●シェア・エッセイとは ―シェアの始まりの私について―
アロハ! ☆さくら(星野桜)です^ ^
いつもありがとうございます。
今日は、シェア・エッセイって何?
という質問を受けることが多くなってきたことと、
「シェア・エッセイ・クラブ」が、
2014年11月11日11:11:11(どんだけ~11^ ^)に設立されたこともあり、
シェア・エッセイについてまとめてみることにしました。
ちなみに、「シェア・エッセイ」とは星野桜の造語です。
発案者という位置づけにあります。
うんと広義として表現するなら・・・
「シェア・エッセイとは、
自分の日常、Life、体験を、感じつくし、
そのまんまを、自分の言葉で表現し、綴ったもの」
と、定義させていただきます。
さらに、星野桜が実践しているシェア・エッセイを説明するならば、
「シェア・エッセイとは、
その瞬間の自分を、ありのままに感じつくし、
誠実に、そして表現して書きながら、
あるいは書かれたものによって、
結果的に、
自分を愛し、認め、受け入れ、気づき、
自分を癒すことができるもの」
です。
そのシェア・エッセイの説明を、
私のシェア・エッセイを通して、お話させていただきます。
星野桜の「シェア・エッセイ」が、深い理由が見えてくるかもしれません。
長文です。ごめんなさい。
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx∞poi
私がシェアすることを意識的に始めたのは、25年位前になります。
そして、エッセイは、依頼を受けて執筆することもありました。
共著で、ほんの少しだけ本を書かせていただくこともありました。
子供の頃からずっと、言葉にふれ、言葉が降りてくるのを楽しでいて、
校内誌に載ったり、賞をもらったりしました^ ^
高校生になったときは、井上靖さんから学んだおかげで、
「本物の作家は、平易な言葉で表現して、人に伝えられる文章を書ける」
という目標ができました。
30代のとき、星野道夫さんの写真とエッセイに出会い、
自然と一体化した生き方、表現に感銘を受け、
勝手に師と呼ぶほどの目標になりました。
子供の頃から、私のそばには、常にペンと紙があり、
浮んだ言葉は必ず書き取りました。
それが喜びでした^ ^
書くことをやめたことは一度もありませんから、
かれこれ45年ほど、そういうことを続けていることになるかもしれません。
気づいたときには、頭の中で書こうとすることの文章が出来上がっていて、
文章を組み立てるなどは、ほとんどする必要がなくなりました。
現在では、無意識に、自分と言葉のエネルギーを感じ取って、
表現している気がします。
そんな私が、シェア・エッセイを書こうと思った理由は、
子供たちがきっかけでした。
私は、「子供たちに、私ができることはなんだろう?」と考えたとき、
自分の生きてきた中で見つけた、楽になる方法をや、
よりよく生きようとしてきた姿を、見せることしかできないと思ったんです。
そして、それを形にして(文章に書いて)、
子供たちが何か困ったことがあったときに、
生きていく方法などを、自分でさがすための参考にでもしてもらいたい。
それしか私にできることはない。
そう思ったのが、シェアすること、シェア・エッセイの始まりでした。
今もその思いがあるからこそ、目標に向かって進んでいます。
私の人生は、生まれたときから超波乱万丈でした。
それらをチョイスして箇条書きにしても、10個では書ききれません。
私は、「愛されている自分」を確認するためのような
子供時代を過ごし、そのまま大人になりました。
そんな私は、未熟な自分もたくさん知っていて、自分に自信もなく、
申し訳ないことに、子育てが一番できていませんでした。
たくさんの後悔が残るほど、ひどい母親でした。
だからこそ、子供たちにお詫びがしたいと、常に切望していました。
私は大きな人生の転機を迎えたときに始めたことは、
両親に助けてもらいながら、仕事と子育てをしながら、
心理学や生き方本を、週に1冊読破し、
そこに書かれてあることで、自分に引っかかる点があったら、
いちいちその部分を実践して、自分を変えるように日々努力していました。
自分でも、
「そこまでしなくてもいいやん」「気でもふれたの」
と思うくらい、必死でした!^ ^;;;;
何故そこまでしていたのかというと、自分を変えて楽になりたかったから。
もう一つの理由は、
