。いや兄弟かな?

赤ちゃん鴨のほうはまだ泳ぎが得意じゃないみたいで、ずーっと池のふちで歩き回ったり日向ぼっこしたりしていました(^^)

 

 

 

 

園内を探すとアカリスにも会えます。

ワジェンキ公園で一番人気者の住人さんですラブラブ

 

 

 

 

この子はあまり人慣れしていないみたいで

人間を避けて物凄く警戒しながら食事していましたが、人に慣れている子だと手のひらから餌を取って食べたりするそうですよ!

 

 

 

ワジェンキ公園でもう一つ有名なスポットにワジェンキ宮殿(水上宮殿)というところがあります。

名前が素敵なのでとても気になるのですが、園内がやたらと広くてなかなかその場所が見つからない(><)

 

 

 

 

目に入ったとたん水上宮殿かと歓喜しそうになりましたが、これは温室(オランジェリー)だそうです。

 

 

 

 

日が暮れて時間切れになってしまったので水上宮殿はやむなく諦めることに(><)

ワジェンキ公園は広いので、昼間のもっと明るい時間のうちに来ることをお奨めしますあせる

でも緑に囲まれながらのお散歩はとても楽しかったです(^^)

 

 

 

 

最後にワルシャワ駅前の夜景をおまけにつけて、ワルシャワ観光を終わります!

次回ワルシャワに来たら、今度はショパンの足跡を辿る旅にしたいなぁ(^^)

 

 

 

 

 

 

 

8月5日(金) 17:30

まだ日が高いのでもうちょっといろいろ見学します。

(今日もちょっと重~い内容の記事になります。すみません汗

 

 

 

 

こちらは「ポーランド女王聖母教会」

別名「ポーランド軍の大聖堂」とも呼ばれいている建物です。

 

1660年に建立した教会。

「ポーランド軍の」という名の通り、ワルシャワで行われる主要な軍事的行事はすべてここで行われるそうです。.

 

 

 

 

これは1830年頃の教会のある風景。

今とあまり変わらない佇まいに見えますが、この教会は一度改築されて下のような姿になったことがあります。

 

 

 

 

なんということでしょう!

タマネギ頭のロシア正教会に改築されてしまっています。(><)

写真は1900年頃のものと思われます。

 

この教会はポーランドが3つの国に分割された際、その一つの統治者のロシア帝国によって1837年にロシア正教会として改築されてしまいました。

その後ロシア革命が起こりポーランドは再び権力を取り戻し、1923年にようやく今の姿に再改築されたのだそうです!

 

 

 

 

そして第二次世界大戦が始まり、ワルシャワ蜂起の際には暫定的に野戦病院として使われていましたが教会はたびたび攻撃目標にされ、1944年8月20日にとうとう破壊されてしまったそうです。

その後1946年~1960年に教会は修復されました。戦後は社会主義の時代だったんですが、その時にはロシア正教会にされなかったんですね。良かったです(^^)

 

 

 

 

 

教会の入り口にはポーランド軍のシンボルのいかりとプロペラが飾られています。

 

 

 

 

ヨハネ・パウロ2世の銅像も。

 

 

 

 

教会内を見学できそうでしたのでちょっとおじゃましました。

こちらは主祭壇。

大きな式典などで使われているため、中はとても綺麗です。

 

 

 

 

主祭壇のわきにはカティンの森事件の犠牲者を祀る碑がありました。

 

カティンの森事件とは?キョロキョロ

第二次世界大戦の際、現ロシアのスモレンスク近郊にあるグニェズドヴォでポーランド軍将校や聖職者、官吏など約22000人がソ連の秘密警察(NKVD)によって銃殺された事件。

銃殺の理由については、ポーランドに侵攻したソ連はポーランドの指導者階級の人達を根絶やしにすることで抵抗する意欲を削ごうとしたのではないかと言われています。

地元では事件発生当時からポーランド人が大勢銃殺されたという噂が絶えなかったそうで、独ソ戦でスモレンスクを占領したドイツ軍がその噂に興味を示し噂の現場を調べた結果、事件が発覚!

