今回は野球を含めた、物事に付いて。
言いたい事の結論から書くと、全てに理由がなければならないって話。
野球に関して言えば、今やってる練習は何の為か?
裏を返せば、何を得させたいが為にそれを行うのか?って事。
前にも話したが、昔は理由など求めなかったし、聞ける訳が
なかった(笑)
でも今は、様変わりして理由ありきな時代である。
だから教える側もちゃんとした理論を持ち、効用じゃないけれど
やる事の意義を備えなければならないのである。
そして子供が、教える人間はどの様な指導者で自分にどの様な
プラスをもたらすか?を本能的に察知出来たら、一つ一つの
物事に理由が要らなくなる。
これはそれまでの経緯を踏まえ、「この人のやってる事は合ってる」
って子供が認めた証拠なんだよね。
その為には教える側の知識や、努力(努力と思ってはいけないが・・・)
、苦悩etcが凝縮された一つの指導者としての礎が確立された証。
野球をやらせておけばいいのではない、あくまでも野球は様々な
教えを施す上でのベースなんだ。
だから指導する側はもっと学ばないといけないと思う。
僕は今まで教えるにあたり、色んな本を読み、色んな指導法を
覚え、試してきた。
中には、「とてもじゃないけどダメだなこりゃ」って内容も沢山あった
し、「ヨッシャ!採用」って内容もいっぱいあった。
子供の食い付き具合を見極めたり、やらせながら何に結び付けようか?
などと考えたりしながらやっていた。
それもこれも全ては、<理に適った野球を教える・健全なスポーツ小僧を
増やす為>と言う意識であった。
実生活に於いても同じである。
野球少年達の大半に見て取れるのは、楽しかった環境を終え、新たな
目的を探す段階でエアポケットに嵌る事。
この現象は、それまでが楽しくて仕方なかった経験を得た子供達が
陥る事が多い。
去年の6年生が、今は互いに違った環境で頑張っている。
僕がいつも考えているのは、「野球を楽しんでる気持ちはどの位?」
って事。
義務感を持っては楽しい気持ちが伸びない、始めちゃったから仕方なく
なんてーのは論外、全ては何の為?って事になるのだが・・・
人の為に野球?じゃないよね?自分の為なんだから。
チームの、とある子に「最近どーよ?」って聞いたら「退化してます」って
答えたんだよねぇ~・・・何で
(確かに「いいんですか?それで~」ってプレーしてる・・・)
結局は教えられてる内容に魅力が足りないからだと思う。
ホントに望んでるなら、ガンガン食い付いてくるでしょ?
これもやっぱ理由が伴ってない部分があるよね。
今年卒業する小学生はどーするんだろう?
きっと野球を続ける子が大半だろう。
それは楽しかった続きではなく、理由探しの為だろう。
もっと楽しいはず、もっと上手くなれるはずって疑念を払拭する
と言う理由で・・・(暴言ですかね?まぁいいや)
その反面、今年の中学生は厳しいよね。
なまじ楽し過ぎたから、反動が必ずある。
これは精神的に強い気持ちを持たなければ、心が折れてしまう。
胸で「自分の為、自分の為」って言い聞かせ、どこまで耐えるか?
大人になる為のステップだよね。
本人にしか分からない葛藤と言う煩わしい敵と戦うのは大変。
そんな時こそ、周りの経験した大人が助けてあげるべきだよね。
野球人として同じ様な環境を過ごして来たからこそ、伝えられる
言葉がある。
シーズンが終わったから、あとは卒業まで静観・・・違うだろ?
先の見通しが確立され、本線が敷かれて初めて手を離すのが
道理ってモンだ。
僕はそんな指導者が増える事を願っている。
ひ