~西へ~(260) 53日目④ 大分八幡宮 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


大刀洗から北上、福岡県飯塚市に鎮座します「大分八幡宮」に。

       

筑前国一宮、三大八幡宮の一つ「筥崎宮」の元宮として知られる当社は、
本邦(九州)五所別宮の第一に列するという由緒ある御宮です。

         
    倒立と起立一対の狛犬(弘化三年(1846)丙午8月吉日建立)

       

 大分八幡宮由緒記
御祭神 應神天皇 神功皇后 玉依姫命「神武天皇御母君」
由緒
 當宮は、神功皇后御征韓後粕屋の宇美邑にて應神天皇御出産遊ばされ、翌年の春、京にお上りの際軍隊を引率され粕屋、嘉穂の郡境にある験しい山「ショウケ越え」を経られ、當宮に至り坐して暫しお止りになり筑紫の行政をお執り遊ばされ、此地にて軍隊を解隊せられし由縁の地なり。
 宇佐宮託宣集に我宇佐宮より穂浪郡大分宮は我本宮なりとあり。本邦五所別宮第一に列せられ朝廷の尊崇 篤く、筥崎宮の元宮として由緒正しく、第四十五代聖武天皇神亀三年(今より約一三00年前)御神託によって創建せられ、応仁天正の九州動乱にて御社殿は兵火に罹り焼失し後天正五年秋月種実公勅命に依り現在地に假殿を建立、御神霊を勧請鎮座せられたる御社殿がその侭今日に至る。
 神殿裏山の小高い丘状の盛土は、全国でも珍しい皇室古墳埋蔵推定地「仲哀天皇御陵」として考古学者の学問的期待をかけている聖地であり、往古旧社殿は小高い丘の前にありて跡地に礎石のみ残れり。
祭事
 元旦祭     一月一日
 建国記念日   二月十一日
 春季大祭    四月卯の日
 夏越祭     七月二十九日
 秋季大祭放生会 九月三十日 十月一日
   県無形文化財 獅子舞奉納
   流鏑馬
   御神幸
 新嘗祭    十二月中旬      -石碑より


      
 大楠(福岡県指定天然記念物)推定樹齢350年 胴周り約9m
社伝によると神功皇后が朝鮮半島から持ち帰った木の子孫ともいわれます。



「注連柱」手前の手水舎には、大きな舟形の手水鉢が。



楼門には仁王像が立ち、神仏混淆の名残が見れます。



神門社殿側には、木製一対の「随神」と「狛犬」

      

現在の社殿は、拝殿、本殿共に、平成七年(1995)に改築されたものです。


 拝殿
       


 拝殿ない

 
  本殿

境内社

      

     

境内には、神功皇后が皇子である応神天皇を出産し、初めての産湯に
使ったとされる井戸があり、また、社殿後ろの石段を上がると、皇室古墳
埋蔵推定地「仲哀天皇御陵」があります。


         
           大分八幡宮 御朱印







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                                 つづく









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