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「佐賀縣護國神社」にやってきました。


当社は、明治維新以降の国難に殉じた佐賀県関係の護国の英霊および
大東亜戦争(WWⅡ亜細亜太平洋戦線)後の殉職自衛官、あわせて
約3万5千柱をお祀りしております。


明治三年(1870)、旧佐賀藩主・鍋島直大が、戊辰戦争で戦死した
藩士78柱を祀ったことに始まり、明治七年以降、佐賀の乱などの
戦死者を合祀しました。

当初は「招魂場」と称していましたが、明治八年に官祭招魂社となり、
昭和十四年、内務大臣指定の佐賀縣護國神社に改称しました。

昭和二十二年より肥前神社と称していましたが、日本の主権回復後の
昭和二十七年に元の佐賀縣護國神社に復しました。

参拝時、何かのお祭りが行われておりました。


本殿 佐賀の名木 古木 クスノキ
樹齢 推定450年


戦没者顕彰碑 (左)
碑文
明治戊辰ノ役以来日支事変並太平洋戦争ニ至ル数次ノ戦役ニ従ヒ邦家ノ為ニ崇高ナル犠牲トナリタル佐賀縣出身全戦没者ノ功績ヲ永遠ニ明記追慕スルタメ本連盟創立十周年記念事業トシテ此ノ碑ヲ建設ス
昭和31年11月11日 財団法人佐賀縣遺族厚生連盟
軍恩忠魂之碑 (右)

佐賀県傷痍軍人の碑
御製
國守ると 身をきずつけし ひとびとの 上をし思ふ 朝に夕に
国のため 尽くさむとして 戦に 傷つけし人の うへを忘れず
御歌
復興の 国の歩みに 重ね思ふ いたつきに耐へ 君らありしを
祈平和
我等傷痍軍人は戦争の悲惨さを身をもって体験した者として二度と戦争をくり返すことのないよう訴え日本繁栄と世界の恒久的平和を祈念する
従って我等が最後の傷痍軍人とその妻であることを願望して、ここに傷痍軍人の碑を建立する。
昭和六十一年二月吉日 佐賀県傷痍軍人会連合会 佐賀県傷痍軍人会妻の会

佐賀縣護國神社百三十周年記念碑 (左)
碑文
戦野に散りし我友よ 今は護國の神となる
平和 (中)
佐賀県出身甲飛戦没者慰霊碑 (右)


大東亜戦争終結五十周年「鎮魂碑」 東日本大震災慰霊碑


母の像
強くきびしく やさしかった 母
おかげで私がある
お母さん ありがとう
私達の かなしみが くりかえされる ことのないように
平成10年 秋 佐賀県遺族会壮年部


佐賀縣護國神社 御朱印
全ての兵者に敬意を表しますと共に、英霊の御霊に感謝の誠を捧げます。
つづく
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