バブルがはじけてしばらくたった頃、テレビで新聞の意識調査結果を報道していた。

不景気が長引き給料は上がらない。失業率も上昇する中で政府の政策も効果が見えない。

さぞかし「現状に不満」という人が多いだろうと思ったら、意外にも「現状に満足」「ある程度満足」が大半を占めていた。


 しかし、「将来に不安を感じるか」の項目には8割くらいがイエスと答えていた。
何気なくテレビを見ていた私は、このときはじめて、なるほど「不満」と「不安」は違うんだと思った。


 では、私の「不満」とは何だろう。
「不満」とは不満足、満ち足りていないこと。では何が足りないのだろうか。
知恵が足りない?才能が足りない?時間が足りない?お金が足りない?ご飯が足りない?

あるいは努力が足りない?


 仕事に対する「不満」は、単に仕事の充実感が足りないのだろうか? 

また、人間関係での「不満」などは、周りの人の私に対する配慮が足りない、という「不満」なのかも知れない。
すべてに満たされることなど、ありえないが、過去を振り返ると、機嫌よく暮らしているときと、「不満」に思い暮らしているときがある。一体何が足りないと「不満」に思うのだろう。


「私が不満に感じるベスト3」などを考えてみると、私がナニモノかが結構見えてくるかも知れない。
では、「不満」と「不安」はどちらが辛いのだろうか。
学生の頃、勉強嫌いの私が、試験前になると日ごろの「不満」も忘れて、ノート集めに奔走していたのは、なぜだろう。
 会社勤めの頃、遅刻をしたときに、一生懸命言い訳を考えていたのは、どんな「不安」を感じていたのだろうか。
うちの会社は給料が安いし、などと「不満」を言っていたのに、会社が赤字で危ないとなった途端、残業代もつかないのに夜遅くまで必死で働いたこともある。


となると、将来の「不安」が増すと、現在の「不満」など限りなく小さくなるのかも知れない。

「不満」は満たしたいという「欲求」から生ずるが、「不安」は喪失や逸脱の「恐怖」から生ずるのではないだろうか。
また「不満」には、足りないという事実があるが、「不安」は漠然と感じているだけで、事実があるわけじゃない。
しかし「漠然と感じる不安」が、実は一番怖いのかもしれない。

恐怖映画でも、リアルな怪物が出てくるものより、はっきりしないナニカが襲ってくる映画のほうが何倍も怖い。

「不満」は「私が不満に感じるベスト3」などとやっていると、そのうちに何となく、足ることを知れるような気がする。


しかし、「私の不安ベスト3」では、なかなか安心できないのではないか。
我欲を押さえることはできても、恐怖を押さえつけることは、私には難しい。

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と同じで、はじめに「恐怖心」があるからこそ、幽霊のように見える。

枯れ尾花が、たまたま幽霊にそっくりだったというわけではない。
では私の恐怖心から見えている「不安」の正体とは一体なんだろう。
実はそれが「私の執着の正体」なのかも知れない。