~西へ~(232) 41日目④ 薩摩国一宮 枚聞神社 | どちて坊やが隠居をしたら~日本国でも毎日が徒然~

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「野宿でもお腹に肉のつく身哉」

日本一周・全県に足跡を目標に、車中泊やキャンプをしながら、
大好きなラーメンを食べ、100名城を中心にした城めぐりや
神社仏閣に参拝し御朱印を頂く、旅の絵(写真)日記です。

    
                    近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら


薩摩國には二つの一宮が鎮座しております。その一つ、
「枚聞神社(ひらききじんじゃ)」にやってまいりました。



創始は社伝でも不明であり、かなり古くからあった神社と考えられています。
元々は、開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられ、
参道から本殿の方を向くと、本殿の屋根の上に開聞岳が位置する構造に
なっています。
(現在は背後の樹木が繁茂して見通すことはできなくなっている)

      

境内には千数百年をへた 楠の老木が多く茂っております。
 枚聞神社のクスノキ
樹齢800年、幹周り7.9~9.5m、樹高18~21m 『枚聞神社由緒記』によりますと、神社は開聞岳の北麗に面して鎮座し境内地は約7000坪で、その中には千数百年経た老樹が数多くあります。枝が鬱蒼と茂り天高くそびえる様は、このお社が由緒深い神社であることを物語っています。
 神社の祭神は天照大御神を正祀として他の皇祖神八柱神を併せ祀っており、特に交通安全・航海安全・漁業守護の神として船人達から厚く信仰されてきました。古くは、琉球王が枚聞神社に対して信仰が厚く、入貢の都度、神徳讃仰の文字を表す扁額を奉納したとのことで、現在その当時の扁額が7枚宝物殿に飾られています。
-案内板より



 二の鳥居と御門神社


 
朱塗り社殿は、慶長十五年(1610)島津維新(義弘)の再興で、天明七年
(1787)島津重豪が改修したものであり、勅使殿・拝殿・幣殿・本殿となる。
(勅使殿の両側には「長庁」が配置されています)


 勅使殿向拝



勅使殿の天井には草花が描かれてました。



勅使殿を回り込むようにして拝殿へ。



  枚聞神社及び付近案内
 所在地  
鹿児島県揖宿郡開聞町十町
 ご祭神
枚聞神一座
神社由緒記に大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし、他に皇祖神を併せ祀るととある。
 ご沿革
御鎮座年代を詳らかにせずと雖も社伝には遠く神代の創始なりと云う。
既に貞観二年薩摩国従五位下開聞神加従四位と三代実録に載せられているのを始め、延喜式には薩摩国枚聞神社とある。
古来薩摩国の一の宮、南薩地方一帯の総氏神として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり。
殊に藩主島津家代々の崇敬絶大にして歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、地方開拓の祖神として、また特に厄除、開運、交通安全、航海安全、漁業守護神として琉球国を初め地方民の崇敬篤に厚く明治四年国幣小社に列せられた古社である。
 例祭日  十月十五日
 社宝  国指定重要文化財「松梅蒔絵」外数十点あり。「最古の大酒甕」拝観可
 付近名勝
  開聞岳  標高九百二十二㍍。二重式火山。
       頂上に当社末社御嶽神社鎮座。
  玉乃井  日本最古の井戸、龍女豊玉姫命水汲みの井戸と云う。
  婿入谷  彦火火出見命と豊玉姫命のご結婚の跡と云う。
  池田湖  周囲約二十㎞。九州最大の淡水湖。


   

 本殿
方三間の入母屋造妻入で、屋根銅板葺、
千木・鰹木を置き、正面に縋破風で1間の向拝を付ける。


       

宝物も拝見する事が出来ました。




 

 

 

 



         
            薩摩国一宮 枚聞神社
                 御朱印



                                 つづく







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