25王滝・長野県茅野市 | しぶきの滝ブログ

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赤目四十八滝 荷担滝

 

☆王滝伝説・茅野市

 

 

 今から幾百年か前から伝えられた実話であり、伝説として残されているが、渋川の下流に数個の新田があった。

 この中に歳の若いまじめな夫婦が仲むつまじく共稼ぎをして暮らしていた。そのうちに玉のような男の子が生まれた。

 二人は大喜びで毎日の成長を楽しみに経てば歩けと円満な日々を送っていたが、その子が六才になる頃から食欲が無くなり、だんだんと痩せていくのが目につくようになったので、夫婦も心配して薬を買ってきて飲ませて見たが少しも効果なく弱る一方で、神や仏様にもお願いして私たちが身代わりになってもよいから息子の命を助けてくだされと頼み、日夜お参りもしたけれど益々悪くなるばかり。

 そこで何里か離れた処に名医があると聞いたので、夜中起きをして夫婦で代わる替わる背負い尋ね着き、漸く似して診察ができ、その結果を聞いた時、驚いた。

 医者のいうにはこの病気はロウガイという不治の病で治る見込みはないといわれ、夫婦は生きた心地が無く、落胆の余り足も出ず、漸くにして我が家に着いた。もしこの子が死ぬ時は三人一緒に死のう、と話し合い、思案に暮れて二、三日過ぎた。

 

 窮すれば通ずるというが、考え考えた末、子供の頃に聞いた事を思い出した。横谷峡の岩間の洞窟に猿が造った酒がある。

 その酒は看病に効くという事だが、これが事実とすればと妻と相談の上、最後の頼みと横谷の洞窟へ探しにいく事になった。

 そこで腰に瓢を着け、ナタや鎌を用意して横谷の谷へ入って行った。

 しかし家で考えていた処とは大違いで、谷一帯は薮で覆われ、洞窟はどこにあるやら皆目しれず、川辺に沿って奥へ奥へと登って行ったが、薮のすき間から岩が少々見えるくらいで、求める洞窟はどこにあるのかも知れず、半ば希望を失って断念して帰ろうかと一時は考えたが、折角ここまで来たのだから帰っては、と気を引きしめて流れに沿って登っていくと、向こうに大きな岩が見えた。

 今度はと喜びながら近寄るに従い滝の音が聞えてくるので不思議に思いながら一段と登ってみると、両岸高く聳え立つ岩と岩との間から幾条かの白糸の様な滝が落ち、二段目は白い水煙をあげて滝つぼに渦巻いている。

 さて困った、ここには洞窟は無い、どこか登る所はないかと滝の上を眺めた。

 

 その時大きな松の木の下に白髪の老人夫婦が立っていた。

思わずはっとして神の化人出現と両手を合わせてしばらく黙礼した。

 再び顔を上げ岩上を見ればその老人達が手招いている。

 回り道をして来るようにと手で合図をしてくれた。

 これは何事かあると思い指示のように回り道をして登って行った。

 会って見れば神でもなく老骨の夫婦で言葉優しく声をかけてくれた。

 貴方は何の御用があってここに来られたのかと聞かれたので、私は子供が不治の病で医者にも見離され、親子三人で死のうかと思いつめたが、ふと昔、聞いた事を思い出し、この谷の猿酒を一度飲ませて見たいと思い探しに来たけれど、猿酒どころか歩いてくるのも容易で無く断念して帰ろうかと思いながらついここまで来てしまった、と事の次第を打ち明けた。

 

 これを聞いた老人夫婦も同情して話してくれた。

 子を持つ親は皆同じで、気持ちはよくわかりました。

 私共も今から数百年前、この川裾の村で百姓をしていたが、この谷の猿酒が弱い人によく効くので、隣り近所の弱い子供達の為にせがれが百姓の合間を見て探しに来て皆さんに差し上げていたが、ある日ふと家を出たまま帰らず、最初はどこか遊びにでも行ったのかと思っていたが、三日たっても四日過ぎても帰らないので心配になり、村の付近からこの谷間で探してみたが何の手がかりもなく、遂に三年ほど過ぎた時、村の人に知らされてこの滝の所にお宅の印の付いてるナタや鎌と白骨があるので一度見ては、と言ってくれた。