ドイツ軍は「これは世界的な大事件になる!」と思いグニェズドヴォよりも国際的に通用しやすい名前である近郊の集落カティンから名前を取り「カティン虐殺事件」として大々的に報道しました。

 

しかし、ソ連はそれを「ドイツ軍の仕業だ」として関与を全面否定。当時連合国軍でソ連と一緒に戦っていたアメリカや西側諸国もソ連によるものという証拠に気づきながらもドイツ軍説に賛同したそうです。

「勝てば官軍」とはまさにこの事汗 たしかにドイツ軍の残虐非道な行いは目に余るものがありますが、やってもいないことまで擦り付けられたらたまったものではないですね。

 

その後冷戦期に入り米ソの関係が悪化した途端、一転して「カティンの森事件」へのソ連関与説が有力と言われるようになりましたが、ポーランド国内では社会主義によるソ連の統制によって事件について口にすることはタブーとされていました。

そしてペレストロイカによってソ連の情報公開が進むとソ連自身からも事件を公表する動きが出て、ようやく「カティンの森事件」はソ連の秘密警察によるものと決定されたのです。

 

 

 

 

カティンの森事件についてもっと詳しく知りたい方には

アンジェイ・ワイダ氏の映画「カティンの森」をお奨めします。

実はアンジェイ・ワイダ氏のお父さんがカティンの森事件の犠牲者で、そういう意味でも彼の監督人生をかけた一大傑作だそう。

R15指定作品ということで、きついシーンもありますが良い映画ですのでお奨めです。

 

 

 

 

碑の両脇には犠牲者の名前を彫ったプレートがずらっと並んでいます。

事件の犠牲者はあまりにも多すぎて全員を見つけることができず、いまだに遺体が見つかっていない人が3870人もいるそうです。

 

 

 

 

ポーランド女王聖母教会を出て「ワルシャワ蜂起記念碑」に来ました。

この記念碑は地元の新聞の発表では外国人観光客が最も多く訪れる場所だそうです。

 

 

ワルシャワ蜂起について知りたい方は以下の記事をご覧ください。コレ


 

 

 

 

メインの巨大な記念碑。記念碑の建立は1989年です。

 

 

 

 

民衆の抵抗を正しいものとするモニュメントは、長い間ソ連型の社会主義体制によって抑圧されていましたが、東欧革命を経て民主化されてからようやくこういった施設が建設できるようになりました。

 

 

 

 

PとWをくっつけたようなデザインはポーランド国内軍のシンボルの一つで、

「Polska Walcząca(戦うポーランド)」の頭文字を図案化したものです。

 

 

 

 

同じ敷地内に設置してある小さな記念碑。

 

 

 

 

もう二度とこんな悲劇が起きないようにという思いとともに、強国に翻弄され続けてきたポーランドの歴史とワルシャワ市民の不屈の精神に思いをはせる一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

8月5日(金) 16:00

ワルシャワ旧市街観光の続きです。

 

 

 

 

旧市街市場広場。

ワルシャワ旧市街にある2つの広場のうちの一つです。カラフルな建物が可愛い。

ワルシャワの町は13世紀にヴィスワ川のほとりにできた小さな集落が発展したもので、14世紀には城壁が造られ15~16世紀になるとバルバカンが建造され 城郭都市として発展しました。

その後第二次世界大戦でワルシャワは2度破壊されます。まず初期のポーランド侵攻でワルシャワは破壊され市民の手によって復興したのですが、5年後のワルシャワ蜂起で町は再建不可能と言われるほど徹底的に破壊されました。

 

 

 

 

ポーランドは戦後ソ連型の社会主義政権下でソビエト流の町(スターリン様式)に作りかえる計画があり、ワルシャワ再建もソ連の許しを得られず歴史的な建造物は消滅の危機にさらされていました。

前回旧王宮の紹介をした際に、

「復興するとポーランドに社会主義でない時代が長くあった証拠になってしまう」

というイマイチよくわからない理由でポーランド統一労働者党政権によって復興を阻止された

と書きましたが、その裏にはソ連のこんな怖い思惑があったんですね。

 

 

 


しかし1970年にようやく復興の許可がおり、そこから復興までにかかった期間はなんとわずか3年!

