友人の出産祝いを楽しく選んでいたというのに、急に不安になり、キリキリと胃が痛むような感覚に襲われていた。


適当にベビー服を選び、「これとこれでいいから、包んでください」と言いはなってしまった。


それまでとは様子の変わった私に、店員は怪訝な顔を向けてくる。


売り場から逃げるようにエレベーターに飛び乗っていた。


この喉がはりついたような渇きの原因は十分わかっていた。



私は彼の部屋に駆け込み、顔をみるなり、唐突な質問をしていた。


全くどうかしているとは思ったが、なんでもない風を装っていても、私の女としての時は確実に流れていくわけで、出産したいという気持ちがあるのだから、もうここらで決断するべきではないかと考えた。


「私のことどう思ってる?私はあなたと結婚したいし、出産もそろそろあせったほうがいいのかもしれないと思うようになってる」


「・・・そりゃ嫌いじゃないよ、三年もつきあってきたんだし、もちろん好きだよ、お前のこと、でも結婚には興味がない、子どももいらない。まだまだやりたいことも一杯あるし、もっと資格とるための勉強もしたいし」


なかば予想通りの言葉をもらい、ショックではあったが、これであきらめがつくのではないかと、なぜだかほっとしている自分もいた。


いつか結婚したくなるかもね、などとずるい台詞を吐かれたら、いつまでもずるずると期待してしまいそうだったから、これでいいのかもしれない。


「で、どうする?この先は?このままつきあう?それとも別れる?いくらなんでも俺のわがままにつきあわせるわけにもいかないだろう?」


今日の夕飯は何する?カレーにする?それとも牛丼?とでも訊かれているような気になった。


彼にとってはその程度のことなのかもしれない。


「・・・好きだから一緒にいたい私と、結婚したいと思うほど私を好きではないあなたとはやはりミスマッチなんだろうね。つきあい続けてたら結婚も自然にできるものだと思ってた。勝手に、そう思ってたんだから、あなたは悪くないし、わがままでもない」、だから別れましょうと続けていた。


”妹みたいに思ってる、家族みたいなもんだから大切な存在だけど、恋愛とか結婚とかは考えられないんだよ”と二年もつきあったあげくに最後に昔つきあった人に言われたこともあったなと苦い思い出までこみ上げてきた。


「そっか、残念だな」というわりには、彼の顔にはほっとしたような笑みが浮かんでいるようだ。


それほどまでに結婚したいという私の気持ちは彼にとって重いものであったということだ。


ただ好きと伝えるだけなら、優しくまるで宝物のように扱ってもらえるのである。


結婚したいと願ったとたん、手のひらをかえしたように、鬱陶しい存在として相手に認識されてしまうのはなぜだ?


別に彼に幸せにしてもらいたいとか、OLをやっていくのにも疲れ果てたから経済的にも依存したいなどと思っているわけではない。


彼のことも幸せにしてあげたいし、一緒に力を合わせて、できるだけお互いに助け合って、生きていきたいと思っていた。


好きだからいつも彼の隣で笑っていることができたら、それだけで幸福なのではないかと思った。


私はこの先、誰からも生涯の伴侶として思ってもらうことはないのかもしれない。


結婚どころかまともな恋愛もできないのではないだろうかと目の前の広大な闇に、震え、怯えた。



★★


別れから半年もたっていた。


私は仕事に没頭し、アルコールに溺れた。




酔えればなんでもいいとおもっていたけれどこれはそうとうクレイジーな味であるということはわかった。


スクリュー・ドライバーというより本当にねじ回しみたいな味(飲んだことはない)がするその謎の液体をしこたま飲んでいたら、隣に見える幻覚がなにやら質問をしてきた。


「次、何、歌う?」


私の横に座って、"清春氏?こっちがいいかな、ガゼットの紅蓮?なにがいいかな”と歌うことが好きらしくキラキラと目を輝かせ曲を選んでいるこの幻覚、いや、人間の男は誰だったか?


どこかであったような気がするのは気のせいなのだろうか。


「天城越え、石川さゆりちゃん」


まあこの男が誰でもいいではないか。

この楽しそうな男の顔はいい。


「YUIの次はさゆり?おお、いいね。はい、マイク」


パチパチと拍手してくれる。


今日は仕事帰りになじみの居酒屋でご飯を食べ、大ジョッキの生ビールを2杯まで飲んだところまでは覚えている。


なぜカラオケ屋にいるのかも覚えてない。


#隠しきれない 移り香がいつしかあなたに 浸みついた誰かに盗られる くらいならあなたを 殺していいですか


古臭い髪型の男女が浜辺で喧嘩でもしているのか追いかけっこか、雨が降ってきて仲直りみたいな、どたばたの再現フィルムのようなPVが流れている。


さゆり師匠の曲はせつなくてかっこいいけれど、どうにもこうにもこの映像が笑える。


このPVみたいに現実の恋もこんなものなのかもしれないと思い、とうとう吹き出してしまった。


幻覚男もつられたのか、笑い転げている。


「すげえ、髪型、昭和してるし。俺がカットしてやりたいくらい」





「・・・サワちゃん、もう寝た?」


「ううん」


幻覚男の名前はリクというらしい。


知り合ったばかりのリクは、前からの友達のように優しく丁寧に私の羞恥心をたくみに取り払い、あっという間にその情熱で私の理性を吹き飛ばし、彼の世界へと引き込んでくれた。


