ひよこ亭の人形部屋

ひよこ亭の人形部屋

DDやキャストドールを中心とした、ほのぼの育児系お人形ブログ。

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近年とみにサボりがちではありましたが、拙ブログももうすぐ開設十年になります。皆様ありがとうございます。

ブログスタート時、新生児だった次女は小四に、未就園児だった長女は中学生になりました。

 

中学生はいやおうなしに男女の差を意識させられる時期。

女子の方が心身ともに発育が速いため、周囲の男子がどうしようもないアホにしか見えないのだ。

ましてこの時期、男子にはやっかいな疾病(?)にかかりやすい。いわゆる「中二病」ってヤツだ。私自身もずいぶんこじらせてイキり散らしていたので、中二病が周囲にとっていかにうっとうしいか良く分かる。すまないけど、温かい目で見守ってあげてくれないか。

 

だが、長女から聞いた、クラスメート・A君のエピソードはさすがに援護しようのない、パンチの効いた中二病っぷりであった。

「ヤバい、A君はヤバい」と長女をうならせた、校外実習におけるA君の奇行録をまとめてみた。

 

 

一…A君、ツバメに説教する

 

一同の到着したビジターセンター。屋根の下ではツバメが巣を作っていた。

女子たちが「かわいー」などと言いながら写メを撮っている中、なぜかツバメに向かって説教を始めるA君

 

A君「オマエたち(ツバメ)さあ、人間の作った建物を利用して巣を作っていいの? 自分の家は自分の力で作らなきゃダメだろ。でなきゃ生まれてきた意味ないだろ!」

 

謎の上から目線に対し、長女がひとこと。

長女「じゃあA君は自分の建てたログハウスに住んでるワケ?」

それきり黙ってツバメの巣を撮りはじめたA君であった

 

 

二.…A君、香りで米を見分ける

 

お昼は、かまどを使って野外炊さん。

「今の子供は洗剤で米を洗う」なんて過去の話。今どきの中学校はちゃんと考えていて、あらかじめ無洗米を用意してある。ちなみに米は洗剤で洗うもの、なんて考えてる生徒なんていない。

 

そんな中、いきなり米を研ぎ始めるA君。

長女をはじめ班のみんなが「無洗米だから研がなくていいよ」と忠告したのに耳を貸さず。あまつさえ「違いの分かる俺アピール」を始めてしまった。

A君「俺はさあ、米が研げてるかどうか香りで分かるんだよ。この米はまだ研げた香りをかもし出してないね

 

香ばしいのはオマエの頭だ、と誰もが思った。

A君が大吟醸作るくらいの勢いで米を研ぎ続けたので、長女の班は昼食が三〇分近くも遅れたのであった…。

 

 

三…A君、炎の使い手になる

 

米が研げても、苦行の野外炊さんはまだ終わらない。今度は火の起こし方について、A君が班のみんなに苦言を呈し始めた。

A君「君たち、ちゃんと空気の通り道考えてる?」

 

文字にするともっともらしいが、ボーイスカウトどころかキャンプ経験すらないA君の発言である。いったい、その無根拠な自信はどこから出てくるのか? うーん、イキりキッズ。

 

見かねた担任の先生。「じゃあ、A君が火起こし替わってあげて」と提案してくれた。

「教師の質の低下」なんて叫ばれてるけど、現実はさにあらず。やはりその道のプロである担任の言葉は切れ味が違った。

燃え上がらせるどころか明後日の方向をあおいでいるA君に対し、「んんっ?w 今あおいでるのは地面だよね。A君、ちゃんと空気の通り道考えてるゥ?」怒涛の煽りで、みんなの溜飲を下げてくれたのである

 

 

「ヤバいわー、男子ヤバいわー」としばらくグチの止まらなかった長女。

なお明日は、A君と同じ班で理科の実験をするもよう。果たしてどんな中二病エピソードが待ち受けているのか?

