とある会合で、受付の手伝いをしていたところ
名簿に懐かしい名前をみつけました。
え、まさか……
名前の主に、おそるおそる声をかけてみると
やっぱり。
小学校3年生のとき、同じクラスだったアツミちゃんでした。
37年ぶりの再会です。
何を話せばいいのでしょう。
いや、その前に受付作業に戻らなければ。
アツミちゃんが、サッと名刺を取り出して渡してくれました。
「連絡ちょうだい!」
アツミちゃんとは、3年生のときに同じクラスになりました。
4年生になるとき、私が転校したので
一緒に過ごしたのは、1年間だけ。
それでも名前を見てすぐ「あっ!」と思い出すぐらい
強く心に残る存在でした。
特に事件があったわけではないのです。
ただ、彼女と出会って生まれて初めて
「自分のことを、わかってくれる人がいる」と思えた。
いや、それは今ふりかえってみるとですが。
当時は、毎日おしゃべりをして、
アツミちゃんといると楽しいなあ、と思っていただけなのですが。
でも彼女のおかげで、私は本当の意味で
友達を信じ、尊敬することを覚えたような気がします。
そんなことを思い出しながら、
もらった名刺のアドレスにメールを書きました。
会えて嬉しかったこと。
アツミちゃんをずっと尊敬していたこと。
バリバリ仕事している姿をみて、自分もがんばろうと元気がでたこと。
送信。
アツミちゃんからの返事は、朝いちばんに届きました。
私も会えて嬉しかった。
3年生でコメちゃんに出会ったことは、大きな刺激だった。
時折「コメちゃんはどうしてるかな」と思い出していた。
姿を見て、私もがんばろう、と元気がでた。
「素晴らしき哉、人生!」という映画があります。
自殺をしようとしている男が、天使から
「もし彼が生きていなかったら」という世界を見せられ
自分の存在理由を知る。
それはそれはヒューマニティに溢れた作品で、私も大好きですが
一方で、これは美しいファンタジーだとも感じていました。
そうは言っても、これは「お話」だと。
でも
9才で分かち合った時間を、大事にしてくれている人がいた。
37年間、1度も会わなかったのに、私を思い出してくれていた人がいた。
そして今、私が生きているだけで、「がんばろう」と感じてくれる人がいる。
「お話」じゃなかったんだなー。
人生はやっぱり素晴らしいかもしれません。
名簿に懐かしい名前をみつけました。
え、まさか……
名前の主に、おそるおそる声をかけてみると
やっぱり。
小学校3年生のとき、同じクラスだったアツミちゃんでした。
37年ぶりの再会です。
何を話せばいいのでしょう。
いや、その前に受付作業に戻らなければ。
アツミちゃんが、サッと名刺を取り出して渡してくれました。
「連絡ちょうだい!」
アツミちゃんとは、3年生のときに同じクラスになりました。
4年生になるとき、私が転校したので
一緒に過ごしたのは、1年間だけ。
それでも名前を見てすぐ「あっ!」と思い出すぐらい
強く心に残る存在でした。
特に事件があったわけではないのです。
ただ、彼女と出会って生まれて初めて
「自分のことを、わかってくれる人がいる」と思えた。
いや、それは今ふりかえってみるとですが。
当時は、毎日おしゃべりをして、
アツミちゃんといると楽しいなあ、と思っていただけなのですが。
でも彼女のおかげで、私は本当の意味で
友達を信じ、尊敬することを覚えたような気がします。
そんなことを思い出しながら、
もらった名刺のアドレスにメールを書きました。
会えて嬉しかったこと。
アツミちゃんをずっと尊敬していたこと。
バリバリ仕事している姿をみて、自分もがんばろうと元気がでたこと。
送信。
アツミちゃんからの返事は、朝いちばんに届きました。
私も会えて嬉しかった。
3年生でコメちゃんに出会ったことは、大きな刺激だった。
時折「コメちゃんはどうしてるかな」と思い出していた。
姿を見て、私もがんばろう、と元気がでた。
「素晴らしき哉、人生!」という映画があります。
自殺をしようとしている男が、天使から
「もし彼が生きていなかったら」という世界を見せられ
自分の存在理由を知る。
それはそれはヒューマニティに溢れた作品で、私も大好きですが
一方で、これは美しいファンタジーだとも感じていました。
そうは言っても、これは「お話」だと。
でも
9才で分かち合った時間を、大事にしてくれている人がいた。
37年間、1度も会わなかったのに、私を思い出してくれていた人がいた。
そして今、私が生きているだけで、「がんばろう」と感じてくれる人がいる。
「お話」じゃなかったんだなー。
人生はやっぱり素晴らしいかもしれません。