「家族に幸せになってもらいたいなら、
まずは自分が幸せにならなければならない。
そうして初めてそれが伝播して、家族、地域、社会・・・
というように、広がっているのだから」
と思っていたからです。
でも当時の社会では、その考え方は、なかなか受け入れられない時代でした。
周りの人たちには、いつも呆れられ、馬鹿にされていました。
ひどい人になると、そんな私をあざけり、見下げておられました。
私は傷つきましたが、とにかく必死だったので、やめることはなかったです。
私がスタート地点で探していた答えは、
「愛とはいったい何??????」
「愛するってどういうこと?????」
「愛されるって、どうういうこと????」
ということでした。
でも、当時の最先端にある本を探しても、
どこにも答えは書いていませんでした。
いえ、私が見つけられなかっただけかもしれません。
今だからわかるのは、愛を知る方法を、自分の手であれこれやってみて、
今に至るために、やってきたことなのだったとわかります。
でも、当時はそんなことわかりませんから、
本当に必死で答えを探していました。
依存症の独学から、患者さんの指導までして、
当時では珍しかったセルフ・ヘルプ・グループを、
広める活動をしたりしました。
女性のためのセルフ・ヘルプ・グループを発足させたり、
映画の自主上映を知らない土地でやってみたり、
地元でグループを作って活動してみたりと、色々やっていました。
結局、全ては「自分は愛されるべき存在なのだろうか?」と、
そういうベースがあって、
無意識のうちに、活動を通して確認していたのかもしれません。
それでも、豊かな人間にはなったと納得することはなく、
結局、そこから25年も続けてきたのです。
自分の内側を見つめることは全て独学でしたが、実践をしていたおかげで、
知らない間に、自分を見つめることが自然にできるようになり、
早く気づきが起こるようになりました。
人生の途中で出会った恩師の方々からは、たくさんの学びをいただき、
それは今の私生き方の中に染み付き、
今でも、たくさんの気づきをいただけています。
その恩師の方々から学んだことや、
気がふれたのかと自分で思うくらい実践してきたことは、
このシェア・エッセイの中に、すべて存在しています。
だから、「シェア・エッセイとは」という説明は、
一言で説明できないほどに奥が深いのです^ ^;
私が使うときのシェア・エッセイの「シェア」とは、
そんな私の人生の一部であり、全てであるものを、
シェアさせていただいたいるのだと思って、使っている言葉なのです。
それら学んできたもの全てを使って、私はエッセイを書いています。
私が自分のエッセイを、「シェア・エッセイ」と呼ぶのは、
そういう意味合いが含まれているのです。
わたしの平和
シェア・エッセイを書かれるということは・・・、
自分を表現することで、自分を愛することにつながるものだとご理解ください。
自分一人でで簡単にできる方法であることが、何よりの利点です^ ^
私が自分を自分で癒し、愛することができるようになった、
このシェア・エッセイは、多くの方のお役に立てるものであるという、
確信があります。
もし少しでも興味がおありのようでしたら、
私やシェア・エッセイストの皆さんのエッセイをお読みいただいたり、
是非、ご自分でチャレンジしてみてください^ ^
POI
【シェア・エッセイ・クラブ】を設立しました!
xxxxxxxxxシェア・エッセイ・クラブ参加方法xxxxxxxxx
こちらのメールフォームから、お申込ください。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/4e0c6dcc331979
※シェア・エッセイ・クラブへの参加費は、一切かかりません。
※ホ・オポノポノは、関係ありません。
※参加者名簿(仮)はこちらです。
POI
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx∞poi
【先着5名様限定】無料! 一度限りの開講予定
シェア・エッセイのための「わたし」を読む講座
詳細は、後日発表します!
告知前から、すでに【残席2】です!
POI 星野桜
マハロ! POI
ありがとう
愛しています
アロハ! ☆さくら(星野桜)です^ ^
いつもありがとうございます。
今日は、シェア・エッセイって何?