私を抱き寄せ、腕枕をする。


「結婚というものがしたかったの?それともその男だから結婚したかった?」


「どちらも」


「できるじゃん。相手選ばなければ結婚はできるよ。誰かいい奴みつけて結婚するだろ、それで、その好きな彼氏を恋人にする、これで両方叶うぜ」


「そっか。悩むこともなかったね・・・って違うし。・・・だけど、そうだよね、そういうことか。できないのは、好きな人と結婚すること、になるんだね」


「そう、愛してる奴と結婚したいということにこだわりすぎると苦しくなるんじゃね?他の男に口説かれても、そいつじゃなきゃ嫌だってことばかり言ってると、結局誰もよりつかなくなる」


例えば俺とかどう?とリクは耳元で誘うように囁いた。



★★


目を覚ますと、リクはもういなかった。


自分の部屋にいつもの見慣れた朝がやってきただけのように思えた。


やはり、リクは幻覚のようなものだったのかもしれない。


メモもなにもなかった。


電話番号もメルアドも交換していない。


酔っていたとはいえ、会ったばかりの男とはじけてしまった。


こんなことはさすがに初めての経験で戸惑ってしまうばかりの私がいた。


夕べの自分のあられもない姿を思い出してしまうとどうにもこうにも落ち着かない。


だれでもいいのだろうか、彼の胸の中でなくてもよいということか、リクが経験豊富なのか、私が過剰反応なのか、次から次へと淫らな妄想を重ねてしまい、ぐるぐると思考は乱れ、恥ずかしさで死にそうになる。




カーテンを勢いよくあけた。


こうして眩しい日差しを浴びていると昨日の夜の行動がやはりとてつもなく大胆な行為であったのだと思う。


★★


リクが残していった胸元につけられた赤みも今はすっかり消えていた。


あれから三ヶ月が過ぎていた。


仕事を終えて、コーヒーを飲んでいると、携帯がふるふると震え、メールの到着を知らせた。


『サワ、元気?俺は相変わらず、司法試験に向けて勉強中。仕事もがんばってるよ。彼女みたいな人もできた』


不思議と笑顔になっていた。


彼は出会った頃と何にも変わっていないのだと思う。


最初から結婚する気はなかったのだろう。


変わったのは私のほうなのだ。


いつのまにか、結婚前提でつきあってくれと、そのつもりでいてくれと、無言の圧力をかけて、壊さなくてもいい二人の関係にひびをいれたのは私の方なのだろう。


新しい彼女が彼との恋愛そのものを楽しめる人ならいいなと彼の幸せを願うことができた。


彼はいつも光に向けて歩いているような人だった。


立ち止まることはあっても、ふりかえることはない人であった。


その潔さが好きだった。


優しくて穏やかで頑張りやさんなところが大好きだった。


目を閉じて、もう、帰ることができない日々を追憶していた。


私も歩き出そう、悲劇のヒロインなどもともと私には似合わないのだ。


彼が好きだったさらに伸びたこの長い髪も、こんなフェミニンな服ももう止めて、ありのままの自分に戻ろう。


結婚のことばかり考えてサボりがちだった勉強なども再開しよう。


★★


鏡の前に座らされ、髪をくるくるとねじりあげ、タオルを巻いたりしている。


ヘアカット前の準備をしてくれたミルクティ色の髪をした女性は「しばらくお待ちください」と言い、ペコリとお辞儀をして行ってしまった。


いつもお願いしているヘアスタイリストの女性は今日はあいにく休みらしいのでお任せにした。



「こんにちは、お待たせいたしました」と背後から声がかかった。


私は読んでいた雑誌から目を離し、鏡の中のモノトーンの服装をしたスタイリストを覗き込んだ。


あっ!、私は驚きで背後を振り向いた。


ニコニコと笑っているのは、リク、であった。


「お久しぶりですね、サワさん。いつきてくれるかなって思ってました。担当のハヤシに代わって俺がヘアカットさせていただきます」


あの晩どこかで見たことがある人だと思ったのは、行きつけのこの店のスタッフだったからなのであろう。


私はパクパクと声にならない声をあげ、あの日のことが鮮明に蘇り、顔に熱がさあっと帯びてくるのを感じた。


「ずっと待ってた」


リクは小さな声であの日のように耳元で囁くようにつぶやいた。


「私のこと知ってたの?」


リクは頷き、髪をスプレーで塗らしていく。


「ハヤシとは同期だから、サワちゃんのデータいろいろゲットしてた」


「それって違法」


「ほしいもんは自分で取りに行く主義なの、俺は。・・・でも、今回は待ってみた、待ちくたびれたけど。こんなに綺麗なロングヘアになってる、本当に切っていいのかな?」


「バッサリと」


「生まれ変わったみたいに?」


「うん」


リクはくすっと笑うと本当に魔法のような華麗なハサミさばきを披露してくれた。


サイドの長さをみているだけなのだろうけれど、そのつど顔を覗き込まれているような気がして、どきどきしてしまう。


心臓によろしくない。


髪を切っているだけなのに、あらぬ妄想でぐったりとしてしまった私を見て、リクがふたたび楽しそうに笑う。





「今度は俺の家で切ってあげる。・・・二人きりでね・・・」


沸騰して、ピーっと音をたてそうな私の頬を、リクが悪戯っぽくさっと撫でていった。




そこから始まる愛もある。


好きになって告白して愛を確かめ合うような王道もいいけれど、

言葉のいらない時を最初に過ごし、それから好きになって、最後に告白しあう。


これでもよいのかもしれない。


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