 

 

(おまけ)

どうでもいい設定ですが、パンデミック系看護師・千代子は高校の看護科出身です。

千代子「ゲフゲフッ、看護科でも遠足とか校外学習とかありましたよゲフッ。ノロが蔓延してすごかった思い出がありますねゲフゲフ」

 

久しくブログから離れていたが、吉田エイコ先生の事は書かねばならぬ。

吉田エイコ先生とは、子供達の通う小学校の音楽教諭である。正しくは、音楽教諭だった方だ。

 

一度だけ授業参観で吉田先生の指導を見た事がある。

なんて言うか…独特だった

 

まずウォーミングアップ代わりの発声練習からして違う。

生徒たちに「ヨシーダ! エイコ! ヨシーダ! エイコ!」と自分の名前を連呼させるのだ

長女・はーたんも懸命に「ヨシーダ! エイコ!」とやっていた。

別に「ドレミファソファミレド」でも「あめんぼあかいなあいうえお」でも良いじゃないかと思う。なぜ自分のフルネームなのか

 

吉田先生の授業は、音楽史や音程より、発声にこだわりがあるようだった。

ただし、「お腹から声を出して」などと月並みは表現はしない。

 

吉田先生「もっと声を氷の上へ滑らせるように~」 わかる。

吉田先生「もっと口の中で声を回してから出して~」 まあわかる。

吉田先生「もっと鼻からマックシェイクを吸うように~」 わからない。

生徒も私も鼻からマックシェイク吸った経験ないんで…。

 

鼻からマックシェイク」は子供達にも衝撃だったようで、長女・はーたんも、「もっと鼻からマックシェイク吸うように言ってくれないと伝わらない!」とネタにしていた。

 

そんな吉田先生もこの春、他校へ転任となってしまった。

新任の音楽教諭が来てからも、一部のバカ男子たちは休み時間に廊下で「ヨシーダ! エイコ! ヨシーダ! エイコ!」」と発声練習しては偲んでいたそうである。

 

先日、市役所関係の仕事で、ある小学校を訪問する機会があった。はーたん達の通う学校とは随分離れた地域だ。

おりしも休み時間。廊下で生徒たちが輪になって大きな声を出している。

「ヨシーダ! エイコ! ヨシーダ! エイコ!」

明らかにネタとしてやってるとは言え、氷の上を滑るような、よく通るなめらかな声音だった。

ああ、吉田エイコ先生はこの学校に来ていたのか。ここにも吉田イズムが、鼻からマックシェイク吸うような発声法が根を下しているのか‐。

謎の感動に包まれている私がいた

 

 

(おまけ)

ブログ書いてないので忘れかけてましたが、栄(えい)は売れない絵師という設定です。

 

 

栄「おまえらもSNSで、あたしの名前連呼して宣伝してくれよ」

偉そうだな…。

京町屋の撮影スタジオと聞いて、これはもう(えい、フルチョイスF-58)を連れて行くしかない、と思った。

何度か書いてきたことだけれど、は葛飾北斎の娘・応為(おうい)をモデルにしている。昔ながらの町屋を背景に、振り袖姿のを立たせたら、さぞかし絵になるのではなかろうか。まるで一幅の浮世絵のように。

 

行きの新幹線で、私は岩波文庫の『葛飾北斎伝』を読み直して、応為のイメージをふくらませていた。

世界に名だたる北斎は、パラメーターを絵の才能に全振りしたような人で、とにかく日常のことに無頓着だった。食べたものはそのまま、書き損じやその他のゴミ類もそのまま。服は着たまま、一日中コタツに入ったまま。

そのため家の中はゴミであふれ、ノミやシラミでえらいことだったそう。今で言う「汚部屋」の住人だったのだ。

 

父に迫る画才の持ち主であった応為(本名・栄)はどうかと言うと、『葛飾北斎伝』によれば「父より少しマシだけど家事は全然ダメ」(意訳)であった…。やはり片付けの出来ない人だったのである。

ドールのも絵師という設定であり、性格も基本、実在の応為をなぞっている。つまり…

町屋の住人ではなく、汚部屋の住人を連れてきてしまった。新幹線の中で頭を抱えたが手遅れである。

 

そんなわけで和の情緒あふれる町屋スタジオ到着。

栄「このガラス戸の向こうはゴミで埋まってるからな」

いろいろ台無しだ…。

 

 

 

念のため書き添えておきますが、今回使わせていただいた「スタジオ縁」さんも、

「Baroque」さんのお着物も、とても素敵です。

ほら、の台詞をつけなければ、こんなに素敵↓

 