という質問を受けることが多くなってきたことと、
「シェア・エッセイ・クラブ」が、
2014年11月11日11:11:11(どんだけ~11^ ^)に設立されたこともあり、
シェア・エッセイについてまとめてみることにしました。
自分を、そしてLifeを、感じつくして表現する、
星野桜のシェア・エッセイは、
「読むだけでクリーニングされる、癒される」
「読むだけで、なんだかほっとする」
「読むだけで、気づきが得られる」
「深いです」
「愛を感じます」
「深いです」
「愛を感じます」
「すーっと引き込まれて、思わず読んでしまう」
「さくらさんの書かれる文章は、
本当に心にすっと入ってきて
光を届けてくれるので、大好きなんです♪」
「さくらさんらしい、輝きに満ちた言葉」
「愛のある言葉を広げて行かれるさくらさん」
「いつも心がワクワク♪っとするような言葉を
シェアしていただいて、どうもありがとうございます!」
「さくらさんらしい、輝きに満ちた言葉」
「愛のある言葉を広げて行かれるさくらさん」
「いつも心がワクワク♪っとするような言葉を
シェアしていただいて、どうもありがとうございます!」
「桜さんのエッセイのセンスと、
音楽的なリズムのよさを、
もっともっと、多くの人に感じてもらいたい」
「文章が、より、癒しのパワー全開のようです
ボク自身の心が、、ぽかぽかしてます(笑)」
と、読者の方から評判になっています。
ちなみに、「シェア・エッセイ」とは星野桜の造語です。
発案者という位置づけにあります。
うんと広義として表現するなら・・・
「シェア・エッセイとは、
自分の日常、Life、体験を、感じつくし、
そのまんまを、自分の言葉で表現し、綴ったもの」
と、定義させていただきます。
さらに、星野桜が実践しているシェア・エッセイを説明するならば、
「シェア・エッセイとは、
その瞬間の自分を、ありのままに感じつくし、
誠実に、そして表現して書きながら、
あるいは書かれたものによって、
結果的に、
自分を愛し、認め、受け入れ、気づき、
自分を癒すことができるもの」
です。
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx∞poi
そのシェア・エッセイの説明を、
私のシェア・エッセイを通して、お話させていただきます。
星野桜の「シェア・エッセイ」が、深い理由が見えてくるかもしれません。
長文です。ごめんなさい。
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx∞poi
私がシェアすることを意識的に始めたのは、25年位前になります。
そして、エッセイは、依頼を受けて執筆することもありました。
共著で、ほんの少しだけ本を書かせていただくこともありました。
子供の頃からずっと、言葉にふれ、言葉が降りてくるのを楽しでいて、
校内誌に載ったり、賞をもらったりしました^ ^
高校生になったときは、井上靖さんから学んだおかげで、
「本物の作家は、平易な言葉で表現して、人に伝えられる文章を書ける」
という目標ができました。
30代のとき、星野道夫さんの写真とエッセイに出会い、
自然と一体化した生き方、表現に感銘を受け、
勝手に師と呼ぶほどの目標になりました。
子供の頃から、私のそばには、常にペンと紙があり、
浮んだ言葉は必ず書き取りました。
それが喜びでした^ ^
書くことをやめたことは一度もありませんから、
かれこれ45年ほど、そういうことを続けていることになるかもしれません。
気づいたときには、頭の中で書こうとすることの文章が出来上がっていて、
文章を組み立てるなどは、ほとんどする必要がなくなりました。
現在では、無意識に、自分と言葉のエネルギーを感じ取って、
表現している気がします。
そんな私が、シェア・エッセイを書こうと思った理由は、
子供たちがきっかけでした。
私は、「子供たちに、私ができることはなんだろう?」と考えたとき、
自分の生きてきた中で見つけた、楽になる方法をや、
よりよく生きようとしてきた姿を、見せることしかできないと思ったんです。
そして、それを形にして(文章に書いて)、
子供たちが何か困ったことがあったときに、
生きていく方法などを、自分でさがすための参考にでもしてもらいたい。
それしか私にできることはない。
そう思ったのが、シェアすること、シェア・エッセイの始まりでした。
今もその思いがあるからこそ、目標に向かって進んでいます。
私の人生は、生まれたときから超波乱万丈でした。
それらをチョイスして箇条書きにしても、10個では書ききれません。
私は、「愛されている自分」を確認するためのような
子供時代を過ごし、そのまま大人になりました。
そんな私は、未熟な自分もたくさん知っていて、自分に自信もなく、
申し訳ないことに、子育てが一番できていませんでした。
たくさんの後悔が残るほど、ひどい母親でした。