この復興の早さとワルシャワ市民の町に対するアイデンティティの強さは驚異的です!ワルシャワ市民は戦後も町を守るために精神的な戦いを続けていたのですね(><)

 

 

 

 

ワルシャワを守る人魚の像。

この人魚にはちょっと可愛いお話があります。

 

<< ワルシャワの人魚のお話 >>

昔々ワルシャワがまだ小さな村だった頃、ワルシャワに人魚が泳ぎ着きました。

人魚はこの村がたいそう気に入って、ワルシャワに住み着くことにしました。人魚はいたずらが大好きで村に住む漁師が捕ってきた魚を逃がしたりして困らせては喜んでいました。

怒った村人は人魚をこらしめようとしましたが、人魚は少しも怖がらずヴィスワ川の歌を歌い始めました。すると美しい歌声に惹かれてたくさんの動物たちがヴィスワ川に集まりました。村人たちもその声に感動して、人魚を傷つけないと約束しました。

そんなある日、この美しい歌声で一儲けしようと企んだ悪い商人が人魚を捕まえて木箱に閉じ込めてしまいました。しかし人魚の泣き声を聞いた漁師の息子が仲間と一緒に人魚を救い出し、悪い商人をこらしめました。

人魚は助けてもらったことにとても感謝し、ワルシャワの町をずっと守り続けることを約束しましたとさ。

 

 

…というわけでワルシャワの人魚さんは剣と盾を持って、ワルシャワを守っているのだそうです(^^)

 

 

 

 

洗礼者ヨハネ大聖堂。

ワルシャワで最も古い教会だそうです。

 

 

 

 

聖ヨハネ大聖堂の正門。

扉にはワルシャワの守り神の人魚と鷲が描かれています。

鷲はポーランドの国鳥で11世紀のポーランド王国の時代から国章に使われていた鳥です。

 

 

 

 

大聖堂の主祭壇。

ワルシャワで一番古い教会と言われていますが、中は白が基調になっているせいかとても明るくて美しい教会でした。

 

 

 

 

旧市街を囲む城壁。

バルバカンから始まって旧市街をぐるっと囲むように旧王宮のほうまで続いています。

 

 

 

 

バルバカン。

小さな漁村からポーランドを代表する主要都市にまで発展したワルシャワに都市を守る砦として建てられたのがこのバルバカンです。

後にジグムント3世によって首都がクラクフからワルシャワに遷都され、ワルシャワの町は大規模な発展とともに数々の戦渦にさらされることになります。

 

 

 

 

 

聖アンナ教会。

もともと修道院として設立されたもので、ポーランドで最も重要な教会の一つとして知られています。

 

 

 

 

美しい主祭壇。

カトリックの祝日の際には、すべての行事をここで行うそうです。

 

 

 

 

ワルシャワの高級レストラン「ウ・フキエラ」。

エントランスにふんだんに飾られた花々がとても綺麗。

 

ウ・フキエラは300年以上前に創業したお店です。

…ということは、ショパンが生まれる前から営業されているってことですね!第二次大戦の戦火を経て今なおここで営業を続けています。高級レストランではありますが、もともと物価の安いポーランドですから4000円~6000円くらいで食事ができるようです!

でも私たちは外から見ただけですが f(^^;)

 

 

次回は旧市街を出てワルシャワ蜂起記念碑を見に行きます。