 

栄「あ、後ろの絵はあたしの作品だからな」

えぇ…。

 

応為の代表作は、遊郭の見世を描いた『吉原格子先之図』。

そこで、色街をイメージしたであろう、こんなセットの前に立たせると、やはりサマになる。を連れてきて正解であった。

 

 

栄「なんだか創作意欲がわいてきた! 陰間茶屋を舞台にしたBL絵とか、BL絵とか!!」

あのさあ…。

 

 

参加者の皆様、お疲れ様でした&ありがとうございました。

私だけ撤収時間が早かったため、参加者の皆様の子たちをあまり撮れなかったのが、とても残念である。

数少ない貴重なツーショットがこちら↓ の絵師魂が刺激されたもよう…。

 

 

栄「なあ、あたしのデッサンモデルになってくれないか? 片肌脱いだり、もろ肌脱いだり、裾はだけたりする感じでさあ。いっちょ頼むよ?」

やはり連れてきたのは失敗だったか…。

人形者になってはや八年あまり。初めて天使の里を訪れた。

嵯峨嵐山を降りてすぐ。そびえるような壁とものものしい監視カメラの群れ。誰かが「宗教施設みたい」と評していたが、まったくその通りだと思う。

 

初来館の私には、簡単なレクチャーがあった。

スタッフさんがまず指さして曰く「あちらが降臨台です」。

うん、割とマジモンで宗教施設だ

 

別にいいのだ。私は八百万の神がおわす国の人間。どんな宗教、もとい宗教っぽいドールメーカーでも受容しようじゃないか。どんなドールメーカーもひとしく尊いのである。

約三〇〇〇坪という庭園に出ると、改めて感じた。日本に生まれて良かった。美しい国に生きることが出来て本当に良かった、と。

この庭園・栖鳳(せいほう)の庭は、ひとことで言い切るならヤバい。あるいは尊い

寂として、幽玄な、風韻のある…いろいろ書き連ねようとしたが、どうにもまだるっこしい。言葉に頼っていては何も伝わらない。ヤバみを感じた、と率直に述べるしかない。

 

当然、ドール写真も普段の十割増し(当社比)でヤバくなります。(えい)だってこの通り。

 

 

どんな名園であっても、ほぼ開放で撮るクセは抜けない。なぜ絞らないのだ俺。

 

 

庵も素敵。日本文化ヤバい。しかし、これがアラフィフの語彙か?

 

 

 

ところでワタクシ、感動のあまり天使の里のワンオフに応募してしまった。

万一、当選したあかつきには、また新幹線で京都まで受け取りに行かなくてはならない。

信仰心が試されている‐。

次女・ジョゼちゃん(小二)が、学校からの帰り道、顔見知りの女の子から言葉をぶつけられた。

クソババア!」と。

その子は一学年下、互いに知ってる程度の間柄で、因縁や確執は何もない。ただ下校してただけのジョゼちゃんの振る舞いもいたって普通で、「クソババア」などと叫ばれる理由はどこにもなかったそう。

 

相手は小一。顔見知り相手になんとなくイキってみたくなったけど、悪口のボキャブリーも少ないから、つい「クソババア」になってしまったのではなかろうか?

奥様と苦笑していると、長女・はーたん(小五)が口をはさんできた。

はーたん「二年生が『ババア』だったらさ、五年生のはーたんはもう『神』の域に達してるじゃん!

二年生のババアより長く生きてるから、五年生の自分は神だという謎の神仙思想。自己評価、ポジティブすぎるだろ

 

一方、ジョゼちゃんはマウントを取りにきた姉に対し、あえて否定せず。

ジョゼちゃん「クソババアって言われたのはしょうがないと思ってる。だってジョゼはホントに『クソ』だし

自己評価、ネガティブすぎるだろ

 

同じ環境で育ち、勉強もスポーツもお互いほどほどな姉妹なのに、なぜこんなにも性格が違うのか‐。

顔見知りの「クソババア」から見えた、思わぬ違いに戸惑っている。

 

(おまけ)

ホームセンターで見つけた、「山野草」としか札のなかった謎の鉢植え。いったいどんな風に育つのか?