だからこそ、子供たちにお詫びがしたいと、常に切望していました。
私は大きな人生の転機を迎えたときに始めたことは、
両親に助けてもらいながら、仕事と子育てをしながら、
心理学や生き方本を、週に1冊読破し、
そこに書かれてあることで、自分に引っかかる点があったら、
いちいちその部分を実践して、自分を変えるように日々努力していました。
自分でも、
「そこまでしなくてもいいやん」「気でもふれたの」
と思うくらい、必死でした!^ ^;;;;
何故そこまでしていたのかというと、自分を変えて楽になりたかったから。
もう一つの理由は、
「家族に幸せになってもらいたいなら、
まずは自分が幸せにならなければならない。
そうして初めてそれが伝播して、家族、地域、社会・・・
というように、広がっているのだから」
と思っていたからです。
でも当時の社会では、その考え方は、なかなか受け入れられない時代でした。
周りの人たちには、いつも呆れられ、馬鹿にされていました。
ひどい人になると、そんな私をあざけり、見下げておられました。
私は傷つきましたが、とにかく必死だったので、やめることはなかったです。
私がスタート地点で探していた答えは、
「愛とはいったい何??????」
「愛するってどういうこと?????」
「愛されるって、どうういうこと????」
ということでした。
でも、当時の最先端にある本を探しても、
どこにも答えは書いていませんでした。
いえ、私が見つけられなかっただけかもしれません。
今だからわかるのは、愛を知る方法を、自分の手であれこれやってみて、
今に至るために、やってきたことなのだったとわかります。
でも、当時はそんなことわかりませんから、
本当に必死で答えを探していました。
依存症の独学から、患者さんの指導までして、
当時では珍しかったセルフ・ヘルプ・グループを、
広める活動をしたりしました。
女性のためのセルフ・ヘルプ・グループを発足させたり、
映画の自主上映を知らない土地でやってみたり、
地元でグループを作って活動してみたりと、色々やっていました。
結局、全ては「自分は愛されるべき存在なのだろうか?」と、
そういうベースがあって、
無意識のうちに、活動を通して確認していたのかもしれません。
それでも、豊かな人間にはなったと納得することはなく、
結局、そこから25年も続けてきたのです。
自分の内側を見つめることは全て独学でしたが、実践をしていたおかげで、
知らない間に、自分を見つめることが自然にできるようになり、
早く気づきが起こるようになりました。
人生の途中で出会った恩師の方々からは、たくさんの学びをいただき、
それは今の私生き方の中に染み付き、
今でも、たくさんの気づきをいただけています。
その恩師の方々から学んだことや、
気がふれたのかと自分で思うくらい実践してきたことは、
このシェア・エッセイの中に、すべて存在しています。
だから、「シェア・エッセイとは」という説明は、
一言で説明できないほどに奥が深いのです^ ^;
私が使うときのシェア・エッセイの「シェア」とは、
そんな私の人生の一部であり、全てであるものを、
シェアさせていただいたいるのだと思って、使っている言葉なのです。
それら学んできたもの全てを使って、私はエッセイを書いています。
私が自分のエッセイを、「シェア・エッセイ」と呼ぶのは、
そういう意味合いが含まれているのです。
わたしの平和
シェア・エッセイを書かれるということは・・・、
自分を表現することで、自分を愛することにつながるものだとご理解ください。
自分一人でで簡単にできる方法であることが、何よりの利点です^ ^
私が自分を自分で癒し、愛することができるようになった、
このシェア・エッセイは、多くの方のお役に立てるものであるという、
確信があります。
もし少しでも興味がおありのようでしたら、
私やシェア・エッセイストの皆さんのエッセイをお読みいただいたり、
是非、ご自分でチャレンジしてみてください^ ^
POI
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【シェア・エッセイ・クラブ】を設立しました!
xxxxxxxxxシェア・エッセイ・クラブ参加方法xxxxxxxxx
こちらのメールフォームから、お申込ください。
https://ssl.form-mailer.jp/fms/4e0c6dcc331979
※シェア・エッセイ・クラブへの参加費は、一切かかりません。
※ホ・オポノポノは、関係ありません。
※参加者名簿(仮)はこちらです。
POI
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シェア・エッセイのための「わたし」を読む講座
詳細は、後日発表します!
告知前から、すでに【残席2】です!
POI 星野桜
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