チロル地方ヴェルグルの空 |  《地球の優しさ豊かさ》  

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『猫の美術館』
スーザン・ハーバート
美術出版社
 
 
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JAN VAN EYCK
c.1390-1441
The Arnolfini Marriagi
 
 
 
 
旅するジョグです。
今日も旅先バージョンでお送りします。(元気かな(^w^)は…)
旅先でも走っています。またちょっと膝を傷めましたが。
 
 
今年の春から人生の転換期を迎えている気がしています。
それで、私の心が枠からはみ出し、放浪の旅を続けています。(旅から何かを得るだろうか…)
 
 
 
◆今日はオーストリアのチロル地方、ヴェルグル市がまだ町だった頃の様子をお伝えします。
今から80年前、1932年ヨーロッパのこの小さな田舎町には、大多数の人間にとっての大きな一歩の足跡があります。
全体主義政権によって阻まれるまでのすばらしい試みをたどってみましょう。
 
世界大恐慌、1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で起こった株価大暴落による金融恐慌、経済後退が、いまだこの小さな町にも影を及ぼしていました。
 
当時のヴェルグル町の人口は4300人、うち、失業者500人、失業予備軍1000人という状態でした。
 
町長のミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、通貨が貯め込まれて循環が滞っていることが不景気の最大の問題であると考え、自由貨幣の発行を実践してみようと決意しました。
 
 
◆自由貨幣(中立貨幣・減価貨幣、スタンプ貨幣)は、『自然的経済秩序』を著したシルビオ・ゲゼルが提案した通貨制度で「あらゆる自然物が時間の経過と共に劣化してゆくように、お金もまた老化しなければならない」というものです。
 
人間の体は暖かい血液が通わなくなれば、細胞や組織が壊死し、やがて壊疽を起こしてひどい悪臭を放つようになります。
お金は、経済という有機組織を循環する血液のようなものであると主張したのです。
 
そこで、商品の平均劣化率5%という計算を基に貨幣も一年間に約5%減価すべきであるとしています。
 
 
◆話はヴェルグル町に戻ります。
1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。
町長のウンターグッゲンベルガー自身が地域の貯蓄銀行から32000オーストリア・シリングを借り入れ、そのまま預金として預け、それを担保に32000オーストリア・シリングに相当する「労働証明書」という地域通貨を発行したのです。
 
この労働証明書の裏面に記されていた文章をご紹介します。
 
「諸君、貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機、そして人類を貧困に陥れた。経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。
今こそはっきりとした認識と敢然とした行動で経済機構の凋落を避けなければならない。そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。
人間は自分が作りだした労働を交換することで生活している。緩慢にしか循環しないお金が、その労働の大部分を妨げ、何万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。
労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。
この目的のために、ヴェルグル町の『労働証明書』はつくられた。
困窮を癒やし、労働とパンを与えよ。」
 
この労働証明書は、月初めに額面の1%のスタンプ(印紙)を貼らないと使えない仕組みになっていました。つまり月初めごとに額面の価値の1%を失ってゆくのですから、誰もができるだけ早くこのお金を使おうとしました。
 
また、発行した32000シリング相当の「労働証明書」は、必要以上に多いことがわかり、町に税金として戻ってきた時にそのうちの1/3だけが再発行されることになりました。
 
「労働証明書」を使用していた13.5ヵ月間、流通していた量は平均5490シリング相当で、通常のオーストリ・アシリングに比べておよそ14倍の流通速度で回転し、254万7360シリング相当の経済効果がありました。
 
こうしてヴェルグルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われたのです。
 
参考:Wikipedia
『日本人が知らない恐るべき真実』
安倍芳裕 
普遊舎新書
 
◆ヴェルグル市になった現在も大成功を収めた当時のことが語り草になっています。
町長だったミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー氏の家は『ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガー研究所』として機能しています。
 
 
 
 
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ヤン・ファン・エイク
アルノルフィニ夫妻の肖像
1434年