学校にちゃんと通ってる人はすごいと思う。学校に通ってるのにバイトもしてる人はもっとすごいと思う。

会社に勤めて、休日がろくにない人は、すごいと同時にばからしく思う。学校や職場での人間関係に悩む女たちもばからしく思う。

私は、3日連続の勤務でもいっぱいいっぱい。と言うか、毎日がいっぱいいっぱいだ。本当にばからしく思う。

今日、3日連続の勤務のうち3日目で、お昼からの出勤で、労働時間も8時間も越えないから、楽なものだとは思うのだけれど・・・。

真面目すぎる性格の所為か、プレッシャーに押しつぶされそうになる。

案の定、今日も何かと失敗したし、怒られたりした。そんなときに、昨晩ふった君の香水の匂いがふっと香って、私は君のことを考える。

家に帰れば、また君の泣いた顔があるのだろう。今は、とにかく家に帰って何もかも忘れて時間を過ごしたいと思うのだけれど・・・君がまた元気に笑ってくれるまでは私はしっかりしていなくちゃいけないな、と思う。そして今この現実。泣きそうになった。泣きたかったけれど、泣いてもどうにもならないので、やっぱりしっかりしなくちゃいけない。そう思うばっかりだった。

仕事が終わって携帯を覗いてもメールは入っていなくって、知らない人から間違い電話はかかってくるのに、君からの電話はなかった。愛想のないメールが一通だけ。

問いかけるのは全部私で、明日会う約束をしたけれど、君は会いたいなんて、思っているのだろうか。分からない。

とにかく、笑っていても泣いていても、顔が見えないと不安になる。落ち込んでいる君に、うまく言葉をかけてあげられないかも知れない。それでもいい。会いたい。

明日は、できるだけ言葉は交わしたくない。交わしたって、いいことないから、きっと。ただふたり、悲しさに任せて抱き合っていられれば、いいと思う。

とは言え、涙を流すことになるのは目に見えている。悲しくてもいいから好きだと言って欲しい。

時々考える。君がもし居なくなってしまったら、私はどうなるのだろうって。だけど、いつも途中で考えるのをやめる。

毎日、生活の為にと身を削って働いては、同じ言葉を繰り返し何度も何度も掛け合い、働いた時間の半分よりもっと短いひと時にだけ、幸せが許される。そんな本末転倒したばかみたいな習慣たちに、何か意義があるとすればたぶん、それは君だから。

君がもし居なくなってしまったら、“ばかみたいな”が、本当のばかになって、終いには腐敗するだけ。

今の君の悲しみは、今まで生きてきた中でどれほどの悲しみなのだろう。また、今までの女たちは、どれほど君を救ったのだろう。

君は、私にそれを期待しているのだろうか。

本当は、私にも余裕なんてないのだけれど。何より大事な君だから。

もっとちゃんとしっかりできたらいいけれど、その前に自分のことを信じてあげたい。