 

 この話を聞いたら一刻も早く見たくなり二人でここへ来て見れば、無残にも鷲の白骨と共にせがれの白骨が入り組んで、印の付いたナタや鎌は飛び散ってわしと苦闘した跡がよく知れた。

 二人はお互いにせがれの白骨を抱きしめて幾夜かここにいたけれど、限りはないので一応連れて帰ろうと亡骸を分けて持ち帰路についたが、この谷は藪やつる草とで容易でなく、ようやく我が家に帰りねんごろに葬り供養をしていたが、なんとしてもせがれはこの下の滝にいるような感じがして、ついに再びここに来てしまい、帰ることを忘れ今日までせがれの霊と共に生きてきましたが、幸い食べるものはこの谷に沢山あり、貴方が求める猿酒もここに造ってありますので差し上げます。

 なおこの外に御子様の病によく効く魚もさしあげますと、岩の水溜の中から生きている小魚を水苔に包んで差し出し、この魚は生きたままお碗に入れ、水と共に一匹ずつ一日に三回飲ませてやりなさい。

 お酒も差し上げるから腰の瓢を貸してください。

 といわれ腰に瓢のあることに気付き、早々お願いします、と差し出すと岩屋の奥へ行き瓢いっぱい猿酒を詰めて来たが、この酒も小さな盃に少々入れて一日三回飲ませて、この酒が終わる頃までには食欲が出て効果が見えたら、又お持ちに来なさいと瓢を渡してくれた。

 又今度帰る道を教えてあげますといって滝の上から斜め向こうに見えるが、その下は小屋になっている。

 そこに谷を出る道があるので、そこを行き来しなさい、と事細かく教えてくれた。若者は以外のことに夢かと思い、又この老人たちは神か人間か、なににしても有難やと二つの品を頂いて厚く厚く礼を言い教えられた道に出て急いで我が家へ帰り着き、妻や子に今日の出来事を打ち明ければ、妻も夢かとばかりに喜んで早速老人の言われるように飲ませ始めた。

 数日たたずして猿酒と小魚の効果はてきめんで今まで寝てばかりいた子供は元気が出て庭を歩いたり、少しは飛んだり出きるようになってきた。

 若い夫婦の喜びは一方でなく、近々の内にお礼に行かねばならぬが、重くてもお米やお味噌を持てるだけ 多く持っていこうと感謝の一年でした。

 日は過ぎ子供も意外に元気付き、猿酒も終わったのでお礼ながら行く事となり、妻と二人でお礼の品を背負って今度は教えられた道を登って行ったので意外に早く老人夫婦のいる滝上へ着いた。

 老人夫婦も若き二人の再会を快く迎えてくれた。そこでお礼の品を差し出し過日頂いていった猿酒と小魚は実に良く効き、医者も見捨てた病人が見違えるほどに回復してこの分ではもう大丈夫となりました。

 一度は三人で死ぬ覚悟までしたものが、これから生きていけるのも皆御老体様方のお陰ですと心からお礼を申し上げに参りましたと感謝し、持って来た米や味噌を差し出すと、老人はこれを見て重々と持ってきてくれた気持ちは有難いが、今、私たちは米や味噌は食べないで、この谷にある品々で命長らえていますゆえ、こうした心配はしないで下され。

 この品は頂いたも同じです。どうか持ち帰られ暮らしのたしにして下さい、私共はここに来て食べ物の心配したけれど。

 この谷にいるお猿さんが数多い洞窟に住んでいて、食べるものを教えてくれたので、どこに何があるか、ということを知る事が出来、又薬草の類も長らくの経験でそれぞれの病の効く草などを知る事が出来、お陰様で今日まで長寿を保つ事が出来た。

