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二社ございます肥前國一宮。その一つ、「千栗八幡宮」に着ております。

当社には貴重な「狛犬」が安置されておりました。

神職に了解を得て、拝殿内にあがり、近くで見ることが出来ました。
ご配慮くださり、ありがとうございました。


千栗八幡宮肥前狛犬 ちりくはちまんぐうひぜんこまいぬ
佐賀県
安土桃山/安土桃山年間1575-1603
砂岩系の石材を使用した石造彫刻による狛犬1対。肥前狛犬の特徴を良好に示している。阿像の像高は57.5㎝、吽像の像高は50.0㎝と肥前狛犬の中では大型の部類に入る。阿像・吽像ともに…
阿像―像高57.5㎝、脚部間-48㎝、吽像―像高50㎝、脚部間-50㎝
1対
佐賀県三養基郡みやき町大字白壁2415番地1
みやき町指定
指定年月日:20120120
千栗八幡宮
有形文化財(美術工芸品) -文化財オンラインより


奉納者については、いくつかの説を展開することが可能であるが、まず阿像の右銘と左銘が同一人物であると仮定し右銘の「藤原 朝臣 信○」を「藤原朝臣信親」と読んだ場合、龍造寺家臣「龍造寺信親」となり「龍造寺掃部助(かもんのすけ)」とも名乗った人物でもあることから、左銘とも符合する。一番妥当な説と考えられるが、同一狛犬の左右銘に同一人物の異なる名称を記すのか、という疑問が残る。次に右銘と左銘が別々の人物と仮定し右銘の「藤原 朝臣 信○」を「藤原朝臣信忠」と読んだ場合、「天正十一年(1583)千栗宮宝殿棟札写」に「大願主出雲兵部大輔藤原朝臣信忠」の名が記されているとおり、千栗八幡宮宮柱である出雲家の人物であると推定可能である。一方、左銘の「龍造寺 掃部助」は、前述の「龍造寺信親(掃部助)」と考えてもよいが、別の説として、龍造寺氏が西島城の横岳氏を攻めた際、神埼郡崎村城主であった犬塚家広を中津隈城に配し、守りとしたことが知られているが、この犬塚家広と同族でほぼ同じ時代の人物として犬塚掃部助鎮盛(しずもり)が存在し、彼もまた「掃部助」を名乗っていることから、龍造寺の家来である「掃部助」という記名の仕方であれば、犬塚掃部助鎮盛の可能性もある。 -文化財オンラインより

拝殿、本殿(入母屋造)


お粥堂
千栗八幡宮創建(神亀元年・724)以来行われてきたと伝えられている、「お粥試」のお粥を参拝者に供覧するところです。
「お粥試」は、古くは正月十五日にお粥を炊き神殿に収め、二月初卯の日にこれを取り出して粥占を行っていましたが、現在では、二月二十六日に社家伝来の秘法によりお粥を炊き、銅製の神器に盛って神殿に収め、三月十五日早朝にこれを取り出して表面に生えた黴(かび)によりその年の天候、五穀を始めとした作物の作柄などを占っています。
三月十五日、当八幡宮の春の大祭である祈年祭に行われる神事です。
-案内板より


摂社 武雄神社の狛犬
武雄神社

御祭神 武雄心命
孝元天皇の皇子彦太忍信命の子、祭祀・占を司る任に当たり、景行天皇にお仕えした臣下で高良大社の御祭神武内宿禰は御子である。 他に相殿の神として次の四柱の神々が祀られている。
天之忍穂耳命、 菅原道真、伊弉諾尊、高木神 -案内板より抜粋

武雄神社


鳩森稲荷神社
御祭神 保食神
千栗八幡宮の御祭神は八幡大神で、稲荷神社御創建の由緒記によると、養文の郡司壬生春成が此の地に狩猟の折、弓の上に鳩がとまった故事によるもので、鳩は八幡さまのお使いであるとその夜の夢枕に八幡宮境内に千本の栗の木が植えてあるのが表れ、一夜にして栗林が現れたという、故に鳩森稲荷神社と云う。
-案内板より抜粋

小さな丘陵の上に鎮座する神社なので眺めが良い

肥前一宮 千栗八幡宮
御朱印
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つづく
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