大変、ご無沙汰しております。
前回の更新から二か月ほど経ったかと思いますが、この間、一度もアメーバサイトにアクセスしていません。というか、精神的にまいってしまい、アクセスできずにいました。
このままアメーバを去ろうかとも思ったのですが、前回の記事が記事だっただけに、このままでは、コメントやメッセージを下さった方や、それに、今までブログを通してお世話になった方々に失礼かと思いましたので、この記事を書くことにしました。サイトにアクセスすらできずにいたので、コメントの返事も書けずにいました。今更ではありますが、前回、前々回の記事にコメントを下さった方々、ありがとうございました。
ブログにアクセスする事すら苦痛に感じた理由は、数年前にさかのぼるので、長文になるかと思われます。
既に4年近く経ちますが、義弟が亡くなって一月半経ったとき、夕食後、突然、呼吸が苦しくなり、15分ほどたっても収まらないので、旦那が救急車を呼びました。救急隊員が、パニック発作だからと雑談で気分を和らげてくれても、関節が膠着するほど呼吸の乱れが収まらないので、心臓や肺に問題があるあるかもしれないということで病院へ。病院で検査を待っている間、更に2度、発作を起こしたため、モニタールームに移されました。レントゲンや血液検査の結果、全て異常なしだったので、行きつけのGP(一般医)でフォローアップするように言われ、帰宅しました。
その後GPへ行くと、普段の呼吸が乱れているということで、専門医に推薦状が送られ、3度ほど専門医に通い、呼吸法、特に発作が起きた時の対処法を学びました。この時、大好きだったコーヒーをやめました。
その前後、親類や知り合いが次々に他界し、辛い時期が続きました。年配の叔母二人、高校時代、とてもお世話になった叔母(実際は、いとこ)が、義弟と同じ病気で他界。娘の学校の先生が、心臓発作で他界。園児の祖母が、事故で他界。別の園児のベビーシッターが、小さな傷から大病を発症し、他界。
義弟が他界して数か月後、叔母の余命3か月を知り、急遽、日本帰国を決めた後は、毎日のように発作を起こしていました。仕事中、子供たちの声が突然遠のき、体がバランスを失い、ふわ~っとした嫌な感覚が襲い、気を張っていないと倒れてしまいそうな感覚。その感覚が来ると感じた瞬間、これは、死の前触れではないのかという、とてつもない不安に襲われていました。日本帰国前は、飛行機の中で、突然倒れるかもしれない。心筋梗塞、脳梗塞、心臓発作…こんなことが起きたら、そばにいる10歳の娘はどうする?どうして、一人で帰国することにしなかったのか。一人なら、どうにでもなる。どうしよう、機内で自分に何か起きたらどうしよう。機内で死ぬようなことにでもなれば、娘はトラウマになってしまう。
今は、大げさな…ばかばかしいい…と思えるようになりましたが、その時は、死がやってくるという恐れから逃れられず、不安で不安でしょうがなかったのです。
GPで精神安定剤を処方してもらったり、日本出発前夜、熱心なキリスト教徒の友達にお祈りしてもらったりしました。それでも出発直前、空港であのふわ~っとした感覚が襲ってきて焦っりましたが…旦那や娘には何も言わず隠し通して、なんとかやり過ごし出発しました。機内では、GPに処方してもらった安定剤を半分だけ飲みました。(中毒性があると言われたので)
日本帰国後、すぐに病床の叔母に会いに行き、実家に戻って1週間ほど過ごし、バタバタとニュージーへ帰国。あの不安な精神状態は、叔母が引き金になっていたのだろうから、この旅が終われば、この嫌な感覚とはおさらばだと思っていたのに状況は変わらず、この後もずっとこの症状に悩まされました。
旦那は旦那で、4人兄弟の中で一番仲の良かった義弟が他界してから、精神的に不安定だったので、話をすることすらできず...。ま、このころ、何度離婚を考えたか分かりません。藁をもすがる思いで、ブログで同じような症状が出ることを書いていらっしゃった方に、メールでやり取りをさせて頂いたりしてました。この嫌な感覚から解放される方法は、ないものか。精神科に行く、カウンセラーを探す、薬を飲む、眠り続ける…。ふと眠り続けるというのは、死を意味する…ということに気が付いたとき、背筋がゾクっとしたのを覚えています。あの暗闇から抜け出そうと必死になった瞬間、‘死’が薬や医者と並ぶ瞬間がありました。
何が原因でこの症状が出ていたのか、未だに分かりませんが、少しずつ症状が出ることが少なくなってきたのは、叔母が他界してから1年ほどたったころでしょうか。普段の生活では、ほとんど症状が出ることはなくなり、精神的に楽になってきたのか、時々、この話題に触れて、友達にこういうことが起きてたんだと話すこともありました。が、この話題になると、今でも軽い症状が出ます。が、今では、この感覚を無視して、呼吸を整えることに集中すれば、やり過ごすことができるようになりました。