 若し貴方がたが人助けの希望があるなら、私の知っている限りをお教えましょうか。

 

 

 若夫婦も喜んで願ってもないこと故、有難いお言葉、是非教えてくだされと申し上げれば、老人もうなずいて先ず猿酒のことから話しましょう。

 この谷にはブドウからマタタビ、シラクチ、赤や黒のゴムシの類が沢山あるので酒を造るにはこのみを秋頃の良く熟したものを岩のくぼみに沢山取り集め、そのまま捨てておけば岩が常に日光を受け、昼夜その暖かさが酒を作る温度に適していて、一年ぐらい経てば上等の酒になっている。

 この酒はお猿さんが造るので猿酒と呼んでいる。

 又貴方にお上げした小魚はこの谷の各所に湧き出でている清水の冷たい水に棲む山椒鰍と呼ぶほかの魚と違って栄養に満ちた類の少ない魚で、特に子供の衰弱等には最高の魚で、この他に子供にはイボタとか柳の木に食い込んでいる虫なども最適である。

 またこの他には山百合の根とか、ジネンジョー、タラの芽、岩に生えている岩茸等は万病に効く食い物で、薬草ではオケラ、チプリ、タカトウ等、その他この谷には塩のなる木があり、これらの品々は最高栄養があると共に病にかかる事もなく、長寿の妙薬です。

 私共がお米を食べていたら、とうの昔にこの世を去っていたでしょうと話してくれた。

 そこでお歳は何才になられましたかと聞くと、老人はにこにこ笑いながら、私は初雪が降る毎に小さな石をこの段に一ずつ置いてきたが、その後載せる所がなくなり、やめてから何年経ったか自分でも分かりませんし、又これから後何年生きられるかも知れない、と満足そうに答えてくれた。

 又重ねて聞いた。ご老人が二人で、この上の滝で、お住まいになってお淋しくありませんかと聞くと、少しも淋しくはありませんよ、滝の下のせがれの魂がいてくれ、時々色々の鳥が来て歌を奏でてくれ、今ではお猿さんが毎日食べ物、飲み物を持って来てくれるので、月日のたつのも忘れています、と何時もにこにこ話してくれるので話は尽きず、若夫婦も帰るのを忘れていたが、又たびたび来て下されよと、例の瓢に猿酒を詰め、水苔に沢山の山椒鰍を入れた包みを出して、ぼつぼつお出になる頃と用意して待っていったのでお持ちになり、近所の病める人にも差し上げて下されと差し出してくれた。

 二人はこの老人方の情け深さに頭が下がりお礼の言葉もなくただただ有難う御座いました、このご恩は何かでお返ししますと再三頭を下げた。

 又老人は話しかけ、焼野の雉子夜の鶴というが、同じ気持ちの者でなければ真の心は分からない、どうか貴方がたもお子様を丈夫に育てて下されよ、と別れを惜しんだ。

 お礼を言って帰りかけると老人は声を掛けて、時々は来て顔をお見せ下され、お酒も魚も用意してお待ちしていますから、と呼びかけてくれた。私共も手を振って別れを惜しみながら帰路についた。

 帰ってから夫婦で今日の出来ごとを話しながら相談した。老人方の事を人に話すにも場所の名が無くては話にならないので、名を付けよう。

 先ず彼の老人は神でもなく、人としては尊すぎるので王様と考え、あの滝を王滝と名づけ、老夫婦が住んでいた老松は高砂の松と呼び、二人の幸福を祈り、又世間の人々にこのことを話し伝え、病んで困っている人々にこの猿酒と山椒鰍を与えて下さるようにお願いし、世のため人のために尽くして頂き、我々も老夫婦をこの地の守り神としてその徳を永遠に伝える事を誓った。

 

以上横谷峡と不老長寿の王の滝の伝説を終わり。


 

   蓼科・八ヶ岳の伝説 より 

 

 

 

 

 

 


 

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