~西へ~(255) 52日目④ 筑後国一宮 高良大社Ⅱ(摂末社) | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


筑後国一宮 高良大社の摂末社に参拝いたします。

        

   高良大社奥宮(奥の院)
 古くは「高良廟」、「御神廟」と称し高良の神である武内宿禰の葬所と伝えられていた。高良山信仰の原点ともいうべき聖地である。
付近の地名を「別墅(所)」といい、白鳳7年(678)開山隆慶上人が、毘沙門天(高良の神の本地)を感見して毘沙門堂を建て、天竺国無熱池の力を法力で招き寄せたのが、この清水であるという。
 鎌倉時代の貞永元年(1232)には、惣地頭代形部丞中原為則なる者が、五十の石塔をここに造立供養したというが、現存しない。
次いで南北朝時代には、征西将軍懐良親王の御在所となったとの説もある。
 中世末の記録によれば、ここには戒壇が設けられていたとある。恐らく現存の石積の壇を指すのであろう。
壇上には室町時代の石造宝塔が立つ。
 江戸時代の申頃、山中の極楽寺を再興した僧即心は、晩年ここに籠もって念仏修行したという。
 明治初年の神仏分離により、毘沙門堂は「水分神社」と改められたが、「あらゆる願い事を叶えてくださる神様」として、高良大社の数ある末社の中でも、今日特に厚い信仰を集めている。 高良大社社務所  -案内板より


     
                 鳥居の社号額「奥社」

       
           参道途中にある祠

   

      

 初寅祭
7世紀後半、仏教が高良山に入ると高良の神の本当の姿(本地)は毘沙門天であるという信仰が起り、奥宮(奥の院)の神は毘沙門天とされました。
「毘沙門岳」や「毘沙門谷」の地名もこれに因むものです。
「初寅祭」は年初や月初めの「寅の日」に参詣すると、特にご加護を頂くことができるという毘沙門天信仰に基づくもので、明治の初め、毘沙門堂が水分(ミクマリ)神社と改められた後も絶えることなく、毎月初めの寅の日に執り行われる伝統の祀りです。  
         高良大社社務所  -案内板より


      


         
            高良山 奥宮 御朱印





         

続いて「大学稲荷神社」です。



当社は、筑後稲荷十社の第一の社であります。

            

  
   大学稲荷神社
 御鎮座
久留米市御井町字宗崎(通称稲荷山)
 御祭神
倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
 御由緒
 高良大社の末社で、「筑前・筑後(正しくは筑後)稲荷10社第一の社」といわれ、この地方で最も著名な稲荷神社である。上社と下社に同一神を祀る。下社は「稲荷山」の名の起源となった古い稲荷社(通称小学稲荷)で上社が本来の大学稲荷。明和8年(1771)2月、時の高良山座主寂信僧正が、京都伏見稲荷(現伏見稲荷大社)から、「大学」の称号を持つ稲荷神を勧請したものである。はじめ山内愛宕山に鎮座され「愛宕山稲荷」と称したが、慶応2年(1866)現在の社檀を拓き、明治8年(1875)2月拝殿を建立、同年8月1日ここに遷座された。以後商売繁盛・海運の神として、広い地域の信仰を集めるに至ったが、「大学」の名に因み、学業成就・各試験合格を祈願する人が甚だ多い。
 なお御神紋とされる轡紋は、明治の始め、高良山を住居とした久留米藩主有馬頼威公が、特に当社に授けられたものであるという。 -案内板より




        
            大學稲荷神社 御朱印


     

続いて「愛宕さん」に参拝です。

 

  高良山 愛宕神社
 御鎮座  久留米市御井町字礫山
 御祭神  
火迦具土神(伊弉諾・伊弉冉二神の御子で火を司る神)
 御神徳  
防火の神、牛馬の守護神、交通安全、商売繁盛の神、旧藩時代には藩主有馬家で毎月1日代参があり、地元御井町始め市内通町・筑後地域には霊験談も伝えられています。
 御由緒
愛宕神社は、高良大社の数多い末社の1つで、万治3年(1660)49世座主秀賀法印により隈山に勧請されたのが始めで、50世座主寂源僧正は寛文10年(1670)現在の地に、これを遷座しました。御社殿は延宝年(1680)の再興で、本社御社殿(重要文化財)に次ぐ規模と風格を持つ建造物であります。なお、この山に古くから鎮座し「愛宕山稲荷」と呼ばれた稲荷社は、明治8年(1875)宗崎稲荷山に遷座されましたが、これが現在の「大学稲荷」だと伝えられています。 -案内板より


        






       
      高良山 愛宕神社 御朱印



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                                 つづく







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