状況をコントロールできると自信がついてからは、症状が出ることは、ほとんどなくなりました。そんな矢先の父の他界。次いで旦那方の叔母の他界、そして、ホストファーザーの他界、更に祖母の他界。葬儀や諸々のドタバタが落ち着くと、ふいにあの感覚が襲うようになりました。
コントロールは、できています。生活に支障が出ない程度に、なんとかやり過ごしていました。
そこに来て、友達の息子の死。16歳、しかも、ひき逃げという事件に巻き込まれての死。同じ年代の子供を持つ親として、友達の気持ちを思うと、感情が溢れだし、その感情に耐えられなくなると、突然‘無’になりました。何も感じない。身の回りすべてのものが無意味。友達のニュースを聞いてからの1週間は、友達のお宅を訪問した時と葬儀の時以外は、ひたすら寝ました。平均12時間。それもうつらうつらではなく、ガクッと眠くなり、電話が鳴ろうが、テレビがガンガンついていようが、全く気が付かないほどの熟睡。起きているときは、家のソファでず~っとぼんやり。娘が言うまで、外の天気が良いことも気が付かず、食べることも忘れ、日に2回ほどトイレに行く以外、全く動けませんでした。
それでも、友達をサポートするため、葬儀には参列しました。帰宅後も、頭に靄がかかったような状態でぼんやりしていたのですが、辛いのは私ではない。私の辛さは、友達のそれとは比べ物にならない。何か私にでもできることはないか、と思い、前回の記事を書きました。たくさんのコメント、ありがたかったです。そんな中に、心外なコメントが…。
そのコメントを読んだ時、内容がすぐには把握できず、何度も読み返し...その間、心臓が飛び出すほど高鳴りはじめ…隣に座っていた娘が、「大丈夫?」と声をかけるほど、呼吸が乱れ始めました。思いがけない内容でした。
コメントの内容は、私に対する怒りの感情が、息子を亡くした友達にまで影響していたので、とりあえず、そのコメントには返事をさせていただきました。それから、コメントやメッセージがきています、というアメーバからの知らせを見ることでさえ恐ろしくなり、呼吸障害が出始めたので、サイトをスマホから一旦削除し、完全にアクセスすることを避けていました。
最近、機会があって家族でカフェにった時、いつもブログ用に写真を撮っていたので、旦那も娘も、料理にすぐ手を付けず、私が写真を撮るのを待っていました。もうブログは書かないから食べていいよ、というと、旦那が、色々聞いてきたので、簡単に説明しました。それまでは、そのコメントのことを口にする事すらできずに、一人で悩んでいました。旦那は、7年も続けてきたブログをたった一つのコメントのせいで辞めるのか、と何度も聞きましたが、自分の書いた記事が、これほどまでに読者の方の心証を害していた事。個人的にお世話になり、よい関係であったと思っていた人からのコメントだったこと。コメントの内容から、ここ数年間、気分を害した状態で私のブログを読んでいたであろう事…私に対する感情が、友達にまで影響している事。こういう事実を鑑みると、このサイトでブログを書き続けることは、不可能に思えました。
仕事に戻った時、会社のファミリーカウンセラーに話を聞いてもらったのですが、一番の薬は、問題から目を背けないことだと言われました。その後、思い切ってアメーバにアクセスし、少しずつこの記事を書き始めました。書いては消し、書いては書き直しを繰り返しました。そして先週の金曜日、息子を亡くした友達が、仕事で幼稚園を訪れました。会社の中で部署が違うため、なかなか会えずにいたので、これが、葬儀後初の顔合わせでした。
私では想像もつかないような辛い出来事に遭遇したのに、相変わらず、周りの事を先に考える友達。‘私は大丈夫だよ。子供たちも学校が始まって、何とか普段通りの生活をしているよ。’と言っていました。彼女に会って、この記事もグズグズ放置せず、ちゃんと蹴りをつけようと思い切り、書きあげました。読み返しながら書きましたが、2週間ほどに渡って書いた記事なので、乱文かと思いますが、ご了承ください。
アメーバのアカウントは、閉じずにおこうと思います。自分の日記として、立ち寄ることもあるだろうし、ブログを通して‘お友達’になった方々の状況も知りたいので…。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。皆様におかれましては、益々の繁栄をお祈りし、最後のご挨拶とさせていただきます。
今まで、ありがとうございました。