もうすぐ桜の季節ですね
今年の私は…今までと違った思いで桜を見るのだと思います
一年前私は流産をしました。
初めての妊娠でした。
7週目の検診時、先生の声のトーンが変わったのであまり良くない状況なのだと察しました。
心拍がエコーの画面を拡大してやっと見えるくらいの微弱なものでした。
その日は、夫が休みだったこともあり心拍が見れるかも!ってウキウキしながら二人で来院したのですが先生からは『非常に難しい状態です…』と
茫然としていた私達に先生は『どんなに小さくても我が子です。その我が子が今頑張っているのですから、信じてあげましょう』…と
お腹にいるこの小さな小さな命を、先生は何度も『我が子』と言う言葉を言ってくれて励ましてくれました。
その後、何度かの検診を経て心拍は確認できず、流産が確定しました。
お腹の子の重みは感じるのに、心拍が消えていることが信じられませんでした。
周りは桜の満開でピンク一色なのに、思い描いていた未来は一瞬で消え私の目の前の景色は一変に灰色一色に変わりました。
昔どこかで親が過去、自分・伴侶は現在、子供は未来を表わすと聞いたことが、こういう事だったのかと初めて思い知りました。
自分の身を裂かれるような苦しみ、そして子供は未来だということを身を持って知りました。
流産は心も身体も辛くて痛いものだと初めて分かりました。
そして私は自己中で人の気持ちに鈍感で無神経な人間だった事と気づきました。
流産は悲しい事だと、私も女だからと分かっているつもりで流産した友人にかけた自分の言葉がどれだけ上っ面だったかと申し訳ない気持ちにもなりました。
しかし哀しみの中であってもお腹は空くし、眠たくもなるし生きるとはこうこう事なんだと、20年前母親が死んだ時に一番に感じたことの記憶が悲観的に落ちていく私を止めてくれました。
それでも私は生きている…と
スピリチュアル的に流産は、
両親の成長を強く促すため
親のカルマを解消するため
家族の絆を深めるため
などがあるそうです。
それって全部私達のため・・・もう愛以外感じられませんでした。
両手いっぱいのたくさんの愛を持って私達の元へやってきてくれたのだと思いました。
そしてこの子は、私が一人では手放せなかったモノを持ってお空に帰っていったのだと感じました。
この世に生まれてくることはなかったけど、本当に十二分に親孝行な子です。
そして何か憑き物が落ちるかのように、今まで手放したくても手放せずに握りしめていたドロドロの感情や憎しみなどがスッコリ落ちていきました。
何で今までこんなものを握りしめ、そしてチマチマ悩んでいたんだろうと…
この事で、私の人生観や心の景色が180度変わっていました。
来る日も来る日も、自分を責める続けていた私がこんな風に思えるには時間はかかりましたが、そんな我が子を思い、温かい思いで今年の桜を見上げる事ができます
1年前にこんな気持ちでこの季節を迎えることができるとは思えませんでしたが、私にとってこの経験は大切なプロセスであり、必要な事だったたと思うのです。
振り返れば時間は優しく流れてくれていました。
私が元気になれたのは、辛い時を共に過ごしてくれた夫とにゃん太郎のおかげです。
そして『天使ママ』そんな言葉を知りました。
~池川明先生の胎内記憶より~
お子さんを授かりながら、おなかの中やお産のときにこの世に生を受けなかった、もしくは短い一生だったお子さんを授かったお母さんを「天使ママ」と呼ぶそうです。
池川先生の言葉は温かく優しい…
私もこの言葉で私ママなんだ、ママでいていいんだと思うことができました。
桜の咲く頃、お空に帰った子を思い出させてくれるそんな季節です。
毎日泣き暮らしていた私に、にゃん太郎はこんな姿で和ませてくれてました
思わず笑みがこぼれます
ありがとう